2019年08月07日 公開
2022年01月17日 更新
安全保障、インテリジェンス、近現代史などに幅広く精通し、その知見から論壇誌への寄稿も多数の評論家の江崎道朗氏。
その新著『朝鮮戦争と日本・台湾「侵略」工作』では、日本人の多くが“傍観者”だったと思いこんでいる朝鮮戦争において、実は中国、ソ連などの共産勢力が企てていた日本と台湾の侵略の危機という「知られざる歴史」が存在することを述べている。
本稿では同書より、中国共産党が台湾の「解放」を狙うものの「誤算」によって断念せざるを得なくなった状況に触れた一節を紹介する。
※本稿は江崎道朗著『朝鮮戦争と日本・台湾「侵略」工作』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。
中国共産党が台湾「解放」(軍事侵攻と併合という意味)の準備に奔走していた1949年4月、モスクワでは金日成が「北朝鮮による韓国攻撃によって南(韓国)では、韓国の共産主義者たちが蜂起し、ごく短期間で容易に南(韓国)を制圧できる」などと主張し、スターリンから「朝鮮統一」の許可をもらっていた。
ゴンチャロフ氏らは、スターリンには、次の四つの思惑があったと分析している。
一、朝鮮半島全体を共産圏に入れることにより、ソ連の安全保障のための緩衝地帯を拡大する
二、来るべき大戦に備えて日本攻撃の橋頭堡(きょうとうほ)を確保する
三、米中間に楔を打ち込む
四、アメリカ軍を欧州から離れたところに釘付けにする
スターリンにとって朝鮮戦争は「来るべき大戦に備えて日本攻撃の橋頭堡(足場)を確保する」という意味合いがあったことは、記憶に留めておくべきだろう。
スターリンは金日成の要請に応え、その後二カ月間で北朝鮮軍を大増強したほか、ソ連軍の将校に命じて作戦計画を作らせた。その結果、開戦時の北朝鮮の戦力は、兵員と火砲が韓国の二倍、重機関銃七倍、戦車6.5倍、航空機6倍に達した。
作戦計画を作ったソ連軍将校らは、進軍速度一日あたり15~20キロで、22~27日以内に勝利できると見積っていた。
一方、毛沢東は、台湾「解放」計画に没頭していた。台湾対岸に兵力を集めるのに予想外に手間取ったため、6月初め、中央軍事委員会は台湾攻撃を1951年夏に延期したが、本土と台湾の中間にある重要な島の攻略は進める計画だった。
更新:11月16日 00:05