
独裁者を打倒すれば、その先には民主主義と自由な社会が待っている――。
歴史を振り返ると、必ずしもそうとは限りません。クーデターや革命によって独裁が終わっても、新たな独裁者が現れたり、暴力の連鎖によって民主化が遠のいたりすることがあります。さらに、かつての強い指導者や体制を懐かしむ人びとの心理も、独裁を繰り返す一因となり得ます。
愛知大学国際コミュニケーション学部准教授の大澤傑氏が、世界各国の事例や研究をもとに、独裁崩壊後の民主化の難しさと「独裁政治のサイクル」を断ち切るための課題を読み解きます。
※本稿は、大澤傑著『独裁者の手口 なぜ権力を握り続けられるのか』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
体制に対する不満が爆発したり、その有用性を示せなくなったりした結果、独裁は体制の内外から打倒されてきました。エリートによるクーデターや暗殺、市民による革命、そして外部による強制によって独裁は倒されてきたのです。
では、独裁が終わった先には明るい未来が待っているのでしょうか。残念ながら、独裁者の打倒が必ずしも民主主義をもたらすとは限りません。むしろ、さらなる独裁を呼ぶ可能性があります。
実際、ウガンダにおけるミルトン・オボテ政権に対するクーデターや、インドネシアで1965年に生じた9.30事件に伴うスカルノの失脚は、前者はアミン、後者はスハルトという新たな独裁者の誕生につながりました。
ある研究によれば、クーデターは新たなクーデターを正当化するとされます(マーセル・ディルサス『独裁者の倒し方』)。ゆえに、いかに独裁者が憎くとも、それが打倒される出来事が真に国家にとって望ましいかどうかは注意を要するでしょう。
英国の作家、ジョージ・オーウェルが描いた『動物農場』では、動物をこき使っていた牧場主を追い出した動物たちが、豚をリーダーとし、新たな独裁が構築される過程が描かれています(ジョージ・オーウェル『新訳版 動物農場』)。独裁の打倒は民主主義を約束しないのです。
独裁を志す者があらゆる言説を使って自身の権力奪取の正しさを訴え、体制を維持してきたことからも明らかです。
実際、戦後、独裁のあとに民主化した事例は約半分だとされています。なかでも、とくに個人支配型の独裁の崩壊は、民主主義につながる可能性がほかのタイプと比べて低い傾向にあります(エリカ・フランツ『権威主義』)。これは、個人支配の場合は、独裁者の取り巻きが体制を守ろうとする結果、移行に暴力が伴い、民主的な結末になりにくいことに起因します。
こうした傾向をもとに、フランツはどのような独裁の崩壊の形態であれ、民主化するか否かは暴力の程度によると主張します(『権威主義』)。
たしかに、ハンティントンが述べた民主化の「第三の波」において決定的になったのは、選挙の重要性とそれに伴う非暴力的な規範でした(サミュエル・ハンティントン『第三の波』)。しかし、暴力を振りかざす独裁者を相手に、非暴力で抵抗することは簡単ではありません。人口の3.5%が非暴力的な運動に参加すれば、その国の体制は崩壊すると主張する研究が示すように、非暴力的に独裁を転覆するには多くの人びとの参加が不可欠なのです(Erica Chenoweth, Civil Resistance)。しかし、自らが暴力の対象となるかもしれない活動に市民が参加することは相当の勇気を要するでしょう。
暴力は新たな暴力を生む可能性があります。ゆえに独裁を倒すことが、必ずしも民主化、すなわち人びとの自由や平等につながるわけではないことは理解しておく必要があります。
さらに、人間にはノスタルジーを抱くという習性もあります。飢餓輸出をし、強制出産によって多くの孤児を生み出したチャウシェスクに対して、最近では66%のルーマニア人が投票したいと述べ、ソ連時代が自国の歴史で「最も偉大な時代だった」と回答するロシア人は75%いるそうです。
共産主義時代へのノスタルジーは近年の民主主義と資本主義に対する失望と、当時の国家やリーダーに対する帰属感やアイデンティティを示しているのかもしれません(アグネス・アーノルド・フォースター『ノスタルジアは世界を滅ぼすのか』)。
たしかに、人びとが自由に振る舞う時代よりも、強いリーダーによる強制のほうが共同体意識を醸成しやすいのかもしれません。プーチンがソ連時代の記憶に訴えたのも、国民を一体化させ、自身が支持されやすくするためだったと言えそうです。
以上は、独裁は繰り返す可能性が高いことを示しています。これを「独裁政治のサイクル」と呼ぶ論者もおり、もし独裁を終わらせることを望むのであれば、それをいかに断ち切っていくかは重要な論点となります。
企業においても、出世した民主的な人が、いつの間にか前任の「独裁者」のようになっており、それが繰り返されている例は頻繁に見られますし、経営者に反旗を翻して権力を獲得した新しいリーダーがより強権的な経営を実施する例もよく見られます。「独裁経営のサイクル」もまた、ビジネス界で同様に生じていると言えるでしょう。
さらに言えば、外部からの介入による体制移行も簡単ではありません。冷戦期、米国は中南米諸国に対して度重なる介入を続けてきましたが、それがうまくいった例は多くありません。
キューバのカストロ政権に対して、米国が亡命キューバ人を使って実施したピッグス湾侵攻も、失敗して、かえってキューバ共産党による統治の強化につながりました。ある研究によれば、冷戦期における米国の介入による政権打倒の成功率は約4割で(Lindsey OʼRourke, Covert Regime Change)、独裁国家を民主化させようとして介入したとしても、民主主義の経験や、社会的分断の小ささなど、民主化に適した条件をもっていない国家に民主主義が定着する見込みは低いことが明らかになっています(Alexander Downes and Monten Jonathan“Forced to Be Free? Why Foreign-Imposed Regime Change Rarely Leads to Democratization”)。このことは、外部から体制を転換させる難しさを示しています。
さまざまな問題があるとはいえ、独裁者の打倒もまた、必ずしも良い未来につながるとは限らないのです。
更新:10月09日 00:05