Voice » 忘れられたメンタルヘルス
2021年09月03日 公開
2024年12月16日 更新
休業要請で閑散とする歓楽街(東京都・北区)
繰り返される自粛要請で、失われたものは何か。私たちはいかにして、人生の楽しみと嗜好品を取り戻すべきなのかーー。依然としてコロナ禍でさまざまな行動が制限されているいま、あらためて「精神の自由」の大切さを考える(聞き手:編集部)。
※本稿は『Voice』2021年5⽉号より抜粋・編集したものです。
――2021年3月22日、新型コロナウイルスの感染防止を目的とした一都三県の緊急事態宣言が解除されました。一連の自粛要請について、どのようにご覧になっていましたか。
【和田】まったく理解できませんでした。とくに意味不明だったのが、飲食店を夜8時(解除後は9時)に閉めるという一律の規制です。口では「医療従事者の健康を守る」「医師や看護師への感謝を」といいながら、準夜勤の看護師が仕事帰りに温かい食事を取る場所がどこにもない、という偽善ぶり。物流の増加で多忙を極める宅配業者、深夜にドライブインに立ち寄るトラックの運転手も犠牲になりました。
この非人間的な仕打ちは、ひとえに「三密」と無縁の一人飯まで禁じた政府の判断によるものです。2人以上の夜の会食を禁じるなら、まだわかります。しかし、1人で黙って食事をするとなぜ、感染拡大につながるのか。理解不能というしかありません。
今回、新型コロナウイルスが投げかけた問題はたいへん大きい。端的にいえば「『命』や『健康』を守るため、人生の楽しみやストレスを軽減するものを犠牲にしてよいか」という問いです。知人の作曲家・三枝成彰さんの話では、音楽業界は公演中止や観客の動員規制で疲弊しきってしまった。コロナ騒動が明けたころには業界が存続しているかどうかわからない、という話でした。
コンサートや外食のような生きる楽しみと、「命」や「健康」のどちらが大事なのか。日本人はこのように大上段から命題を突き付けられると、つい口をつぐんで自粛に従ってしまう。しかし、どう考えても今回の自粛要請は間違いでした。
【和田】いま挙げた「生きる楽しみを取るか、『命』や『健康』を取るか」という命題は、新型コロナに限った話ではありません。たとえば、たばこの問題がそう。
――ウイルス感染から「命」と「健康」を守るという名目で、喫煙所が閉鎖されましたね。結果、愛煙家がたばこを吸う場所が街から消えてしまった。
【和田】喫煙者に対するバッシングは、マスクをしない人に対するバッシングとよく似ています。マスクから鼻を出している人を街中で見つけると、あたかも路上喫煙者を見つけたかのように敵意を剥き出しにして注意する人がいる。でもよく考えれば、鼻の穴は下を向いているでしょう(笑)。咳やくしゃみをしないかぎり、飛沫は関係ありません。布マスクのほうがよほど危険です。
――気付きませんでした(笑)。子供でもわかる話なのに。
【和田】つまりこの国は科学ではなく、空気で動いているということ。喫煙に関していえば、たばこが日本の社会に与える悪影響は、自動車の排出ガス、あるいはお酒とは比べ物にならないほど小さい。
たとえば受動喫煙のリスクについて、「喫煙率が劇的に下がっているのに、肺癌の罹患者が減らないのはなぜか」という疑問があります。つぶさに見ると扁平上皮癌が減っていて、とくに腺癌が増えているので「たばこよりも小さな粒子がリスク要因になっている」という見方があります。要因は一般的にいえば大気汚染、主として自動車の排出ガスです。
では、自動車の排出ガスはなぜ増えたのか。主犯は無駄なアイドリングを促す信号、渋滞を促す道路工事だと私は見ています。以前は緑信号だけの交差点が「直進+左折」の信号に変わり、待たされる経験をした人は多いでしょう。日本のようにドライバーが律義にルールを守る国で、あれほど過剰な信号規制は必要ありません。電気自動車の台頭はあるにせよ、排出ガスの増加は大きなエネルギーのロスで、責任は信号機をつくった人(公安委員会が設置)にあります。もし喫煙者を糾弾するなら、警察庁、道路工事を管轄する国土交通省も同罪です。
また、お酒を原因とした日本人の自殺はたいへん多い。自殺の例の全体に占めるアルコールの検出率は、32.8%(厚生労働省「e-ヘルスネット」、伊藤敦子、伊藤順通「外因死ならびに災害死の社会病理学的検索 (4)飲酒の関与度」)。毒物死や焼死、轢死、墜落死した人の体内から、いずれも高濃度のアルコールが検出されています。過剰な飲酒で依存症に陥れば、社会的生命はおろか、身体的生命を失うリスクが高い。
他方、「ニコチン依存による自殺」という例はお目にかかりません。「たばこを吸って暴力や痴漢に及んだ」という話も聞かない。「煙やにおいが迷惑」という話も、電子たばこの普及によって十中八九、解消されています。
従来のたばこの問題は天然成分のニコチンではなく、不完全燃焼時の一酸化炭素や両者を除いた混合粒子(タール)にある、というのが私の見方です。煙ではなく蒸気を発する電子たばこまで非難するのは、科学でものを考えていない証拠です。
