2021年05月25日 公開
バンクーバーのチャイナタウンに立つ、カナダ華僑が祖先を顕彰したモニュメント
移民大国カナダで、中国人系の国会議員が増えているという。2年前のカナダ連邦下院選に立候補した華人候補者は過去最多の41人にのぼり、そのうち8人が当選した。寛容な民主主義国家で何が起こっているのか。現地を訪れたルポライターが、歴史をひもときながら解説する。
※本稿は、安田峰俊著『中国vs.世界』(PHP新書)より一部を抜粋・編集したものです
新型コロナウイルスの流行以降、世界では感染症に対する民主主義国家の弱点が指摘された。対して中国は2020年の春ごろにコロナの封じ込めにほぼ成功してからは、かえって自国の体制の優位性を強調するようになった。ポストコロナの時代は、民主主義体制と中国のような権威主義体制の対立がより深まっていくことだろう。
しかし、実はコロナ以前から「中国vs.民主主義」の角逐の最前線に置かれていたのが、多数の中国人移民を受け入れてきたカナダである。過去の歴史的な経緯を踏まえたうえで、現在の問題をみていこう。
カナダにおける中国系住民の歴史は、1850年代にロッキー山脈で金鉱脈が発見され、一攫千金を夢見る中国人の炭鉱夫が殺到してゴールドラッシュが起きたことで幕を開ける。
金鉱脈は20年ほどで衰退したが、その後も大陸横断鉄道の建設にともない多数の安価な労働力が必要とされたことで、広東省出身者を中心とした多くの中国人労働者「苦力」(クーリー)たちが香港経由で海を渡った。
北米有数の規模で知られるバンクーバーのチャイナタウンは、この時期に成立している。ほか、チャイニーズ・フリーメイソンの別名で知られる中国人の伝統的な秘密結社・洪門(ホンメン)のカナダの組織も、1863年に金鉱山に近いバーカービルの中国人鉱山労働者たちの間で結成された。
とはいえ、往年のカナダ政府は人種的偏見もあって、中国からの移民たちに好意的とは限らなかった。むしろ、中国系移民にのみ人頭税を課したり、中国人労働者の家族の渡航を拒否する華人排斥法(1923~47年)を成立させたりと、20世紀なかばまでは移住を制限する傾向のほうが強かった。
いっぽう、この時期までの中国系移民は、労働者層を中心とする学歴や収入が比較的低い層の人たちが多く、性別も男性に大きく偏っていた。中華人民共和国の成立後には、社会主義化や文化大革命の混乱から香港経由で逃げてきた政治・経済難民も多数いた。
こうした傾向が大きく変わるのは1990年代以降である。1989年に起きた天安門事件のショックもあって、来る1997年の香港返還を前に、同じ旧英国植民地で歴史的な関係も深い(= 広東系移民が多い)カナダへの移住を望む香港人たちが激増したからだ。
いっぽう、この時期は台湾でも、国民党の一党独裁体制に見切りをつけて海外移住を望む人たちた移民が殺到し、特に香港人が多かったことから「ホンクーバー」という渾名すら付いた。
香港・台湾出身の移民たちの特徴は、それまでの中国系移民と違い、専門的な技術や知識を持つ高学歴のホワイトカラー層が多かったことだ。彼らは従来の中国系移民が暮らすチャイナタウンを嫌い、郊外に住んだことから、結果的にカナダ国内で中国系住民の分布が広がった。
たとえば、バンクーバー郊外のリッチモンド市は、いまや人口約20万人のうちで中国系住民が約7割を占めるという巨大な中国人タウンに変貌している。そのきっかけをつくった中国系の移民こそ、1980~90年代の香港出身者たちである。
とはいえ、高学歴のホワイトカラー層が多かったとしても、人口が少なく雇用のパイも限られているカナダで、移民たちが望む仕事に就けるとは限らない。
間もなく、移住先では充分に稼げないと見切りをつけた男性が、治安や教育環境が良好なカナダに妻子だけを残して、本人は香港や台湾に戻って働いて家族を養うという、逆出稼ぎのような奇妙な状況があちこちで見られるようになった。
「太太(タイタイ:妻)」から離れて家庭を「空」にしていることから、こうした男性たちを「太空人(タイコンレン)」と呼ぶ俗語も流行した。ちなみに太空人とは、本来は宇宙飛行士を意味する中国語である。
やがて1997年に香港が返還されると、「太空人」現象を割に合わないと感じる人が増えたことや、返還後の香港が意外と安定していたことなどから(香港の政治情勢が大幅に悪化しはじめるのは2014年の雨傘革命以降の話である)、香港人のカナダ移住熱は一気に下がる。
結果、21世紀に入るころから、香港・台湾人の代わりに増加しはじめたのが中国大陸出身の移民である。過去のような出稼ぎ労働者や難民ではなく、中国の対外開放と経済発展にともなって、比較的豊かな層の人たちがカナダに移り住むようになったのだ。
更新:11月23日 00:05