
ロシアの情報機関は、革命直後のチェーカーに始まり、スターリン期の粛清を担ったNKVD(内務人民委員部)、冷戦期に巨大な権力を誇ったKGB(ソ連国家保安委員会)へと変遷を遂げてきた。1991年のソ連崩壊に伴い、KGBは解体・再編されたが、プーチン政権下でその機能は再び強化され、現在はFSB(連邦保安庁)を中心に複数の治安・諜報機関が並立している。
本稿では、小泉悠氏と小谷賢氏による著書『戦闘国家』より、現在のロシアでの情報機関の実像について解説する。
※本稿は、小泉悠、小谷賢著『戦闘国家』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです
【小泉】ロシアと言えばKGB(ソ連国家保安委員会)やFSB(連邦保安庁:国内の監視・旧ソ連諸国での諜報活動・対テロ作戦等)などの諜報機関がどうしても注目されますが、ロシア政治のプレイヤーの一つではあっても、圧倒的強者ではありません。
たしかにNKVD(内務人民委員部)時代はスターリンの粛清の先兵になりましたし、KGBも強大な権力を有していました。ただ、KGBとソ連軍はどちらも強力で、互いに簡単には手を出せない存在です。スターリン政権時のNKVDが軍の将軍をバンバン捕まえて拷問・追放・処刑していたあの大粛清の期間が異常だったのです。
冷戦時代には「ソ連の政治システムの中で共産党と軍は対立しているのか」という議論がつねにありましたが、「皆同じ共産党であり、単純に両者が対立しているとか従属しているとかいう捉え方はできない」という方向に落ち着いていきました。KGBに関しても同様です。
冷戦後から現在のロシアに関しても、情報機関は強力なのだけど、彼らがすべてを支配しているわけではない。プーチンも情報機関出身だけれども、だからといって自動的に情報機関が優遇されているわけでもない。ロシアの政治権力の中でどのように権力の強弱が決まっているのか、利権を確保しているのかは、ロシア政治全般のパターンの中で位置づけて考える必要があります。
ロシアのある政治評論家は、ロシアの各役所は横の連携がなく、プーチンを中心としてしかつながっていない「ハブ&スポーク的な権力」である、と指摘しています。
しかもプーチンは、各役所や各権力者同士を競わせたりはするけれど、明確な指示を出しているわけではありません。プーチンの要求を叶えるために皆が頑張って、成功した人間が権力を得られるという、究極の忖度システムです。そのなかで、情報機関同士や、軍と情報機関が対立したり協力したりしている。いずれにせよ皆、上にいる親分を見ながら振る舞っている気がします。
【小谷】KGBの後継機関であるFSBもそのうちの一つの組織にすぎない、と。
【小泉】そう思いますね。FSBにあまりにも絶大な権力を持たせるのは危ない、とプーチンは思っているのではないでしょうか。だから情報機関の統合もしようとせず、2016年には内務省から実力部隊を独立させて治安部隊「国家親衛軍」をつくり、そのトップにかつて自身のボディガードを務めたゾロトフを据えた。
【小谷】実力組織を複数持っておいて、その中の一部を自分の腹心にして身近に置く、というのがプーチンの権力バランス術なのかな。
【小谷】ですが実際、プーチンの取り巻きを見ると、基本的にFSB(KGB)出身者でしょう。やはりFSB出身者でないと信用されないのか、もしくはFSBをコントロールするうえでそのほうが有利だと判断しているのか、または別の理由があるのか。
【小泉】プーチンは政権初期、FSBしか信用できなかったのでしょう。彼は1991年8月の保守派のクーデターをきっかけにKGBを辞職するわけですが、最終階級は中佐にすぎませんでした。
その後、故郷レニングラード(現サンクトペテルブルク)に帰り、レニングラード大学の学長補佐官に就きます。大学の恩師であるアナトリー・サプチャークが市長に当選すると、副市長に抜擢。しかし結局、サプチャークが市長再選に失敗して無職になります。1997年、モスクワの大統領府総務局長パーヴェル・ボロディンの誘いで同局次長の職を得るわけですが、いわば中堅幹部の地位です。そこからKGBの後継組織であるFSB長官、安全保障会議書記、首相を経て、大統領になったのが2000年。ものすごいスピード出世です。
プーチンは、モスクワという場所に地縁がない。エリツィンのようにソ連共産党内で歩んできた人でもない。こうした状況下で彼が頼れるものは、レニングラード時代の人脈と、出身母体であるKGBの人脈しかなかった。だからプーチンは、政権初期にはこの2つをバックボーンに持つ人間を多用せざるをえなかったのでしょう。
ただプーチンは、初期の自分を支えてくれた老臣たちを徐々に引退させていっています。じつは現政権では、FSB出身者の比率はそれほど高くありません。どちらかと言うとテクノクラートを好んでいる印象です。
現首相のミハイル・ミシュスチンは元連邦税務庁出身で、税金の専門家です。第一副首相のデニス・マントゥロフは長年にわたり産業政策に携わってきました。国防大臣のアンドレイ・ベロウソフも元経済学者です。政治家というよりは、何らかの専門的バックグラウンドを持つ有能な行政担当者を自分の周りに置いている。言わば「皇帝プーチンからある部門を任されている代理人」といったイメージでしょうか。
更新:01月23日 00:05