2018年12月25日 公開
2023年02月22日 更新
韓国大法院は、協定が前提としている法理論を否定する、ということまではしなかった。実際には伝統的な行政府の解釈を無視したのだが、請求権協定を否定はしていない。
ただその適用範囲に関する新しい考え方を補強した。日本政府は、したがって現状を、国際法と国内法の二元的な「等位理論」に沿って理解しておくべきである。
国際法の判例集などには出てくる「光華寮事件」という有名な日本国内の判例を参照してみよう。これは中華民国(台湾)が留学生のために購入した宿舎の使用をめぐって起こした民事訴訟の判例である。
訴訟中の1972年に、日本政府が日中共同声明を通じて中国政府の承認の切り替えを行なったため、中華民国の当事者能力が争点になった。
日本の裁判所は、「中華人民共和国が中国の唯一の合法政府であることを承認」した日本政府の立場を尊重しつつも、中華民国にも一定の実体があるため、民事訴訟における訴訟当事者能力は認める、という判断を行なった。
政府間関係の理解の枠外で、民事訴訟の私人・非国家組織の関係がありうることを、日本の司法府が独自に判断したわけである。
国際法は、これを許容する。国際法は、一方的に国内法に対する優越を唱えて国内法を否定して見せる法体系ではない。
むしろ国際法規範と国内法規範は併存しうる、と考えるのが、普通の国際法的な考え方である。いわゆる二元論的な「等位理論」である。
国際法と国内法は、つねに完全に一元的に一致するわけではないが、それはたんに両者が異なる法体系だからだ、と認めるのが、「等位理論」的な考え方である。
国際法と国内法は、一致しないまま併存するがゆえに、調和を求める。しかし、時に逆に矛盾を抱え込み、義務の衝突をもたらすこともある。
そこで必要になるのは「調整」である。「等位」理論は、必然的に「調整」理論のこととなる。
現在、日本政府が韓国政府に求めているのは、この意味での「調整」であるといえるだろう。国際法を通じて韓国と接する日本政府は、その「調整」努力を支援し、促進していくべきである。
つまり韓国の国内法廷で私企業に負わされた責任は、国際協定の趣旨からすれば韓国政府が対応すべきものであり、それにしたがって韓国政府が財政措置や立法措置を取ることを期待しなければならない。
日本における原爆被害者の例を見てみよう。米国による広島・長崎への原爆投下は、国際人道法違反の疑いが強い。
サンフランシスコ講和条約にかかわらず、国際人道法違反による不法行為に対する損害賠償請求は可能だ、という主張の余地は、理論上はありうるかもしれない。
しかし実際には、日本政府は、独自の被爆者救援制度を導入し、対応している。それは戦後国際秩序を尊重し、日本と米国のあいだの特別な関係に配慮して、米国に対する損害賠償請求の可能性を排除する要請と、被害者を救済する要請とを、「調整」している結果だといえる。
請求権協定を結び、それにもとづいて経済支援も受け取った韓国政府は、同様の措置を取る責任を負っていると解釈すべきだろう。
日韓の請求権協定は、経済支援が主な内容となっていた。個人救済の必要性を否定することなく、日韓のあいだの請求権をめぐる紛争を防ぐことが、協定の趣旨なのだ。両国政府は、この協定の趣旨に、依然としてコミットしている。
日本政府が追求すべきなのは、こうした「調整」措置の可能性であると思われる。したがってまずは韓国政府が、そうした「調整」措置を取ることを要請すべきなのである。
更新:11月22日 00:05