2025年11月26日 公開

2025年8月、愛媛県今治市で次世代リーダーに向けたワークショップ「Bari Challenge University」が開催。計7回、若い世代の育成と新たな挑戦の機会を創出してきた。リーダー育成とコミュニティの共生に懸ける思いを、岡田武史氏が語る。
※本稿は、『Voice』2025年11月号より抜粋・編集した内容をお届けします。
――あらためて、次世代リーダーを今治で育成しようと考えた理由をお聞かせください。
【岡田】2014年に株式会社今治.夢スポーツのオーナーになったとき、青野慶久さん(サイボウズ株式会社社長)や日比野克彦さん(アーティスト・東京藝術大学学長)、古田敦也さん(野球解説者)、鈴木寛さん(前文部科学大臣補佐官・元文部科学副大臣)、田坂広志さん(学校法人21世紀アカデメイア理事長・学長・多摩大学大学院名誉教授)、藤沢久美さん(株式会社国際社会経済研究所理事長)など、著名な方々にアドバイザリーボードメンバーに加わっていただきました。
ある日、東京でメンバーが集まったときに「せっかくこれだけの面々がいるのだから、何か社会に有効なことができるのではないか」という話になったんです。
われわれの問題意識として今後、世界と日本はVUCA(「Volatility:変動性」「Uncertainty:不確実性」「Complexity:複雑性」「Ambiguity:曖昧性」)と呼ばれる以上の先が見えない時代、過去の経験が役に立たず、ロールモデル(お手本)のない時代に突入する。
何が起きるかわからない時代に備えて、いまから社会起業家やリーダーを生み出す必要があるのではないかと考え、次世代リーダーをインキュベート(育成支援)する人材輩出のプロジェクトを始めました。
現代の世界は、たとえば気候変動問題一つをとっても、従来のように春に作物の苗を植えて水抜きをやり、秋に収穫する、というサイクルが危ぶまれる変化が発生しています。
2024年にアラブ首長国連邦の(年間平均雨量わずか97㎜の)ドバイに過去75年で最大の降雨によって洪水が起き、アフリカのサハラ砂漠に広大な湖ができる、という事態を誰が予想したでしょうか。
地球規模で起きる環境変化について、学者も政府、官僚も原因を究明できず、インターネットを検索しても確たる情報がない。未知の問題、課題について、誰にアドバイスを求めたらよいかわからず、調べる方法がない。
AI(人工知能)の分析は過去のデータ蓄積をもとにしているので、前例のない現象には答えを出せません。
また、格差と分断で資本主義が行き詰まり、民主主義がポピュリズムで信頼をなくし、専制主義的な政治家や国が増えています。
AIが人間の職を奪う、という現象も進んでいます。かつてはプログラミングができれば一生、食うに困らないといわれていたのに、現在はプログラマーのニーズが失われています。
画像技術に関しても、たとえばスーツ姿の僕がドリブルをしてボールを止める、などという映像があっという間にAIで生成できてしまう。
AI・ロボットが人類を支配するというSFの世界も、あながち夢物語ではありません。以前に見た映画『アイ,ロボット』では、ロボットが人間のあらゆる生活をサポートする時代になり、進化したロボットが人類を拘束してしまう。
理由をロボットに問うと、自ら愚行によって破滅に向かう人類を、支配することで「守ろう」としているのだという。
――背筋が寒くなりますね。
【岡田】人工知能が健康によい食事を選び、最適な運動や睡眠について指示してくれるようになれば、われわれは何も判断しなくてよいでしょう。しかしそれは、人間がAIに飼われたペットになることを意味します。
――大変な時代になってしまいました。
【岡田】企業経営にも同じことがいえます。事業計画は必要だけれども、経営が計画どおりに進むことはまずありません。売り上げが見込まれる商品やサービスに経営資源を投じて採用と教育を施しても、期待外れに終わる可能性がある。
頼りになるものがない状況で、人間にできることとは何か。まず行動を起こし、結果や反応から学び、修正することです。そのためには自ら行き先を決め、チャレンジする主体性を磨かなければいけない。過去の成功例や誰かの発言に従うのではなく、自ら考え実践してみ
る。
そうしてやってみると半分は失敗します。したがってエラー&ラーン、失敗を通じて学習するしかない。何が正解かわからない以上、まずはトライし、駄目ならば次に進めばよい。当然、メンタルの強さを含めた適応力が求められます。
