2020年02月26日 公開
2023年04月17日 更新
夕方になると、先輩コックの一人が夜のまかない飯を作り始めた。寿司屋なのでたまには和食も作るのかと思いきや、流しの下から大きな中華鍋を取り出した。やっぱり中華料理の方が口に合うのだろう。
先輩は大型の黒い淡水魚を冷蔵庫から取り出すと、流しで鱗を落とし、水で洗った。見慣れない魚だったが、巨大な鯉の一種のようだ。続いて厨房の床におもむろにしゃがみこむと、なんとプラスチック製のまな板をコンクリートの床の上に直接置き、ヤンキー座りになって魚を豪快に切り分け始めた。
床の上ならば確かに魚の血が飛び散っても水で流せるし、まな板も洗いやすいだろう。合理的とはいえ、思わず目を疑った。日本人にはあり得ない発想だ。
厨房全体は一見すると日本の飲食店とそれほど変わらないのだが、一緒に仕事をしていると、こうした奇妙な衛生感覚をたびたび目の当たりにした。「感覚の違い」というものだろうか。
例えば、厨房内の冷蔵庫や作業台の足が黒ずんでいたので拭こうとしたら、「これで拭けばいい」といって、先輩コックから白いふきんを手渡された。白ふきんはまな板を拭いたり包丁の水滴を拭き取る際に使っていたものだ。
てっきり雑巾にしてしまうのかと思ったが、汚れを拭き終えて手渡すと、先輩は茶色く汚れた部分を内側に畳み、再びまな板の横に置いて今まで通り使い始めた。
勤務中に背後から突然「カーッ!」という大きな声が聞こえることもあった。もしやと思って振り返ると、同僚がゴミ箱に向かってタンを吐いていた。床に吐かないだけまだマシなのかもしれない。
中国人の衛生レベルの低さやマナーの悪さについては、「昔の日本もそうだった」「昭和のマナーもひどかった」と考える人もいるが、私はそれはある程度正しいとは思うものの、全面的には同意できないでいる。
というのは、タイやカンボジア、インドなどの中国よりさらに経済発展の遅れている国に行ってみると、衛生レベルやマナーに関しては、中国よりかなりマシだと感じるからだ。
日本人と中国人の間に横たわる衛生観念のギャップは、単なる経済発展の差というだけでなく、もっと根深い文化的な要因があるように思えてならない。
更新:11月22日 00:05