
地政学は、地理的な条件と政治、経済、社会、軍事といった分野の相互関係を分析する。日本の指導者と海外の指導者の間には、地政学と不即不離の関係にある軍事的知識について大きなギャップがあり、日本の指導者が国際情勢を理解する際の盲点となっているのではないか。
本稿では、第三十二代海上幕僚長の武居智久氏に「東南アジア、南シナ海」における海底ケーブルの重要性について、地政学の観点から分かりやすく解説して頂く。
※本稿は、折木良一編著『自衛隊最高幹部が明かす 国防の地政学』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです
『国防の地政学』(PHP研究所)
世界の国際通信の約99%は、海底ケーブルを経由していると言われている。東南アジアでは、マラッカ海峡には約10本、シンガポール海峡には約20本の海底ケーブルが走っている。今後ASEAN諸国の経済発展が継続すれば、とりわけ発展著しいインドネシアの主要都市に、海底ケーブルが集中して陸揚げされることになろう。南シナ海の海底の地政学的地図は年々変化していると考えてよい。
海底ケーブルが事故等によって使用不能になった場合、衛星通信ですべてをカバーすることは不可能だ。通信技術は日進月歩で高度化し、4Gの10倍以上の通信速度をもつとされる5G規格の通信技術が一般化し、データ量は飛躍的に増大しており、大容量海底ケーブルの交換時期がさらに早まる可能性もある。
その一方で、海底ケーブルの脆弱性が抜本的に改善される見込みは低い。海底ケーブルは広大なエリアに敷設されており、EEZ(排他的経済水域)内といえども常時監視することは難しい。公海上の海底ケーブルにいたっては「無外装」で意図的な破壊に対する脆弱性が高く、監視も不可能なことから、たとえ破壊行為があったとしても犯人の特定は困難である。


産業革命以降、東南アジアを舞台に、近代国家が総力をあげて行なった戦争は大東亜戦争しかない。したがって、地理が歴史を繰り返させるのであれば、次にこの地域で起こる大国間の戦争は、大東亜戦争に類似した作戦の形態や経過をたどる可能性がある。そこで1941年以降の日本の蘭印作戦と戦略要地の攻略方針を振り返り、将来への示唆を探っていきたい。
シナ事変後の日本は米国が石油の対日輸出を禁止する事態に備えて、地理的に近く、需要を賄える豊富な産油地である蘭印(オランダ領東インド諸島:インドネシア)の石油を確保し、我が国の長期的な安全を図ろうと考えた。
1941年(昭和16年)7月の我が国の南部仏印進駐により、米国から石油の対日禁輸という対抗措置を招き、日本は南方作戦を開始。第一段作戦では、作戦上の要地を攻略して基地を建設することが目標とされた。海軍は、図Aの▲に中間航空基地を建設し、その航空兵力を使って前方の要地を攻略。
南部スマトラ島とジャワ島にある要地を占領。同時に、オーストラリアからの支援を遮断するために、スンダ列島線(★)のアンボンとクーパンを攻略して、防衛線を形成する構想を立てた。また第二段作戦では、その外側地域を攻略して、①防備を固め、②英国を屈服させ、③米国の戦意を破摧することを意図した。
図Bは、海軍が基地を構築した地点を示している。まず第一段作戦では、我が領域にあって防御する地点(●)と占領地のなかで防御すべき地点(▲)及びその周辺に大小の基地(★)を建設し、戦略的要地の防御態勢を固めた。
次に第二段作戦では「不敗の戦略体制」を強化・確立する目的をもって、オーストラリアと米英を遮断する位置にあるニューカレドニア、フィジー、サモア(▼)、英印間の連絡を遮断するセイロン(◆)、そして米艦隊による本土奇襲を防ぎ偵察拠点とするミッドウェー(◉)の攻略を計画したが、ミッドウェー海戦で大敗したため、いずれも計画だけで終わっている。
ミッドウェー海戦の敗因として、北太平洋には航空機による偵察活動の基地となる島嶼がなく、また米海軍の優れた対潜能力が我が潜水艦の行動を妨げ、米空母部隊の動静把握に必要な情報収集をできなかったことがある。

これらの歴史を踏まえて、現在の東南アジアから太平洋地域を見てみたい。中国は一帯一路構想のもと、持続的な経済発展とオイル・ルートの安全確保を目的に南シナ海からインド洋の要域への関与を強め、またスリランカから太平洋島嶼国に至る広範な地域に積極的な投資や支援を進めている。
将来、東南アジアと南シナ海を舞台に大国間の衝突があるとすれば、台湾海峡危機に起因して中国と西側諸国との対立が武力衝突にエスカレートする場合が考えられる。その際、彼我の勝敗に影響すると思われる要因は蘭印攻略戦と同じく、太平洋に浮かぶ島嶼の帰属と情報収集であろう。
図Cは、この地域の中国の投資先に、人民解放軍が設定する防衛線である第一列島線、第二列島線と、中国海軍の新型爆撃機H─6Jに搭載した対艦巡航ミサイルの到達圏(2900㎞)を重ねたものである。
この図から明らかなように、第二列島線と対艦巡航ミサイルの射程範囲が重なっており、中国はミャンマー、マレーシア、インドネシアなど、インド洋から中国本土に至る海上交通の要所に投資を集中、第二列島線の外側にも積極的に投資している。
中国はさらに、日本海軍が第二段作戦で攻略できなかった南方のフィジー、サモアにも進出し、ニューカレドニアに代わってバヌアツに進出している。一方、日本海軍が重視し防御を固めたマーシャル諸島には、台湾との関係から進出できていない。
これは、第二列島線の要衝であるパラオも同じである。中国にとっての第二列島線は、かつて日本海軍が第一段作戦で獲得をめざした地域に該当し、その外側に広がる地域は第二段作戦で獲得をめざした地域、すなわち防御に縦深性を与え、米国やオーストラリアからの支援を遮断するエリアに相当すると見ることができる。
中国が第二列島線の内側で優位を保とうとすれば、外側の海域の情報優越を得ることが不可欠となる。日本海軍敗北の直接的な原因となった、北太平洋の基地及び情報の空白地域をどう埋めるかが、台湾海峡危機において中国にとっての大きな戦略的課題になるということである。
現代では、偵察衛星と合わせて、島嶼国から滞空型大型無人偵察機を用いれば、図Cに扇型で示すように、米国来援兵力の正確な位置情報を取得できるようになり、情報の空白地域を埋めることができる。また数機を運用すれば、オーストラリアからハワイに至る広域の常時持続的な情報収集も可能になるだろう。
仮に中国が太平洋島嶼国の海底ケーブル上陸地点の機器を自国社製のものに置き換えることができれば、ケーブルを流れるすべてのデータをモニターし、改竄できることになる。
また、無人機で収集したロー・データをここから流し込めば、中国本土でリアルタイムに北太平洋地域の海洋状況を把握できるようになる。さらにオーストラリアと北米を結ぶ海底ケーブルを切断すれば、両者の連携を遮断することができる。
更新:06月29日 00:05