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あれから10年、震災を忘れることは「悪」なのか…“自粛”を繰り返す日本社会への問い

2021年03月12日 公開
2021年07月16日 更新

真山仁(作家)

 

10年前から何も学んでいない

なぜ私が東北を定点観測し、小説を書いてきたかといえば、3・11が自分にとっても「痛恨」の出来事だったからです。

阪神淡路大震災では大勢が犠牲になる一方で、自分が生き残ったことに不条理のようなものを感じずにはいられませんでした。それからは、小説家に転身した暁には、このモヤモヤした感情を伝えたいと考えていました。

また、阪神淡路大震災では行政の問題もあり、火事が起きているのに消火栓にさしても水がでなかったり、自衛隊を最初のうちは呼べなかったりと、ある意味では「人災」の側面もあったわけです。

そうした点を世に問いたいと考えていながらも、私自身の小説家としての力や経験が足りず、「『ハゲタカ』でデビューした人間が、なぜそんなことを書くんだ」という声もあり、結局は手をつけられなかった。

そんな折に起きたのが東日本大震災です。なぜ、物書きとして事前に警鐘を鳴らせなかったのか。「地震に備えろ」ではなく「地震が起きたときにはこういう問題が必ず生じる」と書くことができなかったのか。

そんな悔恨があり、「今度は自分が最前線で躊躇いなく被災地を見続けて、そして伝えよう」と筆をとったのです。

3・11の前は、自分が阪神淡路大震災で被災したと公に話したことはありませんでした。ですが、東日本大震災が発生した直後から、メディアが子どもたちを追いかけて、「このたいへんな状況でも、彼ら彼女らは笑顔を忘れない。これが人間の力だ」などと報じているのを観て、「これはまずい、被災地の子どもたちが潰される」と直感した。

そのとき、同じく大震災を経験した立場であれば、物申すことができるのではないかとの考えが頭をよぎりました。日本特有の現象なのかは知りませんが、「部外者がしたり顔で語ってはいけない。ただし当事者であれば何を語ってもいい」という社会の風潮がありますから。

そんな思いから生まれたのが、被災地の小学校を舞台にした短編「わがんね新聞」でした。その後もさまざまな問題を織り込んだ小説を書き続けてきたのは、どんな失敗や後悔があったかを、後世の人にも伝えたかったから。10年を機に3作目を書いたのは、東北は「自立」へのまだ道のりがまだ遠いと感じるからです。

昔から「失敗に学べ」と語られてきましたが、私は人間ほど学習しない動物はいないと思う。同じ失敗を繰り返してしまった苦い経験を、誰もがもっているでしょう。

そんな私たちでも、他人の失敗をみて学ぶことはできるかもしれない。そのためには阪神淡路大震災も東日本大震災も、何が起きたのかを正直に話して残すことが大切だと思うのです。

無論、個人に責任を押し付けたり、結果論に陥ったりしては本末転倒です。失敗を責めるのではなく、見落としていたことや、知っているけど知らないふりをしてきたことと向き合い、伝えていかないと、同じ過ちを繰り返すだけなのです。

コロナ禍における社会の反応をみて、私はそうした懸念を深めました。東日本大震災のとき、日本全体が自粛ムードに包まれました。しかし、本来であれば東北以外の地域はむしろ気張って経済活動に勤しみ、その利益で東北に投資すべきでした。

しかし、誰も彼もが自粛ムードで、飲食店を開ければ不謹慎だと罵られる。原発近くの被災地は風評被害に苦しんだ。

あれから10年、事態はむしろ悪化しています。いまならば、20時以降に店を開けていると、張り紙や脅迫をされてしまう有様です。

「3・11のときに過剰反応してしまったから今回は気を付けよう」「当時、東北の被災者はこんな思いをしていたのか」と声を上げた人が、どれだけいたか。結局のところ、日本人は歴史が好きな国民であるわりには、遺憾なことにこの10年間で何も学んでこなかった。

風化を防ぐ取り組みも大切ですが、その前にまだやるべきことがいくらでもあるはずです。

 

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