
2025年10月13日に閉幕した大阪・関西万博。同6月、当初の方針が変更されて喫煙所が設置されたが、その一連の流れから見えてくる政治が果たすべき役割とは。 政治家はいかにして、「中庸」と「中立地」の設置をめざすべきなのか――。
※本稿は、『Voice』2025年11月号より抜粋・編集した内容をお届けします。
――「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに掲げて開催中の大阪・関西万博。運営にあたっては、理想と現実のギャップも見られます。たとえば、喫煙所について。当初は「会場内は全面禁煙」との方針でしたが、喫煙者からの不満がSNSなどで拡散し、2025年6月、会場内に喫煙所を設置しました。村中先生はどのようにご覧になっていますか。
【村中】私が聞くところでは、大阪府・市が万博会場を整備する段階から「会場内に喫煙所をつくったほうがよいのでは」「あとで問題にならないか」という声が、たばこ会社などから寄せられていたようです。
しかし、大阪府・市や万博協会は「喫煙所は設置しない」という方針を貫き、当初は大阪メトロ夢洲駅に近い東ゲートの外側にのみ、喫煙所を設置しました。
ところが、事はこれで済みません。何といっても、万博の会場はたいへん広い。東京ディズニーリゾート(東京ディズニーランド+ディズニーシー)の約一・五倍、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の約3倍にあたる面積で、会場の外まで出て喫煙するのはきわめて困難でした。
「夢の国」ディズニーランドでさえ園内に喫煙所があるのに(笑)、万博の会場内全面禁煙は現実的ではなかった、ということです。
来場客だけのことであれば、まだ数時間の我慢が利きますが、会場内で各国のパビリオンをはじめ各種施設で働く喫煙者にとっては、水が飲めないのと似たようなストレス。吸わない人からすれば「喫煙所など必要ない」と思うけれど、労働環境という面では問題があった、といわざるを得ません。そして喫煙所の設置を頑なに拒んだ結果、隠れたばこや自前の喫煙所を無許可でつくる事態が横行していました。
――全面禁煙の理想だけでは運営が成り立たない、ということですね。加えて万博は、世界中の人が訪れる国際イベント。配慮が必要です。
【村中】世界を見れば、野外の公共空間でたばこを吸えるのは当たり前で、喫煙者も多い。ヨーロッパの喫煙率を見ると、フランスが34.6%、イタリアが22.4%。日本の19.2%よりも高い割合です(WHO〔世界保健機関〕2024年版「世界保健統計」)。アジア諸国でも、日本より喫煙率の高い国があります(韓国や中国のほうが日本よりも喫煙率が高い状況にあります)。
海外の来場客やスタッフがいる以上、「自分の国では屋外で吸えるのに、なぜ全面禁煙なのか」という声が上がるのは自然なことでしょう。外国人に「喫煙所をつくったので所定の場所で吸ってください」と伝えるならともかく、「いっさい吸ってはいけません」と求めるのは、無理があります。
もし大阪・関西万博のテーマが「たばこのない健康な世界をめざす」であれば、会場内を全面禁煙にすることにも一理あったかもしれない。ただし、その場合は「なぜたばこだけが駄目なのか」という問いが生じます。会場内で販売している糖分の高いジュース、脂質の多い料理はOKなのか。嗜好品のなかで唯一たばこだけに規制をかけるのは不自然で、結局は喫煙所の設置が最もオーソドックスな方法だったわけです。
日本という国は、どうも中途半端にグローバルに事を進めたがる傾向があります。観光の視点で考えても、インバウンド(訪日外国人観光客)を呼び込もうというときに、日本独自のルールを強要するというのはいかにもチグハグです。仮に国内全土が禁煙の国があったとして、その国が万国博覧会を開いたら、やはり喫煙所は設置すると思いますよ。
