2020年07月16日 公開
2022年02月22日 更新
コロナ禍は国家的、そして世界的な危機であるが、この難局を確実に乗り越えなければならない。むしろいまは、危機によって世界が生まれ変わる好機である。
「見えない敵」と闘っているあいだ、私たちはいままで「見えなかったもの」が見えるようになった。
大気汚染でいつも霞がかっていたニューデリーなど大都市の青空、インド北部でしばらく見えなかったヒマラヤ、水の都ヴェネツィアの運河、そして水が澱んでいたガンジス河の魚たち。
働き方改革といいながらなかなか進まなかった企業で、それが可能だということ。長い時間、満員電車に乗ってオフィスに行かなくとも、同じだけの、いやむしろより生産性の高い仕事がテレワークで可能であること。
医師と患者が対面し、目で見て触らなければ診療はできないと言われていた遠隔医療も進展した。
ビフォーコロナでは、こうすべき、ああすべき、との「あるべき姿」や「ありたい姿」を議論してもなかなか実行されなかったことが、危機に立って必要に迫られることで一気に進んだのである。「やればできる」ことを実感し、そこで見える世界や価値に新たな発見を見出すことができた人も多いだろう。
いま、感染症の専門家、政治家、経営者、経済学者だけでなく、歴史学者や哲学者など、さまざまな識者がアフターコロナやポストコロナの世界を議論し、提言している。
デジタルトランスフォーメーションを通じて都市集中から地方分散へ、大量生産から小規模の地産地消へ、成長社会から成熟社会、そしてサステイナブル社会へ、などだ。
山口周氏は著書『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)で「未来は予測ではなく構想するもの」と述べている。今後どんな日本、そして世界を創っていきたいのか。将来の「あるべき姿」「ありたい姿」を真剣に議論し、新たな未来を構想する。新型コロナ禍は、そうしたグランドデザインを具体的に切り拓いていくまたとない好機なのである。
更新:11月25日 00:05