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女性首相誕生への違和感はなぜ生まれるか 高市内閣を「素直に喜べない」理由

田中世紀(オランダ王国フローニンゲン大学助教授)

国会議事堂

初の女性首相の誕生に期待する声の一方で、「素直に喜べない」という意見も上がった。背景にある日本社会の構造をいま一度深掘りする。

※本稿は、『Voice』2026年2月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

日本における男女平等の現在地

2025年10月、日本憲政史上初となる女性首相が誕生し、日本中、いや世界中が沸いた。長らく男女平等の「劣等生」として扱われてきた日本が、この歴史的なイベントをきっかけにどのように変わっていくのか、世界中が注目している。

もっとも、一人の女性首相が誕生したからといって、日本が男女平等の「優等生」になったと考える人は少ないだろう。たとえば、政治の世界では衆議院・参議院を合わせた女性議員の割合は約19%にとどまり、先進民主主義国のなかでも最低水準にある。単純に「数」を男女平等の指標と考えた場合、男女平等の実現にはほど遠い。依然として「男の国会」が続いており、女性は政治の「表舞台」で十分に活躍できていないのが日本の現状だ。

ただし、女性政治家が少ないからといって、日本の有権者が女性政治家にあからさまな拒否感を抱いている、と言われればそれも違う。たとえば、朝日新聞社が高市早苗内閣発足直後に実施した世論調査によると、内閣支持率は68%に達し、2001年以降の新内閣としては三番目に高い水準だった。とくに若年層の支持が高いようだ。

私自身の研究でも、日本の有権者の多くは、性別よりも所属政党、あるいは政治家の政策や能力といった要素を重視して投票行動を決定する傾向があることが確認されている。21世紀になり、日本でも「男か女か」で政治家の良し悪しを決める時代ではなくなりつつあるのかもしれない。

しかし、「拒否感がない」ことと「差別がない」ことは同義ではない。目に見えにくいバイアスが、女性政治家や政治家を志す女性をさまざまな場面で苦しめているからだ。たとえば、早稲田大学の尾野嘉邦教授らの研究チームによれば、有権者は、女性政治家を「衆議院のような強い権限をもつ場」よりも「参議院のような補完的役割をもつ場」にふさわしいと判断する傾向にあるという。これは、「男性がリードし、女性は支える」という固定的なジェンダー観が、いまだ投票行動に影響していることを示唆している。

つまり、多くの有権者は「女性が政治家になること」には賛成しても、「権力の中心に立つこと」にはいまだに慎重なのかもしれない。

さらに問題なのは、そもそも「男女格差」に関心をもつ人が少ないことだ。私の好きなお笑いコンビ・さらば青春の光のコントに『若菜まもる』というのがある。候補者・若菜まもる扮する森田哲矢が「女性の社会進出」を訴えるのに対し、選挙参謀の東ブクロが「カジノ誘致とゴミ処理場建設」を主張して票をとるよう助言する。笑い話にされてはいるが、実際の選挙現場をうまく風刺しているように思う。実際の選挙でも、「女性の社会参画」が主要な争点になることはない。

2025年に行なわれた東京大学と朝日新聞社の共同世論調査によれば、有権者が「最も優先的に政治に取り組んでほしい課題」として挙げたのは「年金・医療・介護」や「景気・雇用」であり、「女性の社会進出」といった選択肢はそもそも設けられていなかった。前回の参院選でも、主要な争点は物価高などの経済政策や外国人労働者問題であり、女性天皇や選択的夫婦別姓など特定の制度論が話題になることはあっても、「女性の社会参画」そのものが大きな争点になることはほとんどなかった。

コントのなかの選挙参謀・東ブクロのほうが候補者・森田哲矢よりも、現実の有権者心理をよく理解しているといえるかもしれない。森田は、「女性の社会進出」を訴えると、女性から「モテる」と思っていたが、残念ながら現実問題、得票には繋がらない。

男性の多くは、格差があっても直接的な不利益を感じにくいため、こうした問題に関心が薄いのはある意味で自然だろう。だが、女性のなかにも関心が低い人は少なくない。「現状で十分」、あるいは「どうせ変わらないでしょ」と諦めている人もいる。または、「自身の生活や子育てのほうが重要であり、社会全体の男女平等まで考えが回らない」、そのように感じている女性は多いだろう。

コンプライアンス意識の高まりとともに「男女平等」という言葉は日常的に聞かれる言葉になった。だが、それはしばしば形式的に唱えられるスローガンに過ぎず、上辺だけで「時代は変わった」とはいうものの、現実には、他の課題のほうがどうしても優先されてしまう。これが日本の「現在地」である。

