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日本軍の撤退後の韓国に「独立と平和」はなかった…相次いだテロと暴動

2019年08月06日 公開
2019年08月07日 更新

江崎道朗(評論家)

 

韓国と北朝鮮の誕生後も、各地で発生し続ける暴動

翌1947年7月に米ソ対立もあって、朝鮮半島国連信託統治構想は頓挫してしまう。そこで米国は朝鮮問題を国連に持ち込み、国連は1947年11月14日に国連監視下で南北朝鮮総選挙と統一政府樹立を行うことを決定した。

翌1948年一月に、国連は国連朝鮮委員団(UNTCOK)を朝鮮へ派遣し、総選挙実施の可能性調査を行った。

ところが、ソ連がUNTCOKの入北、つまり北朝鮮への入国を拒否したため、国連は2月26日にUNTCOKが活動可能な南朝鮮単独での総選挙の実施を決定、5月10日に南部単独総選挙を実施した。

選挙によって成立した制憲議会は7月20日、李承晩を大韓民国大統領に選出し、8月15日、李承晩が大韓民国政府樹立を宣言した。この動きに対抗して9月9日、朝鮮半島北部では金日成の下で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)として独立を宣言した。

こうして朝鮮半島には、韓国と北朝鮮という二つの政権が誕生したのだが、韓国では、共産党系の暴動が相次ぐ。

南朝鮮での総選挙が実施された1948年2月、共産党系の南朝鮮労働党の指導により韓国各地で反米ゼネストが行われ、その際、北朝鮮から大量の朝鮮銀行券が持ち込まれ、暴動資金として使われた。

4月3日には、済州島で大暴動が発生した。南朝鮮労働党済州島委員会軍事部長・金達三の指揮によるものだった。

10月19日には麗水と順天(いずれも韓国全羅南道)で韓国軍の第十四連隊が叛乱、警官隊と衝突した。そのすさまじい惨状を10月26日のAP電は次のように報じている。

《「順天、AP通信トム・ランバート特派員26日発――流血に彩られた順天の町は、昨夜来、銃声以外には、暗黒と静寂だけの死の巷と化した。

麗水で叛乱が起こってから二日の間、叛乱部隊は、殺人と残酷をもって順天を支配した。政府軍が奪回するまでに約六百名が殺されたといわれ、また叛乱部隊に加担していたという理由で、少なくとも22名が、政府軍および警察によって処断された。

韓国軍第十四連隊の軍事顧問ゴードン・D・モールと、スチュアート・グリーンバウム両中尉の語るところによれば、叛乱はこの数カ月間、共産系ゲリラ部隊が活動している済州島への移転命令に反対して、麗水に待機中の十四連隊の兵士がひき起こしたものだと語っている。

事件の二週間前に、第十四連隊所属の呉東起中佐が、共産活動の疑いで逮捕された事件があったが、この呉中佐により、同連隊の七五パーセントがオルグされたと信じられている。

かつては、水田地帯の平和だった順天の町の道路には、殺害された人々の死体が横たわり、悲嘆にくれた女や子どもが、見失った父親や肉親を、死体につまずきながら探している。陽が暮れると、町にはまったく光が見えなくなり、順天は、当初報道されたより、はるかに惨憺たるものであった》

日本敗戦後の朝鮮半島、特に韓国側では、それまで治安を担当していた日本の朝鮮総督府が解体された隙をつく格好で、共産党系が意図的に暴動を引き起こしていたのだ。

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