2022年05月16日 公開
映画上映の場はシネコンだけではない――。日本アカデミー賞で8冠に輝いた映画『ドライブ・マイ・カー』で主演を務めた西島秀俊さんも敬愛するミニシアター。数百名以上の大学生を感動の渦に巻き込んだ「日本一わかりやすい映画講師」が、コロナ禍で打撃を受けるミニシアターが提供する価値と課題を示す。
※本稿は『Voice』2022年5⽉号より抜粋・編集したものです。
まずは俳優の西島秀俊とおにぎりのエピソードから考えてみたい。そう言われてもそもそも何の話かわからない向きも多いだろうから、順を追って説明していこう。
3月11日に行なわれた第45回日本アカデミー賞授賞式での1コマである。今年の日本アカデミー賞は、最優秀作品賞を含む8冠に輝いた『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督、2021年)の独壇場だった。
本作の演技で最優秀主演男優賞を獲得した西島は、司会の長澤まさみから「映画館に行く際には食事の時間が惜しいのでおにぎりを持参する」というエピソードについて話を振られた。これに対してSNS上では「飲食物持ち込み禁止」であるはずの映画館でおにぎりを食べることへの違和感が少なくない数のユーザーから表明されたのである。
これは現代日本の映画文化を考えるうえで示唆的であると思う。ここでは映画の話を中心に展開していくつもりだが、もしかしたらほかの文化領域においても同様のことが言えるかもしれない。
規律を重んじ、ルールを守る姿勢はしばしば日本人の美徳として挙げられる。安易に一般化するべきではないだろうが、日本の観客もまた映画館の鑑賞マナーに厳しい。飲食物の持ち込みはもちろん、上映中のスマホ操作、おしゃべりなどは御法度であるし、途中入場や(トイレやエンディング・クレジットに入ってからを含む)途中退出をマナー違反と考える人も増えているようだ。
規則やマナーを大事にすること自体はもちろん悪いことではない。そもそも「ルールを守ること」「人に迷惑をかけないこと」は現代社会の趨勢なのだから如何ともしがたいだろう。
だが、そうした感覚が何に由来するものかは一度立ち止まって考えてみてもいいかもしれない。
シネコン(複数のスクリーンを備えたシネマコンプレックス)をはじめ、たしかに多くの映画館では飲食物の持ち込みを禁止している。表向きの理由としては「匂いの強いものや音の出るものを持ち込まれるとほかの観客の迷惑になるから」というあたりが筆頭だろうが(それで言うと売店のホットドッグやポップコーンも大概ではあるが)、本音の部分では飲食物は映画館の売店で買ってほしいからだろう。
チケット代は配給会社との折半になるが、売店の売上はそのまま劇場の利益になる。そしてこれが馬鹿にならない。このあたりの事情を斟酌した観客が率先して飲食物やグッズの購入を呼びかけることもある(これはこれであるべき映画ファンの姿と言えるかもしれないが、多くの観客は映画を見に行っているのであって、映画館の売上のことまで考える人はごく少数だろうし、それで問題ないと思う)。
大手のシネコンが基本的に全国均一のサービスを提供している一方で(もちろんユニークな試みをしている劇場もある)、ミニシアターや単館系と呼ばれる小規模な劇場はそれぞれに独自色を発揮していることが多い。飲食物の持ち込みをとくに禁止していないところもあるし、飲み物はOKというところもある(そもそも売店がない場合もある)。
試みに、映画館でおにぎりを食べることについてどう思うかをTwitterのアンケート機能を使って尋ねてみたところ(回答者214人)、「映画館が規則で禁止していないならあり」が65.9%を占めた一方、「たとえ規則で禁止していなくても印象はよくない」(16.8%)、「どんな条件であってもありえない」(4.7%)と答えた人が合わせて2割強に達した。なぜ禁止されているわけでもないのに違和感を覚える人が少なからずいるのか。「シネコンのマナーが映画鑑賞のスタンダードとして定着しつつあるから」というのが筆者の推測である。
西島秀俊がおにぎりを持参したのは、食事時間を節約して映画を見る時間を確保するためだった(ちなみに西島は渋谷のミニシアターに出入りしているところをたびたび目撃されていたようである)。いわゆるシネフィルと呼ばれるような熱狂的な映画愛好者は、映画館をハシゴして1日に5、6本の作品を見ることがある。
より多くの映画を見るためには事前に各劇場のスケジュールを確認して、移動時間を含めたスケジュールを組んでおかなければならない。食事の時間が惜しいというのはそういうことである(これは冗談半分の話として聞き流してもらって構わないが、映画館の売店にはぜひおにぎりを置いてほしい。ただし、いまだに一般化していないところを見るに採算や清掃の面で問題があるのだろう)。
1日に映画館で何本も映画を見るような観客は例外中の例外である(2019年に一度も映画館を訪れなかった日本人は9000万人近くにのぼると見積もられている(*1)。コロナ禍以前かつ2000年以降で年間興行収入、入場人員ともに最高値を記録した年でこれである)。
食事をとりたければシネコンの入っているショッピングモールのレストラン街で済ませばよいだろうし、小腹が空いたなら劇場の売店でホットドッグなりポップコーンなりを買い求めればいい。その意味で、一部の観客のうちに醸成されているおにぎりへの違和感は、映画館のマナーがシネコン基準で均質化されていることの表れではないかと考えるのである。
配信サービスの拡充とコロナ禍の本格化が相まって、映画館で映画を見ることはますます特別な体験になりつつある。一般料金1900円は決して安い金額ではない(Netflixのベーシックプランなら2カ月分を賄える)。冠婚葬祭がそうであるように、特別な機会にはそれにふさわしいマナーが求められるのが常だ。
おにぎりの持ち込みは映画館空間が要請する非日常性に似つかわしくないということだろう。おしゃべりやスマホの明かりが問題にされるのも、映画への集中を妨げられることに加えて、劇場の儀式性(ある種の宗教性と言ってもいいかもしれない)を毀損されることへの憤りがあるのではないか。
(*1):『公益財団法人 日本生産性本部』「レジャー白書2021」(https://www.jpcnet.jp/research/assets/pdf/summary2021_leisure.pdf)【閲覧日2022年3月14日】
更新:11月23日 00:05