──本書『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか』の執筆の背景について教えてください。
石 いまからおよそ25年前、神戸大学大学院に留学したとき、日本の思想史に関心をもつようになり、いろいろと関係の書籍を読み漁りました。その過程で、本書の執筆につながる一つの興味深い「発見」があったのです。
日本の思想史で登場する人物を辿ると、古代から室町時代までは、空海や親鸞に代表されるように、ほとんどがお坊さんです。つまり、仏教関係者でした。ところが江戸時代に入ると、仏教関係者は姿を消して、代わりに儒学者が登場するのです。
5~6世紀のあいだに、仏教と儒教は、ほぼ同じタイミングで日本に入ってきたわけですが、日本国内で広まった時期はまったく異なります。これは興味深い事実のはずですが、その理由を解説している本が見当たらない。そこで、自分の手で解き明かすしかないと考えました。
もう1つ、本書執筆の問題意識に関していえば、私自身、留学以来、毎日さまざまな日本人と接して、その性質や特質を理解してきたつもりです。そこで感じたのが、日本人と中国人では、物事の考え方・捉え方が根本から違う、ということです。「日本人が中国の思想から大きな影響を受けてきた」と日本の思想史にはよく書かれていますが、私にいわせれば、「影響を受けた」にもかかわらず、実際の両国民の精神性がまるで「正反対」なのはいったいなぜなのか。それこそが問題です。
――たとえば、どんな点が異なるのですか。
石 最も大きいのは、生き方の美学です。日本人は「汚いことをやりたくない」「卑怯なことはしたくない」と思っている。これらが社会のなかにエートス(倫理)として流れている。日本に住んでいるとわかりませんが、日本社会の道徳規範は、やはりまだまだ高いといえるでしょう。一方、中国に目を向けると、人びとのあいだには、私利私欲や利得的打算が渦巻いています。どんな手段を用いてでも、結果を残せばいい。そう考えている人は、決して少数派ではありません。
こうした両者の違いは、「日本人が中国の思想から影響を受けた」という従来の視点からは、とても説明がつかないのです。そこで私は、「日本人は中国の思想から影響を受けつつも、その影響から脱して、独自の思想をつくり上げたのではないか」という仮説を立てたのです。
――まさに、本書の「脱中華の日本思想史」というコンセプトにつながりますね。
石 前述したように、そうした視点から日本の思想史に迫った書籍は、私が知る限りは1冊もありません。ならば、私自身が取り組もうと考え、資料を収集し、試行錯誤を重ねて完成させたのが本書です。
また昨秋、第2期政権をスタートした中国の習近平国家主席が、「大中華秩序」の回復を盛んに唱えていることも、執筆を後押ししました。
――その「大中華秩序」とは何ですか。
石 習主席が強く意識しているのが、中国を頂点とする世界秩序、すなわち中華秩序の再建です。1840~42年のアヘン戦争以来、中華秩序は崖を転がり落ちるかのように、それまでの覇権を失いました。西洋列強に蹂躙され、挙げ句の果てには、東夷と見下していた日本にまで日清戦争で敗北して以来、国威は落ちる一方でした。
そこで起ち上がったのが毛沢東であり、1949年に中華人民共和国を建国。それを受け継いだ鄧小平は資本主義的な政策を取り入れて、経済と軍事大国への道を切り拓きました。ここに中華秩序復活の礎が築かれたわけです。習主席はさらに中国の強国化を推し進めることによって、近代以来の「屈辱」の歴史に終止符を打つことを、自らの使命と捉えています。
――そんな習主席の思惑は、どのような言動から見て取れますか。
石 昨年11月8日、トランプ大統領が訪中した際に習主席が何をしたかといえば、北京の故宮博物院の案内です。もともと故宮は、明、清という2つの王朝の宮殿であり、中国共産党政権が外交の場に用いたのは初めてのことです。「かつては中国こそが世界の主であった」ということをアピールするためでしょう。まさしく、中華思想の表れというほかありません。
(本記事は『Voice』2018年3月号、石平氏の「儒教ではなく仏教を選んだ聖徳太子の思想戦略」を一部、抜粋したものです。全文は現在発売中の3月号をご覧ください)
更新:11月21日 00:05