子供の来場者のことを考えても、むしろ吸わない人のために喫煙所を整備しておかないと、前述した隠れ喫煙による受動喫煙が発生してしまう。どこにも喫煙所がなく、会場内のそこかしこでたばこを吸っている大人・外国人の姿を見たら、子供にとって悪影響です。喫煙所をつくり、ルールを守って決められた場所で吸ってもらうほうが、はるかに健全でしょう。なぜこの点が万博会場の準備段階で抜け落ちてしまったのか。疑問が残ります。
――メタンガスの爆発事故もあったように、火気厳禁の埋立地という立地の安全管理にも、似たことがいえますね。喫煙所の設置によって、イベントの安全性が高まったのではないでしょうか。
【村中】津波のように事前のリスク想定やマニュアル対応が難しい事象に比べれば、外国人の来訪に備えて喫煙所をつくるのは、はるかに易しい。新しい技術や発明品が求められるわけではなく、従来あるものを設置するだけですから。以前に私も、「宇宙服のように内部で空気が循環する喫煙服を発明したらどうか」と提案したことがありますが(笑)。
――喫煙所の設置により、喫煙者と非喫煙者がともに万博を楽しみ、来場者の満足度が高まったという点は評価できますね。
【村中】万博における喫煙所の設置は今後、国際会議や五輪などの国際イベントを開催するうえで一つの教訓、スタンダードになるでしょう。グローバルな趨勢を見ても、健康ブームの旗手であるWHOを含め、めざすべき世界標準は禁煙ではなく「分煙」(受動喫煙対策の徹底)です。
喫煙者と非喫煙者が共存するために、喫煙所という環境整備は必要です。国際的な会合や催しを開くにあたり、該当エリアを訪れる多様な人びとへの制限を一部解除し、喫煙所のような緩衝地をつくることで、多くの人が集まるようになります。
たばこをめぐる話は、外国人も含めて喫煙者を社会のなかでどのように位置付け、お互いの共存を図るかという点に関わります。ほとんどの喫煙者は、なにも意図して周囲の人に迷惑をかけようとしているわけではないはずで、生活の一部として、たばこを好んで吸っているわけです。スマホを触る、水やコーヒーを飲むのと同様の行為をどこまでルールによって規制できるか。慎重に考えたほうがよいと思います。
たとえばデンマークでは2011年、国民の健康増進を目的に「脂肪税」(fat tax)を導入しました。飽和脂肪酸を含む食品を中心に課税を行なう政策ですが、消費者や食品業界による批判を受け、2013年に廃止されました。肥満を防ぐためにポテトチップスなど高脂肪の食品価格に上乗せをする、という方向性は悪くないと思いますが、全面禁止とは次元が異なります。
もちろん、鉄道や飛行機のような密閉空間で他人に迷惑をかける喫煙行為は禁止すべきです。しかし、万博のような開かれた広大な敷地内で、朝から晩まで「開場前も閉場後も禁煙してください」と規制をかけるのは、さすがに行き過ぎのように思います。
――事前に喫煙所設置の提案があったにもかかわらず、行政が最初から動かなかった点について、思われるところはありますか。
【村中】政治による影響が少なからずある、と思います。石破茂首相も愛煙家で、以前は自民党たばこ議員連盟の活動も盛んでした。しかし、近年は政治家でもたばこを吸わない人が増え、肩身が狭くなっているでしょう。
また政治家の政策や立ち位置は、有権者の空気を見て決まります。たばこを吸わない人が8割に増えれば、残り2割の喫煙者を悪者にすることで自分たちに票が集まる、と考えても不思議はありません。
他方で日本の財政を考えれば、湯水のごとくたばこ税を納めてくれる喫煙者はむしろ大事にすべき層です。しかし結局は反たばこのマジョリティに押されてしまい、全面禁煙という方向性に政策の舵が切られている気がします。
喫煙所に加えて、ごみ処分場や墓地、原子力発電所など、必要ではあるけれども設置に際して反対が起きる施設はあります。住民から反対の声が寄せられたとき、窓口の行政としては突き返すわけにはいきません。市民からの苦情の電話を1時間も2時間も職員が聞かなければならず、建設的ではない意味不明な主張に応対を迫られることも多い。
