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おにぎり持ち込みは可? 「シネコンの浸透」が映画文化にもたらしたマナー

2022年05月16日 公開

伊藤弘了(映画研究者・批評家)

 

快適な映画館環境の浸透

シネコンが日本に広まり始めたのは1990年代のことであり、たかだか30年ほどしか経っていない。だが、いまや日本の大多数の映画館がシネコンなのである。2021年12月末の時点で全国には3648のスクリーンがあるが、そのうち3229スクリーンをシネコンが占めている(*2)。割合にして88.5%、じつに9割近くにものぼる。

シネコン以前の映画館がいかに「無法状態」であったかは、しばしば懐古的に語られる。おしゃべりや立ち歩き、飲食物の持ち込みなどは序の口で、現代の感覚ではにわかに信じがたいが、建前上は禁煙であるにもかかわらず喫煙が黙認されてきた劇場さえある。私はそうした時代に戻るべきだと言いたいわけではない。

批評の文脈では、しばしば「映画は出自のいかがわしい猥雑な芸術である」と表現されることがあるが、「だから映画館も混沌としているのが本来の姿である」などと屁理屈をこねるつもりはない。現代の快適な映画館環境に飼い慣らされてしまった身にはストレスにしかならないだろうと思う。

静粛な館内環境という前提が共有されているからこそ、「応援上映」や「発声可能上映」といった試みに特別感を与えることができた面もあるだろう。残念なことに、コロナ禍はこうした上映の機会も奪ってしまった。

だが、Zoomを用いたオンライン応援上映や、手元のスマートフォンやパソコンに応援コメントを打ち込む形式の上映など、新たな試みも生まれている。上映中のスマホの操作も基本的にはNGとしつつ、こうした形で棲み分けを図ることには賛成である。

おにぎりの話に立ち戻れば、飲食物の持ち込みを遠慮してほしいと言っている劇場にあえて持っていく必要はないが、同時におにぎりを持っていっても構わない劇場が併存している状態が望ましいと思う(それが嫌な人は行かなければ済むのだから)。

個人的な思い出だが、10年ほど前にとあるミニシアターで映画を見ていたとき、持ち込んだパンを美味しそうに食べていた高齢男性がいた(それを問題視するような観客はいなかった)。見ていた映画のタイトルさえ思い出せないなか、映画館の平和な1コマとしてその光景が強く印象に残っている。

(*2):『一般社団法人 日本映画製作者連盟』「日本映画産業統計 全国スクリーン数」(http://www.eiren.org/toukei/screen.html) 【閲覧日2022年3月14日】

 

多様な劇場形態は文化的財産

少々回りくどかったかもしれない。おにぎりの話から何が言いたかったかといえば、文化にとって多様性が大事であるというきわめてシンプルなことである。

たとえば、濱口竜介監督の『寝ても覚めても』(2018年)や今回の『ドライブ・マイ・カー』は全国のシネコンで上映されているが、それ以前の代表作である『親密さ』(2012年)や『ハッピーアワー』(2015年)といった実験的な野心作はミニシアター文化がなければ成立しなかっただろう。

『ドライブ・マイ・カー』はほぼ3時間(179分)に及ぶ上映時間の長さが取り沙汰されることがある。しかし、『親密さ』の上映時間は4時間15分、『ハッピーアワー』に至っては5時間17分である。小学校の教室跡を利用して運営されていた立誠シネマ(京都市、2017年閉館)の座椅子で4時間超えの『親密さ』を鑑賞した経験は、それ自体が筆者の大切な思い出である。濱口監督の最新作『偶然と想像』もミニシアターを中心に上映が行なわれている。

日本の映画文化の豊かさは都市部のシネコンに加え、各地のミニシアターや名画座などの多様な劇場形態によって支えられている。日本(とはいえ都市部に限定される面はあるが)に住んでいれば世界の話題作だけでなく、興行的には決して上位に入ることのないような各国のアート系作品から、自主制作に近いようなインディーズ作品まで幅広く鑑賞する機会が得られる。

シネコンとは異なる論理で番組を編成するミニシアターは、映画文化の多様性を担う重要な存在である。世の中には配信サービスには決して乗らないようなマイナーな傑作があり、それを見られる機会が小規模な映画館での上映に限られるケースはままある。この多様な上映環境は誇るべき文化的財産であると思う。

地域に根ざした活動を行なっているミニシアターも多い。インディペンデント系作品の舞台挨拶や、ゲストによるトークなど、それぞれの劇場が積極的に独自の文化を発信している。シネコンとは別様の「映画館ならではの体験」を提供する場なのである。

筆者もゲストとして何度かミニシアターの壇上に立ったことがあるが、シネコンのような大規模な集客は見込めないながらも、その作品を必要とし、私の拙い話に耳を傾けてくれる観客との出会いが貴重な経験であることを実感している。

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