2015年04月10日 公開
2023年02月01日 更新
「いまも、なぜ私が生き残れたかということが不思議でなりません。このペリリューは私にとって第二の故郷のようなところです」
空と海を真っ赤に染め、いままさに水平線に沈まんとするペリリューの夕陽を眺めながら、御年94歳の土田喜代一氏は感慨深げにそう語った。
土田喜代一元海軍上等水兵――大東亜戦争末期のパラオ諸島ペリリュー島攻防戦(昭和19年9月15日~11月24日)で米軍と死闘を繰り広げ、戦後1年8カ月後に生還を果たした不死身の英雄である。
「この一戦に負けるわけにはいかない!負ければ祖国が危ない!だから戦い続ける!」
土田氏は、至純の愛国心と敢闘精神で、終戦後も33名の戦友と共に戦い続け、そして昭和22年4月、ついに米軍の停戦の申し入れを受け入れて無事帰還を果たしたのだった。
「井上さん、私は今回が最後だと思います。どうか一緒に来ていただけないだろうか……」
ある日、土田氏から電話があり、そんな英雄の言葉に突き動かされた私は、ペリリュー戦70周年に這ってでも参加するという土田氏の雄姿を見届けるべくパラオに飛んだ。
そして迎えた2014年(平成26)9月15日、米軍上陸から70年目のその日、ペリリュー小学校で"Joint Battle of Peleliu 70th Anniversary Ceremony"(ペリリュー戦70周年日米合同記念式典)が催された。
この日、式典会場は、地元の子供たちを含むペリリュー島民と米軍関係者らで満杯だった。
そして式典のハイライトは、かつてこの地で戦った日本軍兵士と米軍兵士の"再会"だった。
司会者から恭しく名前を呼ばれた土田喜代一氏は、孫娘に支えられながら2本の杖を頼りに会場中央に進み、同じく反対側からゆっくりとした足取りでやってきた元海兵隊員ウィリアム・ダーリング氏と対面したのである。
向き合った2人はそれまでの笑みを止め、軍人らしく挙手の礼を交わした後、再び満面の笑顔に戻って固い握手を交わしたのだった。
2人に言葉は必要なかった。言葉が通じなくとも心で通じあったのである。まるでかつての旧友と再会したかのように満面の笑みで見つめあい、2人は何度も何度も固い握手を上下に振った。それでも喜びを伝えきれなかったのだろうか、2人は互いの背中に手を回して抱きあったのである。
なんと美しい光景だろう。
式典会場は2人に万雷の拍手を送り、平和裏の"再会"を祝福した。土田氏とダーリング氏は再度固い握手を交わした後、来場者席に向き直って挙手の礼でその祝福に応えたのだった。
更新:11月22日 00:05