――先ほど取材前に広場で弁当を食べていたら、向こうのベンチの女性が電子たばこを吸っているので身構えたけれど、気付いたら何ともなく完食していました(笑)。
【和田】にもかかわらず、なぜ喫煙はアウトで、飲酒はセーフと見なされるのか。
喫煙や飲酒には、リスクと表裏一体の「メリット」があります。たばこには吸うと頭が冴えてリラックスする効果があり、喫煙者同士が吸いながら話すことによってコミュニケーションが深まります。アルコールには高揚感や人間同士の距離を縮める効果があり、酒場で同僚と愚痴をこぼしてストレスを発散し、接待で商談をスムーズに運ぶなどの効果があります。
お酒に関して、社会がリスクを補って余りあるメリットがあると認めているからこそ飲酒は合法であり、広く流通しているのです。
――お酒と同様に、合法のたばこにもメリットを認めて社会が許容を図るべきでしょうね。
【和田】自動車についても、同じことがいえます。交通事故で年に約3000人もの死者を出しながら、運転が許容されるのは、輸送のメリットと事故のリスクを天秤にかけ、メリットを優先させているから。ここでいうメリットに、利便性に加えてFUN TO DRIVE(ドライブの楽しみ)が含まれることはいうまでもありません。
――やはり生きる楽しみ、ストレスを軽減させるものがないと、われわれは暮らしていけない。
【和田】仮に社会にとって「命」が最優先であれば、あらゆる高齢者から免許を一律に剥奪することになります。しかし周知のように、地方で暮らす高齢者にとって自動車は絶対不可欠の「足」です。クルマを奪われたらお年寄りは買い物にすら行けず、生活の手段を封じられてしまう。現実に免許返納者の要介護リスクは5年で倍になる、という研究結果もあります。
コロナに関しても同じです。高齢者の「命」や「健康」を第一に考えるのなら、たしかに自粛が望ましい。しかしその際、忘れられているのが「心の健康」です。
近年、フレイル(加齢に伴う心身の衰弱)が社会的問題となっています。1年を超える自粛生活で高齢者の足腰が弱っており、鬱に罹るリスクが高まっている。地域の感染状況を問わず、病院を一律で面会謝絶にしたため、お見舞いに来てもらえずにメンタルダウンしてしまう入院患者もいる。このままでは、5年後の要介護率が急上昇する事態が目に見えています。
日本ではまったく報道されませんが、スウェーデンがロックダウンよりも集団免疫を選んだ大きな理由は、高齢者の多さです。長期の自粛による在宅生活の結果、要介護者が増える事態を避けることが狙いでした。超高齢社会で財政負担を抱える日本が、同様の道を模索してもよいのではないでしょうか。
私は「コロナは風邪だ」というつもりはありません。しかし、少なくともインフルエンザと比較して日本の現状を見た際、「インフルエンザ程度だ」とはいえます。致死率が30%以上という危機的レベルならともかく、現状では、国民のメンタルヘルスや生活を犠牲にしてまで自粛生活を強要する必要はない。政府や有識者会議は感染のリスクと生活のメリットを比較・検証している、とは思えません。
――ここまで極端な「命」「健康」志向が進んだ理由はどこにある、とお考えですか。
【和田】近年の医学は、病気の「予防」を最優先課題としてきました。成人病を予防するために健康診断を行ない、高血圧の人には血圧を下げる投薬を行なう。血糖値やコレステロール値が高い人には食事制限を促し、γ-GTP(肝臓の機能低下を示す値)の高い人にはお酒を飲ませないようにする。
こうした予防医学はアメリカが発祥で、その延長線上にあるのが「健康第一主義」や「長寿至上主義」といってよいでしょう。
ところが経験上、血圧というのはやや高めぐらいのほうが、頭がシャキッとする。低血圧の人は、頭がふらふらしがちで気分がすぐれない。
――健康診断の数値と体感のあいだに、齟齬がありますね。
【和田】じつはコレステロール値に関して、「低いほうが健康によい」というエビデンス(証拠)は存在しません。さらにアメリカでは「心疾患」が死因のナンバーワンですが、日本では死因のトップは「癌」です。心筋梗塞が多いアメリカで、コレステロールをリスク要因と見なすのはわかります。しかしコレステロールは免疫細胞の材料で、癌を減らします。遺伝や体質も異なる日本人に、アメリカ人の健康常識をそのまま適用するのは無理があります。
――コレステロールやたばこの健康のリスク要因に関して、医師による断定は難しいということですね。
【和田】もし将来的にゲノム診断の精度が上がれば、個人の遺伝と体質を測定して「あなたはコレステロールが高くても心筋梗塞になりにくい」「たばこを吸っても肺癌に罹らない」という診断を下せるようになるでしょう。その日まで、一律に「これは身体に悪いからやめなさい」と命じるのは控えたほうがよい。
私自身、たばこは吸いませんが、カフェイン依存といってよいほどコーヒーが好きで飲んでいます。カフェインが健康に良いか悪いかと訊ねれば、日本医師会の見解では100%「悪い」と答えるでしょう。
