2025年02月07日 公開
「テクノ・リバタリアン」は、国家と敵対するよりも利用することを考える。それをもっとも鮮やかに実践してみせたのが、トランプを再び米大統領の座に押し上げたイーロン・マスクである―。テクノロジーと政治の結びつきは、人類の未来にどのような影響を及ぼすのか。話題の書『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』の著者が明らかにする。
※本稿は、『Voice』2025年1月号より抜粋・編集した内容をお届けします。
1984年、アメリカンフットボールの祭典スーパーボールが行なわれた日に、Appleから発売されたパーソナルコンピュータMacintosh 128Kのコマーシャルが全米の家庭のテレビに映し出された。
ディストピアSF映画の傑作『ブレードランナー』のリドリー・スコットが監督し、スティーブ・ジョブズが強くかかわったであろうこの伝説的なテレビCMでは、灰色の服を着た男たちが、ジョージ・オーウェルの『一九八四』を思わせるテレスクリーンから語りかけるビッグブラザーの演説に聞き入っている。
その集会場に、赤のショーツと白いランニングシャツを着た女性が乱入し、手にしたハンマーを投げつけてスクリーンを破壊する。
そして、「1984年1月24日、Apple ComputerはMacintoshを発表します。そしてあなたは、なぜ1984年が『一九八四年』にならないかを理解するでしょう」というナレーションとテロップが流れた。
それまで、体制を変革するのはフランス革命のような「人民の蜂起」だと信じられてきた。ジョブズによるこのテレビCMが画期をなすのは、全体主義を阻止するのはテクノロジー(パーソナルコンピュータ)だと宣言したことだ。
啓蒙主義以降、リベラリズムは人権を神から与えられた普遍の権利だとして、性差別や人種差別、植民地主義を批判し、「よりよい社会」「よりよい未来」をめざす構想を語ってきた。
ところが第二次世界大戦後、欧米や日本などの先進諸国で、人類史上はじめて「ゆたかで平和な社会」が実現すると、貧困の不安や戦争の恐怖を煽るわかりやすい物語は説得力を失った。リベラルの"敵"はシステムやグローバル資本主義のような抽象的なものに変わり、もはやかつてのようにひとびとに単純明快な"希望"を与えることはできなくなった。
そんな「自家中毒」に陥ったリベラルに代わって、「よりよい未来」を夢見る若者たちを魅了したのがSFやファンタジー小説で描かれたテクノロジーだ。イーロン・マスクは1971年に南アフリカで生まれ、ジョブズのCMが放映されたときは13歳だった。
「発達障害」を自称するマスクは友だちとうまくコミュニケーションをとることができず、学校ではいじめられ、SFとアメコミ、コンピュータに夢中だった。そのころから、人類を火星に移住させることを本気で考えていたという。
Amazon創業者のジェフ・ベゾス(1964年生)、マスクとともにPayPalを創業し、2016年の米大統領選でドナルド・トランプを支持したピーター・ティール(1967年生)、Google創業者のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン(ともに1973年生)もみな、マスクと同じ時代の空気のなかで育ってきた。
極端に高い数学的・論理的知能をもち、10代でコンピュータに親しんだ彼らは、未来を創造するのがテクノロジーであることになんの疑いももたなかった。
彼らはその後、アメリカ西海岸(シリコンバレー)でベンチャー企業を創業し、大きな成功と天文学的な富を手にし、「テクノ・リバタリアン」と呼ばれるようになる。2024年の米大統領選が象徴するように、いまやその影響力は世界を動かすまでになっている。
リバタリアニズムは「自由原理主義」のことで、平等(リベラル)や共同体(保守主義)よりも自由の価値を優先する政治的立場をいう。テクノ・リバタリアンはテクノロジーによって自由の領域の拡張をめざすが、国家を否定するわけではない。ブロックチェーンなどの暗号テクノロジーで中央集権的な組織を破壊し、自由な個人が離合集散する流動的な社会をめざす夢想的な運動は「クリプト(暗号)アナキズム」と呼ばれる。
近代国家は警察や軍隊などの"暴力"を独占しているから、どれほどの富をもっていても、生身の個人が国家権力に対抗できるわけがない。
プーチン政権を批判したオリガルヒ(ロシアの新興財閥)のミハイル・ホドルコフスキーは、逮捕されて動物園のクマ(あるいはチンパンジー)のように、檻に閉じ込められている姿を国営テレビで放映された。その映像を見た世界中の大富豪たちは、国家がその気になれば、いつでも自分の富やビジネス、人生のすべてを簡単に奪うことができると思い知らされたはずだ。
テクノ・リバタリアンはきわめて賢いので、国家と敵対するよりも利用することを考える。それをもっとも鮮やかに(または露骨に)実践してみせたのが、トランプを二度目の米大統領の座に押し上げたイーロン・マスクだろう。
所有するテスラ株の高騰でマスクは2021年に世界一の大富豪になったが、気分の落ち込みがはげしく、吐き気と胸やけに悩まされていた。翌年10月にTwitterを買収したあと、インドネシアで開かれたビジネスサミットで、「次なるイーロン・マスクになりたいと思う人にアドバイスを」と問われ、「本当に私のようになりたい人がどれほどいるのでしょうか。私は異次元の拷問を自分に科していますから」とこたえた。
