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あれから10年、震災を忘れることは「悪」なのか…“自粛”を繰り返す日本社会への問い

2021年03月12日 公開
2021年07月16日 更新

真山仁(作家)

真山仁氏
(写真:ホンゴユウジ)

日本人はこの10年で、結局のところ何も学んでこなかった――。26年前に阪神淡路大震災で被災し、3.11以降は東北を定点観測して小説でも描いた作家がみる、東北の「いま」と日本社会の病理。(取材・構成:Voice編集部)

※本稿は『Voice』2021年4⽉号より、⼀部抜粋・編集したものです。

 

各人がどう向き合うかを選べるように

1月17日午前5時46分、神戸では毎年、中央区東遊園地で「阪神淡路大震災1・17のつどい」が催されます。私も26年前に自宅で被災した一人ですが、いまや地元でも「風化させないとはどういう意味か」「そもそも被災したのはどこなのか」といった声が聞こえてきます。

ただし、1月17日の朝のニュースでは、NHKだけでなく民放各社が蝋燭の前で手を合わせる人の映像を流す。また、当日は震災当時生まれていない学生や子どもも東遊園地を訪れる。

そんな様子をみて、私もいつしか「これで十分なんだな」と思うようになりました。つまり、かつて1月17日に、こんな出来事があったと伝えるだけでも意味はあるのかもしれない。

とはいえ、一方ではそんなに簡単かつ安直な話ではないとの思いも拭えません。つどいに出席したり報道に触れたりすることで、当時がフラッシュバックする被災者もいるでしょう。

また、メディアは「絵になる構図」を求めて360度から被災者を囲み、被災者以外にも「忘れていないよね、あなたたち」と迫る。その構図への違和感をもつのも、自然な感情だと思います。

私は『そして、星の輝く夜がくる』と『海は見えるか』(いずれも祥伝社文庫)、そして2月に刊行した『それでも、陽は昇る』(祥伝社)と、神戸と東北という被災地をつなぐ連作短編集を発表しています。作中では「震災を忘れるのは悪いことではない」と繰り返しました。

本来、人間は、前を向いて生きていくために辛い過去を忘れるようにできています。だから、忘れることは非難されるべきではないし、忘れることを強いてもいけません。

形式的な儀式には拘らず、それぞれが自分の価値観に拠って、その日をどう悼むのか、いかに振り返るのか、あるいは普通の一日を取り戻すのか、各人の向き合い方を選べる環境がベストのはずです。

もう一つ、震災を「背負わせる」報道は慎むべきだと声を大にしていいたい。一度メディアにでた被災者はその後も継続的に取材を受けるケースが多く、そうすると彼らは自然に「自分にはこういうコメントが求められているんだな」と悟ってしまう。

最初は記者に煽られて絞り出していた台詞も、いつしか自然に自分の口からだすようになるのです。復興における「役割」を被災者に背負わせてはいけないと、取材で直接話を聞くたびに自戒を込めて思っています。

 

「自立」への道のりはまだ遠い

『それでも、陽は昇る』では、阪神淡路大震災から四半世紀が経ち、何が風化して何が残ったのかを、神戸から発信するというミッションを自分に課しました。苦心の末なんとか執筆を終えたいまは、26年経っても震災のことを伝える意味は、ロジックや理屈ではないと感じています。

「こういう経緯で、こういうことがあった」というマニュアル的な内容ではなく、おそらくは、本当は皆が知っているけれども、口にしていないようなものこそ伝えていくべきなのです。

つまり、後世に残すのは、普遍的な内容が望ましく、そうであれば、神戸が通過してきた歳月を参考に、東北の未来をよりポジティブな方向に変えられるかもしれません。

誤解を恐れずにいえば、神戸の10年と東北の10年には大きな差があると感じます。私は3・11以降、東北を定点観測的に訪ねていて、先日も原発取材で足を運びました。沿岸部を訪ねると多くのモニュメントが建つ一方、仮設の建物など阪神淡路大震災から10年後の神戸ではみなかった光景が存在します。

東北の人びとにとっての理想は、自分の足で立ち、自分たちのために生きる暮らしを取り戻すことのはず。それが実現し、震災を忘れられたら、「健全な風化」といえるでしょう。しかし現在の東北は、まだそこに至っておらず、明らかに道半ばです。

そもそも、神戸と東北では震災当時の背景が異なります。阪神淡路大震災が起きた1995年はバブル崩壊後とはいえ、日本にギリギリ活力が残っていました。

一方の東日本大震災が起きた2011年はリーマンショックの3年後で、景気の落ち込みから立ち直りきっていなかった。また、江戸時代から経済の中心地であり続けた自負をもつ阪神地区が、もともと復興への高いポテンシャルをもっていたのも事実です。

地下鉄サリン事件という忌まわしい出来事も、もしかしたら大きな要素だったかもしれません。阪神淡路大震災から2カ月後に起きたサリン事件は、メディアを独占していた震災関連のニュースを脇に追いやりました。

このとき、阪神地区の人びとのあいだに漂った「あ、自分たちは東京に見捨てられたな」という空気は、私もよく覚えています。だからこそ、じつに皮肉な話ですが「ならば自分たちで頑張らなければいけない」という自立心が早くに芽生えたのかもしれません。

背景の違いはあれ、神戸と比べると、現在の東北はまだ国の支援に頼っていて「自立」までは遠いようにみえます。東北が本当の意味で自立するその日まで、被災地の人びとはもちろんのこと、私たちも何ができてどう接していくべきかを問い続けていかなければなりません。

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