しかし精神医学に携わる立場からいえば、呆けた頭で長生きするのと、冴えた頭で寿命が5~10年縮まるのと、どちらが幸せな人生かは決められません。大事なのは健康寿命であり、生きる充足感、クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)です。
たばこやお酒などの嗜好品の摂取に関しては、医者はリスクとメリットの両方を伝え、あとは個人の自由意志、自己判断に委ねる。この点に関して日本の医者、とくに内科医は人間というものをあまり理解していません。
たとえば外科医であれば、「手術のリスク」と「手術のメリット」の両者を事前に説明(インフォームド・コンセント)し、手術を受けるか【否/いな】かを選ばせるのが当たり前。ところが内科医は、たばこの負の側面を強調するだけで「喫煙のリスク」と「喫煙のメリット」を同時に説明しようとしない。医師として説明責任を果たしていないのです。
――なぜ、そうなってしまうのでしょうか。
【和田】彼らは「ニコチンやコレステロールは悪であり、世界から撲滅しなければならない」と信じ込んでいます。したがって、「喫煙者や高血圧の人は頭が冴えている」などという話はおくびにも出してはならない。私が「現代医療は宗教である」と呼ぶゆえんです。医者の信仰を「専門家が発言している」というだけの理由でメディアが無批判に広め、社会が健康常識として受容してしまっている。ここがいちばんの問題点です。
――メディアによる影響か、最近は企業でも「喫煙者は採用しない」「たばこは生産性を下げる」といわれます。なかには「出勤45分前は喫煙禁止」という極端な会社もあります。
【和田】そんな非人間的な会社に入って出勤することこそ、精神的苦痛そのものでしょう。今回の自粛に関して唯一、安心したのは自殺者が予想以上に少なかったこと。日本人の自殺者の数は1998年以降、3万人を超えたけれども、近年は2万人台に落ち着いています。しかし、新型コロナによる自粛生活で再び3万人台にリバウンドしてしまうのではないか、と危惧していました。外へ出て日光を浴びず、他人と話して愚痴をこぼせないストレスに加え、経済的困窮により自殺者が急増するのではないか、と。幸い、杞憂に終わりました。
――原因は何でしょうか。
和田 ひとえに「リモートワークが人命を救った」という点に尽きます。裏を返せば、日本人がいかに対面の人間関係に気を使い、悩んでいたかということ。出社して上司の顔を見るだけでメンタルヘルスに悪影響を及ぼす、ということでしょう。学校で新学期が始まる9月1日に、子供の自殺が増えるのと似た現象です。メディアはコロナによる死の恐怖を煽りますが、20代、30代の死因のトップは自殺ですよ。新型コロナを機に、われわれはメンタルヘルスの重要性について真剣に考えたほうがよい。
われわれが鬱を引き起こしやすい考え方の一つは、「かくあるべし思考」です。「皆がマスクをしていたら自分もしなければいけない」「他店が休業したので自分の店も休む」とか、「健康に悪いからたばこを吸うべきではない」「上司が仕事を終えるまで帰宅してはいけない」という無意味な考え方が、日本人を自縄自縛で出口のない状況に陥らせてしまう。
――「自分はこの道しかない」と思い込んでしまう真面目なタイプが多いですね。
【和田】すると、失業などで社会のレールからわずかでも外れた途端、自分を落伍者と決めつけて人生に絶望してしまう。日本人が厄介なのは、お行儀のよい「かくあるべし思考」に縛られるのみならず、他人にまでお行儀の同調を求めること。「自粛警察」がまさに典型です。
日本では、暗黙のルールを守る人が良識ある人間と見なされる傾向があります。この規範からすれば、たとえば「中国人はルール無視で行儀が悪い人たち」という発想になります。でも私は、日本人が「かくあるべし思考」から抜けきらないかぎり、中国にあらゆる面で追い抜かれるのは必然だと思う。
あの国が賢いと思うのは、習近平批判の「地雷」さえ踏まなければ、わりと自由にものがいえること。もちろんアリババへの制裁のように、独裁者の方針が突如として変わるリスクはあります。しかし、日本に言論の自由があるかといえば、そんなことはない。冒頭に述べたように、緊急事態宣言を面と向かって批判できるテレビ局は一つもないわけですから。
――やはり精神の自由なくして健康なし、ですね。
【和田】いま癌に関して比較的、有力な仮説は「免疫機能が高いほど癌になりにくい」というものです。NK細胞と呼ばれる細胞の活性化が重要で、そのためには我慢や苦痛を強いる生活を改めなければならない。日本のように癌による死者が多い国こそ、「いかに楽しむか」「いかにして幸せに生きるか」を追求するのが大事なのです。にもかかわらず「命」「健康」を錦の御旗に、外食やたばこなど生きる楽しみを排除する空気は、われわれから心身ともに健康を奪っている、といわざるを得ません。
更新:12月28日 00:05