
都内の大学に通う大学生・院生4名が集まり、『Voice』2026年4月号に掲載された北野唯我氏による論考「『共感』が奪い、殺してゆく『革新』」を主題に読書会を開催しました。

H:今回は皆さんに、『Voice』2026年4月号に掲載された北野唯我氏による論稿「『共感』が奪い、殺してゆく『革新』」を読んできていただきました。本稿では、「共感」という概念が、ビジネスや政治の現場を含め、現在の日本社会で「絶対善」として認識されていると指摘されています。先ほどKさんとも話していたのですが、就職活動をしていても、「共感」を「絶対善」だと感じる場面が多いですよね。
K:はい。面接では、面接官に共感しなければならないし、また自分にも共感してもらわなければならない、という空気があります。
H:さまざまな場面で、互いに心地よく過ごすために共感が求められている、とも言えそうです。また、本稿でもう一つ興味深いのが、「革新」に関する指摘でした。「なんとなく怖い」などの「負の共感」が広がり、その場の空気を支配してしまうと、どれほど優れた技術革新であっても、その芽が摘まれてしまう。だからこそ社会の発展のためには、革新を妨げるような共感には注意が必要だと論じられています。
さらに読み進めると、人間の才能は「創造性(天才)」「再現性(秀才)」「共感性(凡人)」という三つの軸で整理できるとされています。それぞれ、創造性を評価軸にする人、再現性を評価軸にする人、共感を評価軸にする人、という分類ですが、多数を占めるのが「凡人」であるがゆえに、彼らの「共感」によって天才の創造性が抑圧されることがあるという論旨でした。
加えて、SNSによって「負の共感」があたかも全体の総意であるかのような「空気」が作りだされてしまう現代は、言うなれば「受難の時代」であり、「未来のために何が必要か」という大義ではなく、「どうすれば炎上を防げるか」という消極的な守りの姿勢に傾きがちだという点も指摘されていました。以上が本稿に対する私なりの理解ですが、皆さんの感想をお聞かせください。
Y:とくに指摘されているのは、社会の「空気」の問題ですよね。一方で、ビジネスパーソンと消費者のあいだには情報の非対称性があるはずで、そうであるならば彼らの「共感」を抑えるのは難しいとも感じました。ただ、「革新」を生み出すべきビジネスパーソンを、そうした「負の共感」から守る必要があるという点には納得します。印象的だったのは、本稿の最後の節の一文です。「松下幸之助翁が『Voice』を創刊した1977年、世界はいまほど繋がっていなかったが、その分、一人のリーダーが深く思索し、大局を見渡すための『余白』があったように思う」。自分自身も日ごろから「余白」を大事にしているので、とても響きました。
K:Yさんは、なぜ「余白」を大切にしているのですか?
Y:高校時代の数学の先生が「心に余裕を」と、よく言っていたんです。その先生は1時間ほどかけて自動車通勤していたので、焦ると事故につながるという自分への戒めだったのだと思います。その教えにならって、私も今日は最寄り駅に30分くらい前に到着しました(笑)。アルバイト先でもリードタイムを意識して行動しているので、「余白」の重要性には頷かされました。
H:いまの時代、SNSでいくらでも「余白」の時間を埋めることができてしまいますよね......。Oさんは、北野氏の論稿を読んで何を思いましたか。
O:本稿で語られている「共感」が、「自分の考え方とのズレが少ないこと」という意味にとどまっているのではないか、というのが率直な感想です。たとえば、英語で「共感」を表すempathyは、「他人の靴を履く(Stand in someone’s shoes/ Put yourself in someone’s shoes)」という諺のように、その人の出自や背景も考慮したうえで、その人の立場にたって物事を見るという意味です。
一方、同じ号に掲載されていた山本龍彦・慶應義塾大学教授の論稿「SNSと政教分離、そして民主主義」で興味深かったのが、いまやSNSのアルゴリズムの側が、私たちの思考に働きかけている、という指摘でした。それもふまえると、自分の評価軸に合わせて流れてくる投稿に対して、各人がただ反応しているだけのことが「共感」と呼ばれているのではないか、と気になりました。
H:「共感」が何に基づいているものなのか、というのは重要な指摘ですね。
K:本稿では、凡人のなかには「天才を理解し、その価値を凡人に翻訳して伝える役割としての『共感の神』という存在」がいるとも書かれていますが、そうでない典型的な「凡人」の共感が、まさにOさんが指摘されたものなのかもしれません。

