2020年03月01日 公開
写真:大島拓也
現役世代が高齢者に学ぶべきは「遊び」と「対話」の行ない方である。京都大学総長の山極壽一氏はそう主張する。ゴリラ研究の第一人者が、日本人の「人生」を見つめなおす。
本稿は月刊誌『Voice』2020年3月号、山極壽一氏の「死と生の『間』にいる高齢者の役割」より一部抜粋・編集したものです。
聞き手:編集部(中西史也)
――山極先生は京都大学の総長に就任されて以降も、フィールドワークでアフリカに足を運んでゴリラと接するなど、つねに実践を意識されているように思います。
【山極】私はいま67歳で、れっきとした高齢者ですが(笑)、何歳になっても人に刺激を与える存在であり続けたいですね。
とくに京都大学は、教員も学生もクリエイティビティを何よりも重んじており、異なる分野の人たちが交わって新たなアイデアが生まれる環境が整っています。
もともと本校は、ディベートのように相手を論破する手法ではなく、ダイアローグ(対話)を重視しています。互いに異なる部分を見つけて戦うより、協力し合って「新しい問い」を紡ぎ出すのが伝統的手法です。
こうした自由な校風のおかげもあってか、ノーベル賞受賞者が次々と生まれている。私は総長として、学生に対して環境や年齢が異なる相手と接する大切さを強調しています。
――多様な人と触れ合う場として、大学を機能させる必要があるのですね。
【山極】そのとおりです。人と人とを結び付ける。ここで出番が来るのが、高齢者です。彼らは人生経験が豊富なため、相手に少し接すればどのような人間なのか大方わかるし、他者との対話の仕方も知っている。
ゲートボールや短歌の集まりに行くと、高齢者同士が自然と打ち解け合っているのがよくわかります。
更新:11月22日 00:05