2018年09月07日 公開
2019年04月03日 更新
この時、警視庁は一連のオウム事件捜査の真っ只中にあり、井上幸彦はその最高司令官で、櫻井は長官狙撃事件を指揮する現場の最高責任者であった。捜査の最中にリーダーの顔ぶれが一新されたのだから、現場が混乱し、捜査に支障を来したことは当然であろう。
しかも、國松は櫻井の後任に、子飼いで信頼の厚い暴力団対策部長の林則清を据えた。林は暴力団捜査の第一人者で「刑事警察のエース」と言われた人物だったが、公安捜査に関しては門外漢であった。
そもそも長官狙撃事件の捜査は刑事部が行うべきものであり、続発するオウム事件で手が足りず、公安部が担当したという経緯があるだけに、それ以降の捜査が円滑に行われるわけはなかった。
さらに、これらの対立の背景には人事を巡る警察上層部の派閥抗争、即ち内部の権力闘争がチラついており、それこそが第三の問題点と言っていいだろう。
櫻井は國松の前任者である城内康光の側近で将来の長官候補と言われた人物だったし、林は反井上の急先鋒だった。
実際、林は子飼いの刑事たちを使って狙撃事件を再捜査し、それまで中心となって捜査に当たってきた公安幹部を追放したり、まるで当てつけのように大々的に川浚いを行って、公安警察に地団駄を踏ませている。
元巡査長がオウム信者ではないかとの疑惑は早い段階から出ていたのに、庇い立てか隠蔽したのか人事、監察との連絡が悪く、こともあろうに地下鉄サリン事件特捜本部に派遣するなど警察組織の危機管理体制が欠如していたと言われても仕方ない状態であった。
少なくとも狙撃事件が起きる数日前、押収した信者リストで元巡査長の存在が確認された段階で対処していればこうした疑惑は防げたのだが、人事一課監察チームが警視庁の寮にある元巡査長の部屋を捜索したのは狙撃事件当日の三十日であり、そこでオウム関連の書籍などを発見して信者と断定したのは明らかに手遅れであった。
こうして見ると、元巡査長騒動の端緒となった内部告発も警察内部で反対勢力の策謀ではないかと犯人探しに躍起になっていたというし、長官を狙撃した拳銃弾が警察官が所持している拳銃「ニューナンブM60」の弾丸と似ている点も不気味である。
だが、ここで最も問題だったのはそうした思惑に加え、秘密保持の必要性から元巡査長の供述に対し、十分な裏付け捜査が行われなかったことである。
(本稿は、一橋文哉著『オウム真理教事件とは何だったのか?』〈PHP新書〉を一部抜粋、編集したものです)
更新:11月23日 00:05