2021年03月10日 公開
2021年07月16日 更新
2021年1月、岩手県釜石市にて撮影(事務所提供)
東日本大震災から10年が経った。俳優の渡辺謙氏は、震災直後から被災者と交流し、2013年からは宮城県気仙沼市でカフェ「K-port(ケイポート)」を経営している。新型コロナ禍に直面するいま、我々が震災から得るべき教訓とは。(取材・構成:Voice編集部 中西史也)
※本稿は『Voice』2021年4⽉号より⼀部抜粋・編集したものです。
2011年3月11日の東日本大震災から10年が経ちました。ともすれば、我々は今年を節目の年として捉えてしまいがちです。しかし、いまだに復興の途上にある被災地にとっては、10年の年月が経過したからといって、急に何かが変わるわけではありません。
震災以降、僕は被災された多くの方と交流してきました。彼らはたとえ辛い思い出を抱えていても、いまある現実のなかで前向きに人生を歩んでいる。
僕の目には、一日一日を大切に積み重ねながら、いまを懸命に生きてきた10年だと映っています。そうした現場の思いを、これからも汲みとっていく必要があるのではないでしょうか。
震災から1カ月後の2011年4月、僕は被災地に足を運びました。そして眼前の惨状を目の当たりにして、はたして復興までにどれだけの月日がかかるのだろうか、と言葉を失いました。
あれから10年が経過したいま、ここで区切りをつけるのではなく、継続して被災地に思いを馳せなければいけないなと感じています。
ただ、これまでの政治や行政を見ていると、被災地が何を求めているのか、国、県、市町村のあいだで受け止め方にギャップがあったように感じます。
どうも目線が上から下に向いていて、「予算はもう決まっているから、こう使ってください」と対応しているようにも見えました。現場の人たちが何に困窮し、何を望んでいるのかを事前に吸い上げて予算を組んでいく。そうした流れが大切なはずなのに、現実にはボトムアップの発想が足りていないんじゃないかなと。
また、ひとくちに「被災地」といっても、復旧・復興の進行具合や「思想」は地域によって異なります。たとえば、宮城県気仙沼市は水産業が基幹産業で、海と共に生きてきました。
そのため、震災後は津波対策の防潮堤建設を支持する声がある一方、海が見えなくなるほどの防潮堤を嫌がる意見も根強かった。岩手県釜石市は現在、高台移転や多重防御により浸水しない区域と、建築規制の導入である程度の浸水を許容する区域に分けてまちづくりを進めています。
震災への向き合い方は、被災地によってさまざまです。思想やニーズが地域によって異なることを、僕たちも理解するべきでしょう。
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更新:11月21日 00:05