2020年04月30日 公開
2023年01月11日 更新
中国評論で名高い石平氏は、魏・呉・蜀が対立と盛衰を繰り広げた三国時代を、コロナウイルスに覆われた21世紀と同じ「乱世」と見る。近著『石平の裏読み三国志』より、希代の英雄・曹操とトランプの共通点を明らかにする。
※本稿は、石平著『石平の裏読み三国志』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです
曹操は三国時代の大乱世を主役として駆け回った英雄の筆頭であると同時に、のちの天下統一への道を切り開いた立役者である。
この時代を代表する英雄といえば、曹操をおいて他にはいない。ある意味では三国時代の歴史は、まさに彼を中心にしてつくられた。
それではこの曹操という人は、いったいどういう人物なのか。若き日の曹操の人となりについて、正史の『三国志』はこう記している。
「太祖(曹操のこと)は若年より機智があり、権謀に富み、男立て気取りでかって放題、品行を整えることはしなかった。したがって世間には彼を評価する人は全然いなかった」(陳寿著、裴松之注、今鷹真・井波律子訳『正史 三国志・魏書Ⅰ』ちくま学芸文庫)
青年・曹操の人となりについてのこの簡潔な描写を読めば、まさに儒教の理想とは正反対の人間であることが一目瞭然であろう。
誠実正直で自分を律すること厳しく、自らの品行を整えるのに余念がない、というのが儒教の理想とする青年像であるとすれば、曹操はすべてにおいて、それとは正反対の自分をつくっている。まさに儒教世界への反逆児そのものである。
曹操がいかに儒教離れしているかを示す、もう一つのエピソードがある。それは、正史の『三国志』が『異同雑語』という書物の挿話として紹介したものである。
曹操と同時代に許子将という人がいて、人物批評家として有名である。あるとき、曹操がこの許子将に「わたしはどういう人間でしょうか」と質問したことがある。
許子将が返事を躊躇っていると、曹操はしつこく訊ねた。やがて許子将は口を開いて「君は治世にあって能臣、乱世にあっては姦雄(かんゆう)だ」といった。そして、曹操はそれを聞いて大笑いして喜んだという。
漢文で「姦人」といえば、もっぱら悪事を働くような悪人のことを指すのである。そして「忠臣・姦臣」という対比語が昔からあったように、「忠臣」の「忠」は儒教世界の最高の価値の一つだとされているのに対し、「姦」はその対極にある言葉で、人に対する悪評価の最たるものである。
儒教的人間からすれば、「姦」と言われたらもはや全人格の否定に相当するものであろう。だからこそ許子将は、最初は曹操の質問に答えるのを躊躇って、再三訊ねられたからやっと「姦雄」の悪評価を口にした。
しかも、それを言い出す前にまず「治世の能臣」と言って曹操を持ち上げていた。曹操が激怒することを予想しての防備線であろう。
しかし、おそらく許子将自身も大いに驚いただろうが、「姦雄」だと言われた曹操は怒るどころか、むしろ大笑いして喜んだ。
このエピソードは、じつは若き曹操の内面世界の二つの側面を如実に表していると思う。
一つは、そのときの曹操は「忠」や「義」などの儒教的価値観を頭から否定していて、むしろ嘲笑的な態度を取っていることがわかる。
「姦」だと評価されての曹操の大笑いの意味はまさにここにある。彼にとって、「姦」の対極にあった儒教の価値観は嘲笑の対象そのものなのである。
さらにもう一つ、このエピソードからは、曹操が自分自身のためにつくり上げた自前の価値観を垣間見ることもできるのである。つまり、彼にとっては「姦」であっても「悪」であっても一向に構わない。
彼はすでに自分の内面において、儒教のいう「善悪」を超えていた。彼にとっては「雄」になることがいちばん肝心で、英雄として雄飛することができることがいちばん重要なのである。
更新:11月23日 00:05