2021年11月22日 公開
今年9月に発足したデジタル庁の初代デジタル監に就任した石倉洋子氏。名だたる大学や企業でグローバルに活躍してきた石倉氏は、日本のデジタル化にいかに取り組むのか。我が国が陥っている「完璧主義」について指摘するとともに、デジタル社会の可能性について語る。
※本稿は『Voice』2021年12月号より抜粋・編集したものです。(聞き手:Voice編集部・中西史也)
――石倉さんは今年9月のデジタル庁発足式で「私はデジタルの専門家でもエンジニアでもない」とあえて発言されたことも話題を呼びました。とはいえ、プログラミングを実践した経験があるそうですね。
【石倉】ええ。以前からプログラミングは一度やってみたいと思っていたんです。最近ようやくプログラミングのオンライン講座を受講したり、WordPress(ブログから高機能なサイトまで作成できるソフトウェア)やPython(プログラミング言語の一つ)にもチャレンジしたりしました。
ただ、これが難しくて正直、挫折している状況です(苦笑)。数カ月にわたって受講した講座もありましたが、随分と苦しみましたね。
――エンジニアが経験する日々の苦労をその身で実感されたわけですね。
【石倉】実際に多くの気づきがありましたよ。何よりも感じたのが、自ら挑戦・実践することの大切さです。デジタル監とはデジタル化における立案や総合調整が主要な職務ですから、必ずしも専門技術の細部まで自分がカバーする必要はないかもしれません。
しかし、実践しないとわからない現場の苦労は確実に存在します。庁内のエンジニアにとっても、ただ指示を出すよりは、自ら学ぶ意欲のある人のほうが信頼できるのではないでしょうか。
また、アジャイル(迅速かつ柔軟)な試行錯誤の重要性も再認識しました。プログラミングでは完璧をめざそうと作業を進めても、出来上がってみたら初期の段階で思わぬミスをしていたケースが珍しくない。
最初からすべてをつくり上げようとするのではなく、トライ&エラーの繰り返しで徐々に精度を高めていくべきだと痛感しました。まずは実践して、あとは適宜修正を施していけばいい。この「デジタル的発想」は、ジャンルを問わず日本全体において不足しているように思います。
日本はこれまで、ある種の「完璧主義」によって成長してきました。製品の性能を極限まで高めて、顧客のニーズに最大限まで応えていく。この姿勢自体は悪いことではなく、むしろ世界から称賛される日本の技術力の基礎を築いてきました。
しかしデジタルの活用が当たり前になったいま、これまでの発想を続けていては、テクノロジーが急速に変化する世界から取り残されかねません。現に日本がデジタル化の波に出遅れているのは、完璧主義の思考から抜け出せていないからではないでしょうか。
――石倉さんの著書『タルピオットイスラエル式エリート養成プログラム』(日本経済新聞出版)のなかでも、数々のイノベーションが生まれるイスラエルと日本における思考法の違いを指摘されていますね。
【石倉】本書の表題でもある「タルピオット」とは、イスラエル国防軍の精鋭部隊です。この組織の卒業生は軍で学んだ知見を活かして、のちに起業することが少なくありません。彼らは失敗を恐れず、本質的な議論を好み、何よりも官民の連携を厭わない。そうした発想はイスラエルの国全体に根づいており、イノベーションの源泉となっています。
一方で日本は、間違いなくポテンシャルはあるにもかかわらず、批判を恐れて新しい挑戦に踏み出せず、議論は「How to」の方法論に陥りがちです。かくいう私だってこれまで多くの失敗をしてきたし、これからも高い壁にぶつかるでしょう。でも挑戦しなければ、改革が進むこともない。日本がイスラエルから学ぶべき点は少なくないはずです。
更新:11月21日 00:05