H:本稿で論じられているように、社会の構成員が大まかに「天才(創造性)」「秀才(再現性)」「凡人(共感性)」「共感の神(天才を理解し、その価値を翻訳して伝える存在)」にわかれるとするならば、皆さんは自分がどれに当てはまると思いますか。じつは、この点について事前にKさんと話していたところ、「おかれた環境によっても変わってくる」という意見も出ました。
たとえば、地元に帰ったら論理的な考え方が際立って「秀才」になるかもしれないけれど、就活では論理的であることが当たり前で、自分はそれほど論理的ではないんじゃないか......と思ったり。そのうえで、私は自分のことを「秀才」だと思いました。というのも私は、個々の活動よりも社会全体としてどうあることが最適かを考えたいと志向していて、それは共感ではなく論理を重視する「秀才」に近いと感じたのです。
K:私は「凡人」を選びました。実際に就活でインターンをしたり、グループワークをしたりするときには、明らかに「天才」と感じられる人に出会うことがありますが、一方でその存在が議論を停滞させてしまうこともあります。そんなとき、周りの人間は往々にして「議論を軌道修正しなければ」と感じるでしょうが、「天才を殺す凡人」とはまさにそうして生まれるのかもしれません。ただ、企業はむしろ「凡人」、あるいは「秀才寄りの凡人」を一番に求められているのではないかとも感じます。
Y:自分は「秀才」かなと思ったのですが、本当にそうかといまも迷っています。たとえば、SNS上では直感的に「いいね」を押すことが多いので、その意味では「凡人」と言えるでしょうが、でも状況によっては論理的に考えることもある。そんなことを考えながら、「凡人」と「秀才」のあいだを行き来している感覚です。
H:「行き来している」という表現はしっくりきますね。たしかに、私もSNSの前では少し緩む感覚があります。私はSNSに投稿しませんが、それは自分が直感的になりすぎることへの警戒心があるからかもしれません。裏を返せば、SNSがその人の立ち位置を変えるとも言えそうです。Oさんはいかがですか?
O:私は「凡人」だと思います。先ほど話したように他者の背景に目を向けて考えるのは得意なつもりですが、他方で情緒に引きずられやすく、その意味では「共感」に基づいて動いている自覚があります。また、自分では論理的に話しているつもりでも、じつは情緒的な主張を論理で補強しているだけかもしれない、と感じることもあります。
K:その感覚、とてもわかる気がします。私は就活でもまずはその場で共感を得て、そのうえで論理的に話すことを意識していました。
H:ここには「天才」と自認する人はいませんでしたね。創造性を重視するという「天才」は、「秀才」や「凡人」とはどこが違うんでしょうか。
Y:「凡人」に論理的思考力をコーティングしたのが「秀才」でしょうか。ただ、「天才」については、本稿に掲載されていた図では「秀才」と重なる部分がありますが、その存在が想像しにくかったです。
H:「秀才」と言っても、つねに論理的な人はいないと思うし、先ほどOさんがお話しされていたように、論理のベースに「共感」があるのではないか、という考え方もありますよね。
O:じつのところ、私も本稿の「天才」像がまだ掴みきれていません。北野氏は、「天才」は「世界を『創造性』で測る」と紹介すると同時に、(共感の神が)「世の中のバッシングから天才を隔離する」必要があるとも書いている。たとえば、「天才」がSNSを見るとき、共感と論理のどちらが優位になるのか気になりました。
K:「秀才」も共感性がまったくないわけではないはずです。すると、図で書かれている以上に「秀才」と「凡人」の境目は曖昧なのかもしれない。あと気になるのが、「凡人」の円のなかにいる「共感の神」の存在です。論理的な説明がなかなか伝わらない「凡人」がいるのであれば、その「凡人」のなかに「共感の神」がいることで、やっと普通の「凡人」に物事を広められる、ということなのでしょうか。
H:たしかに論理的な説明に拒絶反応を示す人もいますよね。すると、そうした人びとと「秀才」とのあいだに断絶が生じてしまいます。
O:秀才は凡人に論理的思考力をコーティングしたもの、というYさんの発言は納得感があります。そう考えると、「共感の神」は「秀才」と「凡人」の重なりの部分にいてもよいのかな、といま思いました。というのも、「天才」を理解して広めるときには、その「天才」に対する共感性はもちろん、論理に理解することも少なからず必要だと思うからです。
H:もしも北野氏に一つ質問できるならば、なぜこの場所に「共感の神」の点を打ったのですか、と聞きたいですね。
H:本稿では、SNSの負の側面として、「キャンセルカルチャー」が取り上げられています。ある有名人や企業の言動が、ひとたび特定のコミュニティから「不快」「共感できない」とレッテルを貼られると、負の共感がウイルスのように伝播し、その人格ごと社会から抹殺しようとする動きが加速する、と紹介されています。Oさんはこの点については、どう思いましたか?
