2019年08月19日 公開
2019年08月19日 更新
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安全保障、インテリジェンス、近現代史などに幅広く精通し、その知見から論壇誌への寄稿も多数の評論家の江崎道朗氏。
その新著『朝鮮戦争と日本・台湾「侵略」工作』では、日本人の多くが“傍観者”だったと思いこんでいる朝鮮戦争において、実は中国、ソ連などの共産勢力が企てていた日本と台湾の侵略の危機という「知られざる歴史」が存在することを述べている。
本稿では同書より、朝鮮戦争が日本人にとって無関係ではなかったことに触れた一節を紹介する。
※本稿は江崎道朗著『朝鮮戦争と日本・台湾「侵略」工作』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。
「朝鮮戦争のとき、空襲警報が鳴ったことがある」
1980年代に大学生として福岡市で暮らしていたとき、何度か、ご年配の方からこの話を聞いたことがある。福岡には、元寇防塁跡なども残っていて、朝鮮半島から元が攻めてきた歴史を感じる遺跡も多い。
近現代史について学ぶサークルに属していたとき、酔うと「元寇」という歌を歌う先輩がいたこともあって、玄界灘(日本海)を超えて「誰か」が攻めてくる、という感覚が自然と身につくことになった。
残念ながら、日本がいくら日本国内に引きこもって安穏に暮らしたい、外国との「つきあい」を謝絶したいと考えたとしても、「外国」はその国の都合や国家戦略に基づいて日本に様々な政治工作を仕掛けてくる。そして、自らの平和と安全を守ろうと思うならば、予め「対策」を講じておかなければならない。外国の「対日工作」に鈍感であってはならないのだ。
そうした冷厳な事実は、現行憲法において戦争を放棄した戦後においても、些かも変わっていない。
では、朝鮮戦争において、日本はどのように関与したのか。
日本共産党政策委員長だった吉岡吉典参議院議員が昭和六十二年(1987年)2月21日付で「朝鮮戦争への日本人のかかわりに関する質問主意書」を提出し、政府に対して次のような質問をしている。
《戦後、日本がアジアでの戦争にどのような形でかかわりあつてきたかを正確にしておくことは、日本とアジアの平和と安全を考えるうえで必要なことである。
日本は、直接戦場にはならなかつたものの朝鮮戦争とベトナム戦争という戦後最大の2つの戦争で、日本なしにはこの戦争は遂行できなかつたといわれるほどの役割を果たした。
とくに朝鮮戦争では、日本は、朝鮮出撃の基地となつたほか、多数の日本人が直接戦場に派遣させられ朝鮮戦争に協力させられて、すくなからぬ犠牲者も出ている。
しかるにその実態はいままであきらかになつていない。そこで、朝鮮戦争のさい、「国連軍」協力のため、日本から朝鮮戦争に派遣された日本人の実態について以下質問する》
こう前置きしたうえで吉岡議員は、朝鮮戦争当時の事実関係の有無を含めて、日本政府の見解を問いただしている。
この質問に対して当時の中曽根康弘政権が答弁書を「閣議決定」のうえで昭和62年4月10日に提示している。実に興味深いやり取りなので、ここでその一部を紹介したい。
更新:11月22日 00:05