「僕はこの条件を与えられたら活躍できます」という甘えや、自己中心的な考え方では通用しません。
われわれは1人では生きていけず、人間にはコミュニティが必要です。主体性の発揮といっても、各人が自己主張をするだけでは組織にならない。共通の目的のために違いを受け入れる。この作業を経ることで、はじめてコミュニティが成立します。
私は長年、サッカーチームの監督を務めて常時20名から30名の選手をマネジメントしてきました。しかし、チーム全員が仲良しだったことはただの1度もありません。会社の組織も同じこと。10人の部署でメンバー全員が仲違いをしない、ということはまずあり得ないでしょう。
――おっしゃるとおりです。
【岡田】サッカーでいえば「あいつとはそりが合わないけれども、ゴール前でパスを出したら必ず点を決めてくれる」「あのキーパーは偉そうに指示を出すけれども、ピンチでは絶対にシュートを止めてくれる」。
勝利という共通の目的のために、お互いの違いを受け入れることが、チームをつくるうえで不可欠な条件です。
私が学園長を務めるFC今治高校里山校では、教師のことを「コーチ」と呼んでいます。私がつねづねコーチに伝えているのは、たとえば生徒同士が殴り合いの喧嘩をした場合、「君が裁判官になったら駄目だ」と。
喧嘩した生徒を問い詰めてあれこれ指図するより、たとえば「明日から毎日、相手と殴り合いの喧嘩をしたいか」と聞いてみる。
「いや、さすがに毎日は」と答えたら、それが共通の目的になり、「じゃあ、どうしたらいい?」といって自ら考えさせる。さらに相手との共通の目的を何度も確認させて、落としどころを見つけていく。
「あいつは間違いだ」「ここが間違っている」と違いにこだわることで、感情の問題となり組織に混乱が生じ、メンバー間の争いと分断が助長されるわけです。
各人の考え方や価値観が異なるのは当たり前で、片方が善で片方が悪ということはない。あくまでも人間同士の違いとして認めたうえで、共通の目的を繰り返し意識させていく。究極的には皆、幸せに生きたいと思っているわけですから。
【岡田】主体性をもった個人をチームに巻き込み、共通の目的へ向かわせる能力を、私はリーダーシップではなく「キャプテンシップ」と呼んでいます。リーダーシップは「俺についてこい」と皆を引っ張ることで、特別なカリスマ能力がないとできません。
一方、キャプテンシップというのは、スーパーヒーローではない人がメンバー同士に話し合いを求め、意見を集約して共通の方向にチームを導くことです。
マネージャーは、リーダーともキャプテンとも異なります。企業であれば、いまいる人と資源をいかに効率よく運営、管理するかを本気で考え、実行する人。リーダーというのは、私利私欲のない志や思い、夢をもち、人びとをまだ見ぬ世界へ導く人のことです。
また、マネジメントには覚悟が必要で、亡くなった稲盛和夫さん(京セラ創業者)がよくおっしゃっていたのは、「小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり」。
「ここで叱ったら可哀想」とか「こういったら喜ぶかな」という小さな善意が大局を見失わせ、組織を誤った方向へ動かしてしまう。皆を大きな善へ導くため、時に非情な決断もしなければなりません。
有名になりたい、お金持ちになりたいというような私利私欲を排して自らリスクを冒してチャレンジし、気付いたら後ろに人がついていた、というのがリーダーのあるべき姿です。
桃太郎は、リーダーになろうと思ったわけではありません。鬼退治という目的を掲げた桃太郎にサル、キジ、イヌが自然と付き従ったわけで、きび団子が目当てだったわけではない(笑)。坂本龍馬も同じです。この国を何とかしたい、という思いで命懸けのチャレンジを行なう姿を見て、助ける人びとが現れたということです。
以上のような危機感、考え方をバックボーンに、個々が主体性と当事者意識をもったうえで集団として助け合う。さまざまな情報が飛び交うなかで、感情を共有し、信頼し合えるコミュティをつくる。そんな集団を引っ張るキャプテンを生み出すために、Bari Challenge University(BCU)を続けてきました。
地域社会の未来を考える若きリーダーを募り、今治.夢スポーツの企業理念である「次世代のため、物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会創りに貢献する」ことを実現すべく、2024年まで約350名の若きリーダーを生み出しています。
更新:11月28日 00:05