パレスチナでの紛争が連日報道される中で、イスラエルは時に「ユダヤ至上主義を実践する、中東の混乱要因」として批判されている。この言説は、果たして実態を捉えているのだろうか?
本稿の冒頭では、イスラエルの情勢について「公式見解」ではない、場合によっては悪意に満ちた分析や陰謀論をささやく「悪魔のささやき」。そして、正統で常識的ながら、往々にしてあまり面白くもない分析や結論をさえずる「天使のさえずり」を紹介する。
天使のさえずりが常に正しく、悪魔のささやきが常に間違っているという保証はない。悪魔と天使の意見が出揃った後、イスラエルの現状を著者が詳しく解説し、最善と考えられる解答を示す。
※本記事は宮家邦彦著『トランプ2.0時代のリアルとは? 新・世界情勢地図を読む』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。
イスラエルほど世界で誤解されている国を他に知りません。ユダヤ教という独特の宗教を信じる人々が、ホロコーストという歴史的悲劇を経て、長年の流浪生活に終止符を打つべく、聖書に書かれた「約束の地」に新しい国家を作りました。しかし、それは結果的に、その地に住んでいたパレスチナ人を事実上排除する形でしか実現しませんでした。
●悪魔のささやき
①反ユダヤ主義、ホロコースト、独立戦争を経て建国したイスラエルは、アラブ諸国と四度も大戦争をし、最近は占領地のパレスチナ人を弾圧するユダヤ至上主義を実践するなど、中東の混乱要因の一つである
②人口約990万人ながら、農業、灌漑、ハイテク、各種ベンチャー事業などで最先端の技術力をもつイスラエルは、軍事的にも強大で、近隣アラブ諸国は到底太刀打ちできない
③伝統的にアメリカとは特別な関係を維持し、エジプト、ヨルダンと平和条約を結んだが、最近ではオマーン、アラブ首長国連邦、バハレーン、スーダン、モロッコとの公式接触や国交正常化が実現している
④1993年のオスロ合意にもかかわらず、イスラエル政治の右傾化によりパレスチナ自治政府との交渉は進まず、2023年10月、ガザでは対ハマース戦争も勃発し、パレスチナ独立国家の樹立は事実上不可能になりつつある
●天使のさえずり
①イスラエルの内政は1990年代後半以降、ネタニヤフ首相と反対勢力との対立構造が30年近くも続いている
②ネタニヤフの強硬姿勢とパレスチナ側の内部分裂により、アメリカ主導の和平プロセスは頓挫している
③イスラエルは一部湾岸アラブ諸国などと関係正常化を進め、パレスチナ問題進展の見通しはない
④喫緊の課題は、国外パレスチナ難民と国内、特にガザのパレスチナ人に対する人道的支援の必要性である
①古代イスラエルとの連続性
イスラエルは古くて新しい国です。国際法上の建国は1948年ですが、鉄器時代にはイスラエル、ユダ両王国が存在しました。その後、カナンの地(パレスチナ)はバビロニア、ペルシャなどに征服されましたが、第1次世界大戦後にオスマン帝国から割譲され、イギリスの委任統治領となります。
地理的には、西側は地中海で、北はレバノン、北東はシリア、東はヨルダン、東と南西はパレスチナ自治区となっているヨルダン川西岸地区とガザ地区で、エジプトとも国境を接しています。またユダヤ教徒にとって、この地は聖書に描かれた聖なる特別の土地でもあります。
②イギリスの「三枚舌外交」の結末
歴史を振り返れば、現在のパレスチナ問題の根源は矛盾したイギリス外交にあります。20世紀初頭にオスマン帝国と対峙していたイギリスは、アラブ人とユダヤ人に対し、前者にはアラブの独立国家を、後者にはユダヤのナショナルホームを認めるという、相矛盾する約束を結びました。
前者が1915年のフセイン・マクマホン協定、後者が1917年のバルフォア宣言と呼ばれるものですが、最終的にパレスチナを含む「レバント地域」を英仏露で分割、パレスチナはイギリス委任統治領となり、肝心のアラブ王国も実現しませんでした。これを私は、イギリスの「三枚舌外交」と呼びます。
もちろん、イギリスは最初から騙す気などなかったでしょう。しかし、マッカの太守フセインがサウード家に放逐されたため、フセインの息子たちをヨルダン、シリア、イラクの国王にすることでアラブ側と辻褄を合わせる一方、ユダヤに対してもホームランド(故郷)建設の約束を履行しなかったことは大問題でした。
③イスラエル不敗神話
当然、この矛盾は第2次世界大戦後に噴出します。国連はパレスチナ分割決議で事態を収拾しようとしますが、1948年にイスラエルは建国を宣言、直後に第1次中東戦争が勃発します。その後も1956年のスエズ動乱を経て、1967年の第3次中東戦争でイスラエルはアラブ側に圧勝します。
しかし、1973年の第4次中東戦争ではエジプトが奇襲に成功し、イスラエルの不敗神話は崩れます。その後、エジプトのサダト大統領はイスラエルを訪問し、中東和平プロセスが動き始めました。1978年にはキャンプデービッド合意、1993年にはオスロ合意がそれぞれ成立し、エジプトに続いてヨルダンもイスラエルと平和条約を結びますが、肝心のパレスチナ側は妥協を拒み、内部分裂に至って、結局、和平プロセスは頓挫します。
④ユダヤ陰謀説を排す
イスラエルについて私が心を痛めるのは、いわゆる「ユダヤ陰謀論」が今も信じられていることです。ユダヤ人は陰謀どころか、欧米における醜い人種・宗教差別の対象でした。イスラム教だけでなく、一部欧米キリスト教社会に残るこの種の俗論は根拠のないものが殆どです。
⑤スタートアップ国家
イスラエルと言えば、今やハイテクのスタートアップ(起業)国家です。地中海沿岸の都市ハイファには世界有数の最先端技術企業や研究者が集まっています。最近は日本企業もイスラエルとの協力を進めています。
⑥アブラハム合意の本質
第1期トランプ政権の数少ない功績の一つが、イスラエルとアラブ首長国連邦など一部アラブ諸国が国交正常化で合意したアブラハム合意です。この合意は、イランからの脅威に直面する湾岸アラブ諸国などが、パレスチナ問題解決よりも、対イスラエル関係改善を優先した結果です。2023年10月のハマースによる対イスラエル奇襲攻撃で、中東和平プロセスが再活性化される可能性は更に遠のいたと思います。
更新:05月05日 00:05