昨今、右派と左派の溝は深まっているようだ。高齢者は思考が硬直化し、過激な思想を持ちやすいとされるが、一方で、右と左のあいだの「適度な落としどころを見つける」役が出来るのも高齢者なのではないかと、精神科医の和田秀樹氏は指摘する。
※本稿は、和田秀樹著『老いの品格 品よく、賢く、おもしろく』(PHP新書)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
高齢になると、頑固な人が意固地になる、疑い深い人が妄想的になるといったように性格が先鋭化し、思考の硬直化が進みやすくなります。その結果、もともと左翼的な考えだった人がゴリゴリの左翼になったり、右翼的な人がゴリゴリの右翼になったりするという現象がよく見られます。
私は、そのどちらがよくて、どちらがよくないと言うつもりはありません。身内を戦争で失っているなど、リアルな体験から「戦争はいけない」という思いをもつのは至極当然のことで、それを伝えるのは何も悪いことだとは思いません。
一方で、戦前の日本が全否定されがちなことにとても違和感を覚えます。以前、作家の三浦朱門さんが、日本の歴史教科書には日本の偉人についての記述が少なすぎると言っていましたが、これは事実だと思います。
かつての日本は、こんなにいい国だったとか、こんな偉人がいるんだということを語り伝えるのもまた、高齢者の役割ではないかとも思います。
実際、大正時代の日本はかなり理想的な国だったのではないかと、私も思うことがあります。大正天皇が帝国議会の開院式で勅書をくるくると丸め、それを遠眼鏡のようにして周囲を見渡していたという噂が、当時、一般庶民のあいだに広まっていたといわれています。
この話の真偽には諸説ありますが、私が子供のころ、明治生まれの祖母からこの話を聞いたことがあります。このことから、この話が庶民のあいだに相当広まっていたことは確かなようです。
もし、当時の日本が、一般に考えられているような天皇の独裁であったなら、その類いの噂は厳しく取り締まられ、誰もおいそれと口にすることはできず、したがって広く流布することもなかったはずです。
それが子供でさえ普通に噂していたということは、少なくともそれが許される程度には世の中が自由な空気に覆われていたということです。たとえば、同時代のイギリスでは、国王について同種の噂が公然と広まることは考えにくかったはずです。
その意味では、大正デモクラシーは本当にデモクラティックな社会を、ある程度、実現させていたといえるでしょう。
右の人と左の人、どちらにもそれなりの言い分があります。右寄りの雑誌と左寄りの雑誌のどちらを読んでも、それぞれに言いすぎと感じられる論調がある一方で、納得できることも書かれています。
更新:12月04日 00:05