2021年06月28日 公開
2021年06月30日 更新
差別や暴力の被害者には日本人や日系人も含まれているが、日本人には、現在米国に広がるアジア系への憎悪犯罪をどこか他人事として捉える人が多い。
米国に広がるアジア系に対する憎悪は、あくまで新型コロナ感染の拡大をめぐって、中国や中国人に寄せられているものであって、日本人や日系人が間違って襲われることはあっても、本当の意味で差別や暴力の対象になることはない、といった心理であろう。
日本人は、他のアジア人とは違う、肌の色こそ違うが、米国社会の多数派である白人ともさまざまな価値を共有しており、そのことが適切に理解されれば、日本人は差別されないはずだという「名誉白人」意識もそこにはちらついている。
いまから100年前の日本人も、同様の論理で、米国で人種を理由に寄せられる差別という現実から目を逸らしていた。
1882年に中国人排斥法が成立したのちもアジア系移民への差別は収まることなく、次のターゲットとなったのは日本人であった。排日気運が高かったカリフォルニア州では1913年、日本人移民による土地購入を禁じる法律が成立した。
このような明らかな日本人差別に直面しても、日本政府やオピニオン・リーダーたちは、他のアジア諸国と違って、日本は米国と同程度の「文明国」であり、そうである以上、肌の色だけを理由に日本人が差別されることはない、米国人の理解が進めば差別も解消されるのだという論理に固執した。
このような期待は、1924年移民法で日本人移民の入国が全面的に禁じられたことで、完全に裏切られることになった。
現在の米国において、アジア系住民たちは、BLM運動などとも連帯しながら、あらゆる人びとの命と尊厳への敬意を求める声を大きくしている。あえて「文明国」という言葉を使うならば、現在の世界においては、あらゆる差別と決然と戦う姿勢こそが、「文明国」のスタンダードなのではないだろうか。
このスタンダードに照らしたとき、日本はいま、胸をはって「文明国」といえるだろうか。
難民や外国人労働者への非人道的な対応は国際社会から厳しく批判され、ミャンマーで生じている大規模な人権弾圧と市民の殺害を前にしても、日本は具体的なアクションをとらないと問題視されている。
米国のアジア系住民たちの戦いは他人事ではない。彼らの戦いに心を寄せ、具体的な協力を示していくことは、日本の人権外交の重要な一翼となるはずだ。
更新:11月22日 00:05