陸海空軍の軍事力を「腕力」とすれば、諜報能力は視力・聴力などの「五感」に当たります。いかに優秀なボクサーでも、目隠しと耳栓をされてはリングに立てません。軍事力の弱い小国であればあるほど、情報収集能力に特化せざるを得ません。明治期の日本はまさにそうでした。
電子機器が発達する以前の世界において、諜報活動の中心はヒューミントでした。敵国にスパイを潜入させ、協力者を確保し、情報を集め、逆に情報を拡散して敵国の世論を誘導する−−−
あまり知られていないことですが、日露戦争のとき日本陸軍はロシア帝国内に諜報工作員を派遣し、革命組織や少数民族の独立運動家に莫大な機密費を提供して混乱を煽りました。その中心にいたのが、明石元二郎大佐です。
明石元二郎は福岡藩士の子として生まれ、ロシア語とフランス語を完璧にマスターしました。
ロシア公使館付武官としてペテルブルクに派遣された明石は、イギリスの情報部員シドニー・ライリー(ジェームス・ボンドのモデル)から旅順要塞の地図を入手しました。
日露開戦後は中立国スウェーデンに移り、ロシア帝国からの独立を図るポーランド人やフィンランド人の民族主義者に資金を提供して、情報を収集するスパイ・マスターとして行動しました。
明石の工作活動の結果、ロシア軍に徴兵されたポーランド兵やフィンランド兵は満州の戦場で日本軍の呼びかけに応じ、次々に投降します。
ロシア帝国は戦争続行が困難となり、米国の仲裁を受け入れてポーツマス条約を締結しました。明石の活躍がなければ日露戦争はもっと長期化し、日本はさらに不利な条件で講和せざるを得なかったでしょう。
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、「アカシは一人で満州の日本軍20万人に匹敵する戦果をあげた」と激賞しました。この皇帝は10年後の第一次世界大戦でロシアと戦い、スイスに亡命していた革命家レーニンを封印列車でロシアへ送り込むという「作戦」を成功させています。
このような日・独の謀略活動の結果、ロシアが共産化し、新たな脅威となるのです。
更新:11月22日 00:05