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なぜ無敵だった元の大軍が敗れたのか

2021年05月04日 公開
2022年06月23日 更新

関裕二(歴史作家)

 

騎馬民族日本征服説の証拠は見つかっていない

時代は下り、弘安の役(1281年の元寇)で元は敗れるが、『元史』には、10万の軍勢のうち生還したのは3人だけで、このとき江南(華南)の唐人は生け捕りにされたと記録されている。

「南船北馬」というように、中国の北側は平原が広がっていたから馬が重宝されたが、南側は大河川と森に囲まれて、水運が発達していた。さらに、大海原に船を漕ぎ出し、東南アジアに商圏を確立していたのだ。その江南の人びとだけは、助けられたのだ。

日本側はしたたかで、江南の唐人から、造船、航海の技術、潮の流れなどの知識を得て、ここから先、倭寇が出現し、各地で暴れはじめる。問題は、なぜ無敵だった元の大軍が敗れたのか、である。

もちろん、台風にやられたという直接的な原因はあったが、戦略的に見て、大軍の長期逗留(とうりゅう)には、無理があった。だいたい、兵站が維持できない。

壱岐の住民はほぼ全滅したが、対馬は完全に滅んだわけではない。人びとは山に逃れている。10万もの大軍の食料を朝鮮半島から運ぶとすれば、対馬の民のゲリラ戦にも対処する必要がある。輸送船団を水軍が襲えば、10万の兵は干上がる。

古代も、同じだ。一時、江上波夫の騎馬民族日本征服説が一世を風靡したが、冷静に考えれば無理がある。考古学的に「騎馬民族がヤマトを席巻した証拠」は見つかっていない。

神話にいう葦原中国(あしはらのなかつくに)は、「湿地帯や水田が多い土地」でもある。馬は脚を取られるし、船に馬を乗せ瀬戸内海を東に進めば、複雑な潮の流れに翻弄され、水軍の格好の餌食(えじき)になるだけだった。

内陸部を進軍すれば、隘路(獣道に毛の生えた程度の狭い道だっただろう)で周囲の林から弓を射かけられて、ゲリラ戦に苦しめられ、疲弊していくだけだ。騎馬民族も領土欲が失せただろう。大陸の人間は、むやみやたらに、大海原に飛び出そうとは思わなかったはずなのだ。漁も航海も、素人には真似できない特殊技術だからだ。

それでも、どうしても海を渡りたいというのは、「敵に攻められて、もう、もちこたえられない」「独裁者の横暴に耐えられない」と、考えた時だろう。渡来人は征服者ではない。多くは亡命者である。

 

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