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パリ講和会議における日本の人種差別撤廃提案 その交渉の実態に迫る一冊【書評】

2025年08月22日 公開

奈良岡聰智(京都大学教授)

1919年パリ講和会議、それは日本が初めて大国として世界の檜舞台に立った瞬間だった。日本による人種差別撤廃提案、その歴史的意義の正当な評価を試みる書籍『人種差別撤廃提案とパリ講和会議』(筑摩書房)を京都大学教授の奈良岡聰智氏が紹介する。

※本稿は、『Voice』2024年10月号より抜粋・編集した内容をお届けします。

 

提案をめぐる客観的な交渉の実態

1919年のパリ講和会議は、人類初の総力戦であった第一次世界大戦を終結させ、国際連盟を創設した国際会議として名高い。日本はこの会議に戦勝国の一員として参加し、英米仏伊と並ぶ「5大国」の一員として遇された。

しかし、自国と関わりの薄い問題に対して積極的に発言しなかったことから、日本は欧米諸国からしばしば「サイレント・パートナー」と揶揄された。

もっとも、日本は、この会議で消極姿勢に終始していたというわけではなかった。その証左となるのが、日本が人種差別を撤廃する提案を行なっていたという事実である。

会議開催前、日本では、欧米列強から差別的な扱いを受けるのではないかという懸念が強くもたれていた。実際日本人は、当時アメリカやイギリスの自治領への移民が制限されるなど、差別を受けていた。

そこで日本は、講和会議の場で作成される国際連盟の規約に、人種による差別を禁止する条項を盛り込もうと働きかけた。結果的にこの提案は否決されたが、パリ講和会議における一つの大きな政治的争点となった。

これまで人種差別撤廃提案に関する著作は少なからず発表されているが、日本の公刊外交文書に不備があり、英語圏の一次史料も十分に調査されてこなかったため、基本的事実ですら不明な点が少なくなかった。

これに対して本書は、関係者の会談記録、日記などさまざまな史料を渉猟し、日本の外務省内で提案が起草されてから講和会議の場でそれが否決されるに至るまでの経緯を丁寧に明らかにしている。

日本の牧野伸顕全権、アメリカのウィルソン大統領とその秘書ハウス大佐、オーストラリアのヒューズ首相らによって繰り広げられたせめぎ合いがドラマチックに描かれている点が、本書最大の読みどころである。

日本では、この機会に人種平等を実現すべきだという世論が盛り上がり、全権に強い圧力がかけられ、牧野らは実現に向けて全力を尽くした。

しかし、国内に植民地問題や黒人問題を抱える英米では、アジア系移民の増加に対する警戒心などから、人種平等を規約に盛り込むのは不可とする主張が多かった。

もっとも強く反対したのが、白豪主義を国是としていたオーストラリアで、ヒューズ首相はあらゆる機会をとらえて徹底的に反対運動を展開した。最終的に英米も反対にまわり、提案は否決された。

興味深いのは、この間の交渉から垣間見える英米のリーダーたちの「本音」である。

イギリスでこの問題にかかわったバルフォア外相やセシル卿は、個人的には賛成だとしつつも、日本の提案を通す気はさらさらなかった。

彼らに比べるとウィルソンは日本に同情的だったが、国内世論を考えると提案への賛成は不可能だった。こうした彼らにとって、あからさまに日本の提案に反対するヒューズは、むしろ好都合であった。

著者は、ヒューズの頑なな反対論のおかげで、アメリカが日本の不興を買わずに済んだことに安堵する声がアメリカ全権団内にあったことを紹介している。

従来人種差別撤廃提案に関しては、日本の保守派から、有色人種のために利他的に行なったものであったと賞賛される一方で、リベラル派からは、日本がアジアの諸民族を差別していたことに目をつぶっていたと批判される傾向があった。

これに対して、欧米諸国では、日本が講和会議で最重要視していた山東問題(山東半島の旧ドイツ権益の処分問題)の取引材料としてもち出したにすぎないと貶められることが多かった。

本書は、こうした評価から距離をとり、提案をめぐる交渉の実態を客観的に解明したが、提案の意義についてはあまり踏み込んだ評価を下していない。

私見では、この提案は、日本が珍しく「理念」を前面に打ち出した外交であり、英米以外の多くの諸国の賛成を得たことの意義は、(アジアとの関係における偽善、以後のこの問題に対する不熱心といった問題とは別に)正当に評価されて然るべきではないかと思う。

コロナ禍以降、アジア人に対する差別の問題が欧米社会でしばしば噴出するようになった。こうした問題を考えるうえでも、この提案を振り返る意味は大きい。

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