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なぜ無敵だった元の大軍が敗れたのか

2021年05月04日 公開
2022年06月23日 更新

関裕二(歴史作家)

対馬の中央に広がる浅茅(あそう)湾
対馬の中央に広がる浅茅(あそう)湾

日本は大海に浮かぶ孤島だから、独自の文化が花開いている。かつては、日本の文化のほとんどが、大陸や朝鮮半島からもたらされたものと信じられてきた。古代日本は渡来人に征服されることはなかったし、海の古代史を探っていけば、「渡来人征服説」には、大きな疑念が浮かびあがってくるのである。

※本稿は、関裕二著『海洋の日本古代史』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。

 

「魏志倭人伝」に記された驚きの対馬

対馬にはじめて旅した時、日本史の根幹がわかった気がした。対馬があったから、日本は日本のままでいられたのではないか、とさえ思った。

対馬は日本列島よりも朝鮮半島に近い。北側の展望台から、対岸の釜山(プサン)が見える。今でも、韓国から多くの人たちがやってくる。近年では、日本人よりも韓国人観光客の方が、圧倒的に多い(新型コロナ禍の時期は別だが)。

だから当然、対馬は朝鮮半島の文化圏と思われがちだ。しかし、ここは縄文時代からすでに、縄文的で日本的だったのだ(考古学的にはっきりとわかっている)。たとえば弥生時代の稲作は、朝鮮半島からではなく、九州から伝わっている。

なぜ、近い方の、朝鮮半島の文化に染まらなかったのだろう。この謎は、対馬だけの問題ではなく、日本列島にも当てはまると思う。

大陸や半島側から日本地図を見なければ、日本の本当の歴史はわからないという話はよく聞く。ならば、そうしてみよう。対馬は渡来人が、最初に訪れる日本列島だ。陸続きでどこまでも行ける大陸の人間にとって、大海原に漕ぎ出し、対馬に行くこと自体が大きな冒険だっただろう。

そして、たどり着いた小さな島が、意外にも急峻で、海岸から仰ぎ見るような崖や山に覆おおわれ、平地がなく、「これが倭(日本)なのか」と、茫然としただろう。

すでに触れたように、「魏志倭人伝」には、対馬の様子が「驚き」とともに描かれている。「絶島」といい、良田はないという。良田がないのではなく、正確には「平地がない」「山ばかり」なのだ。

大陸の人間の「農地もない孤島で、どうやって暮らしているのだろう」という、感想が聞こえてきそうだ。対馬の次に、壱岐がある。ここの記事も面白い。

「竹林と叢林が多く、三千ばかりの家がある。やや田地はある。ただ、田を耕しても十分な食料を得ることができず、やはり南北に市糴している」

ここでも、田畑の少なさに驚いている。壱岐は平坦だが、おそらく「水の供給」の問題で、農業は振るわなかったのだろう。

「ああ、だから、やむなく船を漕ぎ出して、交易しているのか」

と、大陸の人たちは、勘違いをしたにちがいない。やっとの思いで九州島の末盧国にたどり着いても、遣わされた使者は獣道よりもひどい道を歩かされている。「前を行く人の背中も見えなかった」と、帰国後、みなに吹聴したのだろう。

どこまでも続く広い道を日々往来している大陸の人びとにとって、日本列島は「未開の地」であるだけではなく、「土地を奪ったところで、山しかない。人が住めない。村と村を往き来できない」わけで、侵略する意欲を削そいだことだろう。まして、騎馬民族なら、騎馬の優位性は激減する。

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