2015年04月10日 公開
2024年12月16日 更新
<写真提供(c):井上和彦(以下同じ)*転載厳禁>
日本人にはあまり知られていない親日国であるパラオ共和国。ジャーナリスト井上和彦氏が、パラオ共和国が親日国となった感動の理由と、現代に受け継がれる戦争の記録を紹介します。
※本稿は、井上和彦 著『パラオはなぜ「世界一の親日国」なのか』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
スキューバダイビングをはじめマリンスポーツのメッカとして日本でもよく知られた「パラオ」。
だがこの国が、第一次世界大戦後に日本の委任統治領となり、過去の一時期を日本と共に歩んだ世界屈指の"親日国家"であることはあまり知られていない。
そんなパラオ共和国には、日本人が知らない"感動の歴史"があった。
その代表がパラオ国旗であろう。平成6年(1994)に独立を果たしたときに制定された"月章旗"と呼ばれるこの国の国旗は、日本の"日章旗"にちなんだものとされる。この国旗は、否応なく日本人のパラオへの親近感を呼び起こす。
そしてパラオでは、いたるところに日本時代の建物が遺されており、そのいくつかは今でも現役で使われているから驚きだ。
また、「ダイジョウブ」(大丈夫)、「オカネ」(お金)、「コイビト」(恋人)など数多の日本語がパラオ語となって日常に飛び交っているほか、パラオ人の名前には、スギヤマさん、ジローさん、タローさんなど明らかな日本名が多く使われていることに仰天する。
なにより忘れてはならないのが、かつて強大な米軍と勇敢に戦った日本軍将兵を、パラオの人々が讃え、その武勇を語り継いでくれていることだ。
昭和19年(1944)9月15日、日本の統治領であったパラオ諸島のペリリュー島に侵攻してきた米軍を迎え撃ったのは、中川州男〈くにお〉大佐率いる日本軍守備隊だった。
ただひたすら国難を救わんと、至純の愛国心に燃える日本軍将兵は、その数的劣勢をものともせず、敢然と米軍の前に立ちはだかり、米軍は未曾有の損害を被ることとなった。
勇戦敢闘するペリリュー守備隊に対して、天皇陛下から実に11回もの御嘉賞が贈られた。ゆえにペリリュー島は"天皇の島"と呼ばれたのである。
日本軍将兵の勇猛果敢な戦いぶりは戦後、地元民の手になる『ペ島(ペリリュー島)の桜を讃える歌』となって語り継がれているが、この事実は、パラオでいかに日本軍人が賞賛されているかの証左であろう。
ペリリュー島沖合い10キロの外洋に浮かぶアンガウル島でも、日本軍守備隊は強靭な精神力で戦い抜いた。こうした日本軍守備隊の不撓不屈の精神と勇猛さに米軍はいたく感銘し、加えてパラオの人々は日本への尊敬と畏敬の念を強めたのである。
このたび、そんなパラオへ天皇皇后両陛下が御行幸啓されることとなった。
かつて同じ歴史を歩んだパラオ共和国への御行幸啓はたいへん意義深い。
この地で散華された英霊に対する、なによりの鎮魂になることはいうまでもないが、今次の御行幸啓を契機に、これまで封印されてきた日本の輝かしい近現代史の真実が明らかになるからである。
そして、この地で日本軍将兵がいかに勇敢に戦い、そのことが地元パラオの人々の親日感情にどれほど大きな影響を与えたかを知る契機ともなろう。
どうかこの両陛下の御行幸啓を契機に、拙著を片手に1人でも多くの日本人に親日国家パラオを訪れていただきたいものである。
更新:12月28日 00:05