 

高市政権誕生の影響

では、初の女性首相の誕生によって、この現状はどのように変わるのだろうか。

まず、高市首相の誕生は日本社会で大きなニュースとなり、男女平等やリーダーシップの在り方に関する関心をにわかに高めた。発足直後の高支持率が示すように、高市政権に対する期待は非常に高い。これは、女性の社会進出や政治参加の重要性について、国民がポジティブに考えるきっかけとなり、今後の男女平等の推進に向けた議論を活発化させるかもしれない。

これまでも女性閣僚や都道府県知事は存在したが、「首相」という国家権力の頂点に女性が立ったことは象徴的であり、政治家を志す女性たちにとって「自分にもできる」というロールモデル効果をもたらす可能性もあるだろう。

国民のあいだに「女性でも首相になれる時代が来た」という感慨が広がり、若い世代にとっては、女性が首相である光景が「異例」ではなく「日常」として記憶される最初の機会になるかもしれない。これは日本社会にとって非常に大きな一歩である。

しかしながら、ここで違和感があるのは、「はたして高市首相は女性のロールモデルなのか」という点である。誤解や切り取りを恐れずに言えば、高市早苗という政治家を単純に「女性政治家」として扱って良いのかどうか、ということである。

政治学では、一括りに「男性政治家」か「女性政治家」、いわば白か黒かの構図で分類することが多く、それぞれ「典型的な男性政治家」「典型的な女性政治家」とはどういう政治家なのかについて、研究が進められてきた。

それらの研究では、一般的に、女性政治家は福祉・教育・家族政策といった社会的支出を重視し、男女平等や社会参画を推進する傾向があるとされる。だが、高市首相はむしろ保守的で国家主義的な政策を重視し、選択的夫婦別姓や同性婚といったリベラルな社会政策には慎重な立場をとってきた。その意味で、彼女は「典型的な女性政治家像」からかけ離れている。

ちなみに、安全保障面においての「典型的な女性政治家像」については議論がわかれている。かつては「女性リーダー=平和志向」という通説が広く受け入れられていたが、近年は必ずしもそうとは言えない。実際、イギリスの「鉄の女」マーガレット・サッチャーのように、強硬な外交・軍事政策を推し進めた女性指導者は少なくない。

だが、これは女性リーダーが生まれつき好戦的だからではない。むしろ、女性政治家は「柔和で、控えめであるべき」というステレオタイプが根強く存在する国際社会において、女性政治家が「弱く見られないため」に防衛的な戦略をとらざるを得ないという構造的要因が大きい。

言い換えれば、女性リーダーがしばしば強硬的な外交・防衛姿勢を示すのは個人の性格の問題ではなく、リーダーシップに求められる「男らしさ」を体現しなければならないという見えないプレッシャーの結果でもある。

一方で、日本では長らく「政治とカネ」の問題が取り沙汰されてきたが、女性政治家の増加が腐敗の抑制や政策の透明性向上に寄与するという研究も少なくない。実際、女性議員の割合が高い国ほど汚職件数が少ない傾向があることも確認されている。

しかし、これをもって既存の研究でよく論じられる「女性は男性よりも本質的に清廉で実直だから」と結論づけるのは早計だろう。むしろ、生まれつきの男女の資質の違いというよりは、女性議員が長らく政治の本流から排除され、既存の利害ネットワークに組み込まれにくかったという制度的・構造的要因のほうが説得力をもつ。この観点から見れば、高市首相の登場も「政治刷新」の象徴とは言い切れないだろう。

実際、高市首相は安倍晋三元首相の路線を継承し、内閣の布陣も自民党の既存ネットワークの延長線上にあると見られている。したがって、高市首相が「女性首相」であるという理由だけで、政治とカネの構造的問題を直ちに是正してくれると期待するのは現実的ではない。

 

「女性首相」ではなく「一人の首相」として

以上のように見てくると、高市首相を「女性のロールモデル」として単純に位置づけることはできない。たしかに、女性が国家のトップに立ったという事実は歴史的な意味をもつが、それをもって直ちに社会の意識が変わるわけではない。高市首相の誕生を必ずしも素直に喜べない女性が少なくないのは、その象徴的な意味と現実の距離を感じ取っているからだろう。

そもそも、日本で初めて女性首相が誕生したとはいえ、それはまだ「一人」に過ぎない。そして、その人物像は一般的に想定される「女性政治家」のイメージとは重ならない。そう考えれば、「一人の女性首相が出ても、私たちの現実は変わらない」と感じる人がいるのは至極当然だろう。

