2018年02月13日 公開
2024年12月16日 更新
聞き手:編集部(中西史也) 写真:吉田和本
――2002年10月から『毎日新聞』で連載していた「毎日かあさん」が17年6月に終了し、単行本は14巻の「卒母編」で完結しました。娘さんが16歳になり反抗期が始まったことで、西原さんが「卒母」を宣言された経緯からお聞かせください。
西原 娘は16歳で舞台を始めたり、自分の道を歩み始めました。朝は自分で起きて学校に行き、塾にも通っている。精神的にも自立しているので、あとは本人に任せるしかないと感じました。現在大学生の息子が、突然アメリカに留学すると言い出したのも、16歳のときでした。わが家の場合は、16歳が自立する節目なのかもしれないな、と。
――子どもに対して親がどれだけ介入するか、放任するかは難しいところです。
西原 ある友人から「子どもに手を貸さないのは難しいことでしょう」といわれたことがあります。家庭によって置かれた環境が違うので、一概にはいえませんよね。たとえば学校でいじめられていたり、不登校だったりという場合は、親が支えになる必要がある。成人しても、ブラック企業に呑み込まれて抜け出せなかったら、親が助けなければならない場合もあるでしょう。
ただ私の子どもは2人とも生意気で(笑)、ある意味強いんです。友人もいるみたいだし、単独行動もできる。「自立したい」といっている子に親が干渉しても、反発を生むだけ。夫婦でも恋人でも、一緒に居すぎるとだいたい喧嘩になってしまうでしょ? 不毛な言い合いをしていても、お互い気分が悪いだけ。親子関係も同じで、適切な距離感がいるなと思っています。
――連載開始当初は、西原さんの仕事と子育ての両立に対する風当たりが厳しかったようですね。
西原 10年以上前の日本には、ある種の「子育て神聖論」がはびこっていました。家事や育児で「そこまで必要?」といいたくなることを求めるんです。食材はオーガニックでないと、水は〇〇のもの、加湿器はこのメーカーで、とか……。ご飯もちゃんと手作りしないと怒られるでしょ。「子どもがかわいそうだ」とかいって。
仕事をしているお母さんは、家に帰ったらくたくたです。専業主婦だって、小さな子どもを見ながら家事を完璧にするのは大変ですよ。いまのご時世、お店に行けばおいしい冷凍食品やお惣菜が簡単に手に入ります。余計な労力を使う必要はない。それでも少し手を抜くと、「育児を放棄している」といわれる風潮がありました。ここまで母親が責められる国はほかにないと思いますよ。
――約16年間の連載を経て、世間の子育てへの考え方は変わったと感じますか?
西原 だいぶ変わってきましたね。出産でいうと、私がTwitterで無痛分娩の必要性を訴えたことに対して、大きな反響があったのは、嬉しかったです。かつては、自然分娩がいちばんで母親にはそれに耐えうる力がある、という言説が広がっていました。そんなものは根性論でしかない。無痛分娩に文句がある人には、「麻酔なしで開腹手術をしてみろ」といってやりたいですね(笑)。
――仕事をする母親への理解は深まってきたとはいえ、育児と両立した完璧な母親像を求める風潮はいまだにありますね。
西原 日本は子育てに対する神聖論・根性論が根強いので、気を病んでしまうお母さんがたくさんいます。学校のPTAはその典型です。PTAの活動に時間を取られることに不満を抱くママ友の声をよく聞きます。「子どものため」にやらざるをえないものの、そのほとんどが子どものためになっていない。保護者同士で役職を押し付け合うことに時間を使うくらいなら、どんなブラック校則よりも先に、PTAをなくすべき。
(本記事は『Voice』2018年3月号「著者に聞く」西原理恵子氏の『毎日かあさん14 卒母編』を一部、抜粋したものです。全文は2月10日発売の3月号をご覧ください)
更新:12月30日 00:05