そこで政治家がポピュリズムに走ってしまい、「ややこしい争点には関わらない」といって住民に耳を貸さなければ、行政としてはなす術がありません。ましてや票欲しさに多数派の側に立ってしまえば、対立が深まるだけです。
逆に、議員が対立する現場に赴いて利害の調整を行ない、議会が調停の役回りを担うようになれば、政治家や議会に対する有権者の支持や信頼度はむしろ上がるでしょう。
たばこ自体はお酒などと同じく、法律で禁止されているわけではありません。他人に迷惑をかけないように喫煙所で自由に吸ってください、というのが基本的な考え方。お互いの立場を考え、尊重する政策を取る必要があるのではないでしょうか。
――日本が理想主義に傾きがちな理由として、歴史性や民族性の影響はあるのでしょうか。
【村中】歴史的に見れば、日本を含むアジア圏の基本的な考え方は「中庸」にあります。対立軸をつくって異なる意見を戦わせるのではなく、両者の中間を落としどころとし、皆が矛を収める。戦後の一時期、共産主義革命の理想を掲げて抗争を繰り返した日本赤軍などの例外はありますが、和を尊んで仲良くするのが本来のあり方だったはずです。
ところが全体主義や個人主義の議論が盛んになるにつれ、個人の発言が無制限に尊重される空気が広まり、インターネット・SNSでは根拠のない主張や憶断、他者への攻撃が横行しています。中庸の発想が社会から薄れるなかで、政治家もまた、個人的な主義・主張を展開するようになりました。
元来、政治家の役割は異なる人たちの意見を聞き、とりわけ社会的に弱い立場の少数派の意見を汲み、中庸へ落とし込むことにあります。ところが、最近は自らの主張を訴えるのが政治だとばかりに、個人の意見を発する政治家が増えている。
大局を判断して社会を中庸へ導くのではなく、「敵」や「悪者」をつくることでむしろ対立軸を増やしています。このような政治家が日本のみならず、世界でも少なくありません。米国のトランプ大統領はまさに典型でしょう。
もちろん、個人の主張を発するのは正しいことです。しかし政治家の役割として、人びとの対立をコントロールして政策へ反映し、なおかつ結果に責任を負わなければならない。政治が機能するための条件として、忘れてはならない点だと思います。
――ひるがえって喫煙所を社会全体のなかで捉えると、どのようなことがいえるでしょう。
【村中】私自身についていえば、たばこを吸いません。率直にいえば、煙に対する拒否感もあります。しかし、好悪を主張して他人の自由を否定したら、社会というものが成り立たない。
不快であるという理由ですべての場所を禁煙にすることは、自由と他者への配慮を失わせ、社会をさらに分断に導くでしょう。対立を調整する「中立地」が求められるゆえんです。
――それが喫煙所ということですね。
【村中】喫煙所のメリットは、じつはたばこを吸う人、吸わない人の双方にあります。
喫煙者にとっては、喫煙環境が確保されることによって周囲に配慮してたばこを吸うようになり、ポイ捨てなどのマナー違反の改善や、受動喫煙の防止につながります。
非喫煙者にとっては、望まない受動喫煙を避けることができ、喫煙所から距離を置けば不快な思いをすることもありません。
喫煙所の設置は、喫煙者の権利を守るだけではなく、非喫煙者にも利益をもたらします。互恵的利益というべき環境整備により、双方がルールを守り、互いを尊重するようになるでしょう。
したがって、受動喫煙の防止に実効性を求めるのであれば、より小さなエリアに、数多く配置するのが望ましい。喫煙者だけに負担を強いること、喫煙所の数を減らして遠ざけることは、たばこを吸わない人にとってむしろマイナスなのです。
――規制だけではなく、現実に即した「場」づくりが必要ですね。
【村中】規制というのは、環境整備と表裏一体です。自由に制限を加えるだけでなく、どこかで仕組みをつくらなければ、共生という理想は実現しません。喫煙所は公共空間にこそ設けるべきで、万博のような多国籍の人びとが集まる空間であればなおさらです。政治家は万博の好例に学び、喫煙所の設置によって対立軸ではなく「中立地」をつくることに意義があると思います。
更新:11月07日 00:05