また、彼女が「女性である」ということだけに政治的変革を期待することの危うさもある。昨年刊行された拙著の『なぜ男女格差はなくならないのか』(講談社現代新書)でも似たような趣旨のことを書いたが、懸念されるのは、彼女の登場によって「女性も首相になれたのだから、もう十分だ。男女平等は達せられた」という社会的満足感が広がること、あるいは、もし高市政権が期待に応えられなかった場合、「やはり女性では無理だった」という男女平等へのバックラッシュが高まることである。

いずれも、「高市首相=日本初の女性首相」という過剰な象徴化がもたらす副作用であり、それこそが真の男女平等を遠ざける最大の要因となりかねない。

しかし、現実問題として、高市首相は本人の意図にかかわらず「女性首相」として評価される宿命にある。メディアの報道でも、「女性なのに」「女性だから」という言葉がしばしば枕詞のように添えられ、政治的な手腕よりも、外見や振る舞いに焦点が当てられがちだ。

たとえば、米海軍横須賀基地の原子力空母ジョージ・ワシントンでトランプ大統領が演説した際、高市首相が笑顔で跳びはねながら右手を突き上げ「はしゃいでる」件が話題になった。APEC首脳会議の会場では、高市首相の「社交的な」外交手腕を評価する報道もあったが、そこでも「女性」という目線は少なからずあった。私の大学の同僚が、高市首相が誕生した際にBBCの報道映像を送ってきたが、そこではなぜかカメラが彼女の「スカート」をアップで映していた。

過去の男性首相に「男性首相」というラベルが付けられたことはないし、歴代首相のスーツがことさらメディアで話題になったこともない。男性政治家は「個人」として評価され、女性政治家は「女性」として評価される。この構造が変わらない限り、形式的な平等がどれほど進んでも、実質的な平等は実現しない。高市首相誕生という単発的なイベントだけに、こうした構造的変化を期待することもできないだろう。

ただし、このような女性政治家の「特別扱い」は、程度の差はあるが日本だけに限った現象ではない。先進民主主義国の多くでも、女性政治家は政策や政治手腕よりも、「女性としての印象」や「外見」「話し方」といった点に焦点を当てて評価されがちだ。その結果、女性政治家は男性以上に自らの言動やイメージに細かく気を遣わなくてはならない。

たとえば、ドイツのアンゲラ・メルケル元首相は感情的に見られないよう努め、米国のヒラリー・クリントンも声の高さや語調を意識的に「男らしく」なるように変えていた。しかし、それでも彼女たちは批判を免れなかった。政治学やジェンダー研究が指摘する「ダブル・バインド(二重拘束)」と言われる現象で、優しさや気遣いを見せれば「政治家としては弱すぎる」と切り捨てられ、強さを示せば「威圧的だ」「女性らしくない」と批判される。この「ダブル・バインド」はいまも多くの女性リーダーを縛っている。

こうした構図は、文化や国境を越えて共通しているが、日本でも高市内閣の誕生によってこの評価の仕組みが急に変わるとは考えにくい。むしろ短期的には、日本で初の女性首相であるがゆえに、高市早苗が「女性であること」そのものに過度の注目が集まり、彼女の一挙手一投足がこれまでの(男性)首相以上に細かく吟味されるだろう。こうした過剰な視線は、高市首相をはじめ女性政治家が「女性であるがゆえに」説明責任を二重に負わされている現実を映し出している。

しかし、重要なのは、この過剰な注視を一過性の現象としてどう乗り越えるかである。長期的に日本が本当にめざすべきは、「女性首相が当たり前になる社会」である。女性政治家の数が増え、女性が首相の座に就くことがもはや珍しくなくなれば、「女性だから」「女性なのに」といった枕詞は不要になるし、私のこんな記事もなくなるだろう。

もっと言えば、高市首相が「女性首相」としてではなく、「高市首相」として語られるようになる。その日が来たとき、日本の民主主義はようやく男女平等の劣等生から抜け出すスタートラインに立つことになるのかもしれない。

そのような立場から、私は、高市首相を女性首相としてではなく、高市早苗という一人の政治家として期待し、どのような成果を見せるか見守りたいと思っている。

 

プロフィール

田中世紀(たなか・せいき)

オランダ王国フローニンゲン大学助教授

1982年、島根県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。現在、オランダ王国フローニンゲン大学助教授。専門は、政治学・国際関係論。著書に『やさしくない国ニッポンの政治経済学 日本人は困っている人を助けないのか』(講談社選書メチエ)、『なぜ男女格差はなくならないのか』(講談社現代新書)、主な論文に、"What Explains Low Female Political Representation? Evidence from Survey Experiments in Japan"(共著、Politics & Gender)などがある。

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