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登山で死なないための教訓

2017年05月08日 公開
2022年12月28日 更新

野口健(アルピニスト/富士山レンジャー名誉隊長)

雪崩による事故の大半は人が起こしたもの

そもそも知っておかなければならないのは、「雪崩による事故の大半は人が起こしたものである」ということです。

じつは、雪崩による遭難は8割方、他のパーティ(登山者のグループ)または自分たちで起こした雪崩が原因です。集団で地面を踏みつける振動や、山スキーで斜面を横切ることによる雪の面の切断が、人為的な雪崩を生んでしまう。今回の事故のように、第2ゲレンデ上の「天狗の鼻」近くの危険地帯に10数人がずかずかと踏み込むことで、雪にそうとうのダメージを与えて雪崩を呼び込んだことは想像に難くありません。

それだけに、雪山に登るにあたっては「石橋を叩いて渡る」以上の注意が求められます。

雪崩の心配がある場所に行くときは、先遣隊が入り、その地点の周りをドーナツ円状にスコップで掘っていく。残った中央の部分を横から見て、断層の状態から「崩れそうか否か」を判断する【図2】。さらに表層の部分を押してみて、ストンとすべり落ちないか、雪の状態を確かめる。これが「安全を確認する」という具体的な行動です。

ところが前述の専門委員長は、雪崩の有無を判断した理由について、次のように話していました。

「雪の量がさほど強くない。風もほとんどない。スキー場に新雪が積もっていたが30㎝くらいで、歩行訓練には向いていると判断した。7時半に管理事務所から現場を見た。3人で状況確認をした。雪はぱらぱら、風はない。雪崩の危険はないと確認した」

これがいかにいい加減な「確認」だったかは、すぐにわかります(ここでも「3人で確認をした」という責任回避の言葉が入っています)。8人を死に追いやったのは、「天狗の鼻」の近くまで上がって下見すらせず、「管理事務所から」山の状態を眺めていた専門委員長の「判断」の結果なのですから。

まともな登山経験者なら、生徒を引率する際は必ず自分が同じコースを登って下見をします。そして前述のような先遣隊による雪質の確認を行なう。人の命を預かる以上、当たり前のことです。

さらに「判断についていまどう考えるか」という質問に「そのときには絶対安全と判断した。(中略)いま現在はその判断が私としては、こういうことになってしまったことを反省しなくてはいけない」と語りました。
「雪崩が起きないと思った根拠は過去の訓練か」という質問には「そうだ。私も一度か二度そこに行ったことがある」と答えています。

この一連の発言には、基本的な誤りが多すぎて言葉を失います。

まず「一度か二度そこに行ったことがある」というのは、登山の安全を保障するうえで何の判断基準にもならない。山は自然そのものですから、季節や天候、時間や場所によってその都度、大きく変わる。同じ山であっても条件によってまったく別物になる。だからこそ事前の準備と確認が重要なのです。にもかかわらず、なぜ「絶対」という言葉を付けて安全を語れるのか。この時点で、専門委員長が専門家ではないことがわかります。

さらに「反省」という物言いは、8人が犠牲となった事故の責任者の口から絶対に出てはならないものです。あまりにも言葉が軽い。

 

プロや名人をガイドに雇うべき

その意味でもう1つ、大切な教訓は「ガイドの不在」です。たとえば僕が全国で環境学校を開くときは、「その山を最も知っている人」を案内役に連れて行きます。地元の山に精通した登山家や名人、青森県の白神山地であれば白神のマタギ(東北・北海道の狩猟者)の人を雇う。

公立の教育機関が生徒の命を預かって山に連れて行くのであれば当然、現場を熟知したプロや名人をガイドとして雇うべきです。参加者の頭割りにすればそんなに高額ではないし、親からすれば、わが子の命を守ってくれるなら安いものでしょう。

今回の事故のいちばんの問題は、これまで述べてきたような知識や経験のない大人たちの判断で、未来ある高校生の命が絶たれてしまったことです。専門委員長は登山歴の長いベテランと報じられていましたが、年期の問題ではありません。たとえ「登山歴20年」であっても、年間登山数が少なければ熟練者とはいえない。「どの山のどの場所に、いつの季節に何回、登ったか」によって経験の内容は大きく異なるからです。あの事故を見るかぎり、熟練者の判断とはとても思えません。

また、生徒7人を引率した教諭は、パーティの先頭を歩いていたそうです。後ろについて登る生徒たちにしてみれば、先生を信じるほかないではありませんか。

もしかすると教諭たちには、せっかくここまで来たのだから「天狗の鼻」まで登らせて、冬山を登った思い出をつくらせてあげたい、という思いがあったのかもしれない。それでも頭の片隅に「雪崩が起きるかもしれない」という意識があったら、あの悲劇は起こらなかったでしょう。

「していい無理」と「してはいけない無理」の線をどこで引くか。どこまで登り、どこで引き返すか。すべては先頭の判断にかかっています。新著(『震災が起きた後で死なないために』)にも書きましたが、僕は娘が小学4年生のとき、冬の八ヶ岳に連れて行ったことがあります。朝からマイナス17度という気温で風も強く、あらかじめ山頂までは登らない、と決めていました。娘にはあえてそれを伝えず、吹雪のなかを山小屋まで登らせて「今回はここまでだよ」といって下山しました。娘にしてみれば指が痺れ、顔も痛くなって身の危険を感じたでしょうが、それは織り込み済み。「行けるところまで行った」のが貴重な経験になったようで、「リベンジしたい」といってきた。中学1年の冬、もう一度2人で登って無事、登頂しました。

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著者紹介

野口 健(のぐち・けん)

アルピニスト

1973年、米国ボストン生まれ。亜細亜大学卒業。植村直己の著書に感銘を受け、登山を始める。16歳にしてモンブランへの登頂を果たす。99年にエベレスト(ネパール側)登頂に成功し、7大陸最高峰最年少登頂記録を25歳で樹立。以降、エベレストや富士山に散乱するごみ問題に着目して清掃登山を開始。2007年、エベレストをチベット側から登頂に成功。近著に『ヒマラヤに捧ぐ』(集英社インターナショナル)、『世界遺産にされて富士山は泣いている』(PHP新書)など。

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