O:一昔前の映画や小説などに、差別的な言葉が入っていることで議論が巻き起こることがありますよね。でも、その言葉にまつわる知識や背景も一緒に理解するのが鑑賞するうえで大事ではないかと思うので、私は否定的です。一方で不買運動については、一つの消費行動として理解はできます。
H:Yさんはいかがですか?
Y:「キャンセルカルチャー」という言葉は、もちろん聞いたことはあります。ただ、たとえば不買運動をする人も、何か強い意図をもって行動しているわけではないように感じるんです。「自分にとって不快」という感情が増幅していった結果、意図せずともそうした行動につながることもあるのではないでしょうか。言い換えるならば、その事象にフォーカスしすぎている自分自身に無自覚なのかもしれないです。
K:現代のSNSでは、本来はその必要がないはずなのに炎上しているケースもある印象です。それは、Yさんがいま指摘した「フォーカスしすぎている」ことも理由の一つなのかなと思いました。SNSを利用していなければ知らずに済んでいたネガティブな情報も、ふと見つけてしまいがちな時代です。その結果、妬みや僻みを含め、感情的な部分が強く表出することがあるのではないでしょうか。
H:自分が普段は接しないものって、あまりよく知らないものでもありますよね。しかしSNSでそういう情報にも簡単にアクセスできてしまうことが、今日の深刻なキャンセルカルチャーに繋がっているのかもしれません。
H:もう一つ皆さんにお聞きしたかったのが、凡人は秀才や天才を「殺している」と思いますか、ということです。
O:本稿では、「文明の利器や社会システム、芸術の数々」が、「発表当時は社会を揺るがす『不快なノイズ』であり、激しい非難の対象だった」と記されています。この指摘について理解できる一方で、あまり最近の例では思いつかないようにも思いました。なお、私は政治的な批判も、その人が何かに共感できないから批判していると感じることは少なくて、その人なりの論理があり、同じ立場にたつと理解できると感じるケースが多いです。
Y:民主主義の在り方にもつながる議論のような気がします。「負の共感」が広まることで技術の革新が阻まれると北野氏は主張していますが、一方で言論の自由は保障されて然るべきでしょう。
K:先ほども話しましたが、たとえば就活中のグループワークで誰かが突飛な発言をして、みんなが議論を軌道修正しようとする状況が、まさに「天才を殺している」状況なのかなと思っていました。でも、天才が何かを創造しようする際、そこに付随するリスクや社会への影響を無視して先を行こうとするのであれば、「凡人」が声を上げるのは当たり前なのかもしれませんし、それは悪いことなのでしょうか。
H:たしかに、「殺している」という言葉が使われていますから、北野氏がそれを「悪いこと」と捉えているのが分かります。あえて言えば、共感性が少ない「天才」「秀才」が、創造性や論理だけを前面に出して押し切ろうとして「通じないから凡人たちはダメなんだ」と言ってしまうことがあれば、それは逆に「凡人を殺している」と言えるかもしれません。
H:なお、北野氏は先ほども議論に出てきた「共感の神」について、天才を理解してその価値を凡人に翻訳する存在で、SNS時代では「『どの共感を取り入れ、どの共感をあえて無視すべきか』を選別する、冷徹なまでの知性と強靭な精神力」が求められる、と書いています。皆さんは、こういう「翻訳者」の存在については、どう思いますか。そもそも、共感とはどう「取捨選択」するのでしょうか。
Y:どの共感を取り入れて、どれを無視するかは、価値の押し付けになる危険性もあるかもしれません。民間企業であれば競争を勝ち抜くうえで必要な姿勢かもしれませんが、たとえば行政の現場では慎重に考えなくてはならないと思いました。
H:まさしく「神」の視点で、共感の良し悪しが完璧にわかるのであればよいのですが......。Oさんはどう思いますか?
O:ここで使われている「翻訳」という言葉は、天才の「ぶっ飛んだ考え」に論理を肉付けしていく作業なのかと捉えました。自分は天才のその考えに共感できるから、その方向に皆を「誘導している」とも言える。ただ、本文では「スマートフォンの画面越しに見える『一万人の見えない賛成』よりも、目の前にいる一人の『異能の士』が発する、震えるような情熱や、不器用な提案に耳を傾ける」という言葉がありますが、より多くの人の意見を本当に無視してよいかは、やはりある程度の慎重さが必要にも思います。
H:たしかに「天才」の創造性を生かすことは重要ですが、一方で「天才」の存在が「絶対善」となっていないか、ということも考えなくてはいけませんね。本稿を題材にいろいろな視点で議論できたのではないかと思います。皆さん、ありがとうございました。
★本読書会は、PHP総研・『Voice』編集部のインターン生が企画・運営を担い、開催しています。参加者も随時募集していますので、ご関心のある方はぜひご連絡ください。(voice@php.co.jp)
更新:04月10日 00:05