2020年01月06日 公開
2022年07月07日 更新
正統派の語る歴史では、ゲーリングが講和交渉に前向きであったこと(デイヴィス密使交渉)も、ヘスの決死行も語られない。ドイツが講和を願っていたことを書いてしまうと、ルーズベルトとチャーチルの戦争指導が誤っていたのではないか、との疑念を湧かせることになる。
あの戦争は、二人の特異な政治家(ルーズベルトとチャーチル)が作った戦争である。
「二人の怪物(ヒトラーとスターリン)の戦いは不可避である。両者が死闘を続け、国力を浪費した時点で仲介に入るべきだ」と考えていたハーバート・フーバー元大統領の見立て(フーバー著『裏切られた自由』)には、合理性がある。
独ソの戦いは激しいものになっただろうが、局地戦に終始していた蓋然性は十分にあった。そうなっていれば世界大戦にもならず、日米戦争など起きるはずもなかったのである。
ルーズベルトは1941年に入ると、苛めにも似た対日強硬外交を本格化させたが、それは日本を対米開戦させ、それを口実にアメリカが対独戦に、参戦しようという思惑のためであり、あくまで英米両国の対独外交の一側面であった。
この視点(合理的推論)こそが、あの戦争とは何だったのかを解く鍵なのである。
更新:11月25日 00:05