ウォルター・アイザックソンの評伝(『イーロン・マスク』文藝春秋)によると、この稀代の起業家は、つねに自分を興奮状態に置いていないと深いうつの闇に沈み込んでしまうらしい。私には想像もできない深謀遠慮があるのかもしれないが、Twitter買収も、トランプ支持も、その目的はたんにより強い刺激を得ることだったのではないだろうか。
マスクは「言論の自由の絶対主義者」として、それ以前からWoke(ウォーク=社会問題に意識高い系)やSJW(Social Justice Warrior=社会正義の戦士)と呼ばれる左派(レフト)と敵対していた。
最初の妻との子どもの一人が男から女にジェンダー移行し、父親を「資本主義者」と批判するようになったことや、法学者から民主党の上院議員になったエリザベス・ウォーレンから「税金を納めていない」と批判されたことが理由だとされる。
――ウォーレンの投稿に猛反発したマスクは、ストックオプションを行使して当時の為替レートで1兆2500億円を納税し、「(税務署に立ち寄ったら)クッキーでももらえるような気がする」と皮肉った。
Twitterを買収してXと名称を変え、Woke相手に連日バトルを繰り広げたことで、マスクは2億人を超えるフォロワーを獲得し、世界一の大富豪であると同時に、世界一のインフルエンサーになった。
2024年7月13日、トランプがペンシルバニア州で演説中に銃撃され、九死に一生を得たあと、マスクはトランプ支持を公式に表明し、その後はトランプ陣営に100億円以上を寄付するなど、二人三脚で選挙戦を支えた。当選後は「政府効率化省」なる組織を主導して政府外から助言や指導を行ない、年間5000億ドル(6兆5000億ドルの政府支出の8パーセント弱)の無駄な支出を削減すると述べている。
ちなみに政府効率化省の略称である「DOGE(Department of Government Efficiency)」は柴犬をモチーフとした暗号通貨「ドージコイン(DOGE)」からとられている。マスクはこの「ジョーク通貨」がお気に入りなのだ。このようにマスクの言動には、本気なのか冗談なのかわからないところがあり、それがまたSNSユーザーたちを惹きつけるのだろう。
日本でも先の兵庫県知事選で見られたように、いまではSNSが新聞やテレビなどのレガシーメディアより大きな影響力をもつようになった。メディアとSNSが異なる主張をしているときに、時間資源にかぎりのある有権者が"ファクトチェック"によってどちらが正しいかを見極めるのは困難だ。だとしたら、インフルエンサーに乗せられて"推し活"するのは合理的ともいえる(なにより面白いし夢中になれる)。
2億人のフォロワーをもつマスクは日々の活動のなかでこのことに気づき、そのパワーを確認するために米大統領選を「社会実験」の場として使ったのではないだろうか。
トランプに賭けるという「ギャンブル」に勝ったことでEV大手テスラの株価は大きく上昇し、未上場の宇宙開発会社スペースXの企業価値も上がった。それによってマスクの個人資産は4000億ドル、邦貨で60兆円を超えたとされる。
だがこれも最初から計画していたというよりも、次々と刺激を求めた結果、その天才によって状況の変化を収益機会に変えていったのではないだろうか。SNSも米大統領選も、マスクにとっては「遊び場」あるいは「(抑うつから逃れる)セラピー」なのかもしれない。
テクノ・リバタリアンの思想は、近年では「効果的な加速主義(Effective Accelerationism)」と呼ばれ、その支持者はe/accの略称を使う。これは「効果的利他主義(Effective Altruism:略称はEA)」からの派生語だ。
効果的利他主義はオーストラリアの哲学者ピーター・シンガーが唱え、2000年代からシリコンバレーを中心に影響力を広げた。
その主張は慈善もビジネスと同様に費用対効果(コスパ)を重視すべきだというもので、同じ1ドルを寄付するのなら、その資金をもっとも効果的に活かす団体を選ぶべきだとする(先進国の住人は、相対的に恵まれた自分の国の貧困者を支援するのではなく、アフリカの子どもたちの貧困や健康問題を解決する団体に寄付すべきだということになる)。
もっともよく知られた効果的利他主義者はサム・バンクマン=フリードで、27歳で暗号資産の取引所FTXを創業し、「人類史上最速で大富豪になった男」として時代の寵児に躍り出た。
ところがその後FTXは破綻し、邦貨で1兆円を超える顧客資産が返済不能になって逮捕、懲役25年の刑を言い渡されて刑務所に送られた。フリードは12歳のときに功利主義者になり、「寄付するために稼ぐ」という主張に共鳴して莫大な金額を慈善事業に投じていた。
一方、効果的加速主義者は、貧困や戦争、気候変動などの問題は技術的に解決することができ、より効果的により多くの不幸なひとたちを救うにはテクノロジーの進歩を「加速(acceleration)」させなければならないとする。
イギリスの若手哲学者ウィリアム・マッカスキルはシンガーの影響を受けて効果的利他主義の伝道師になったが、その後、「長期主義(Longtermism)」へとその道徳思想を発展させた。長期主義は、未来に生まれる人類の数のほうが、現在の人類の数(90億人)よりもはるかに大きいことに注目する。人類の寿命の期待値を500万年とすると、一人の現代人に対して100万人の未来人が存在することになる。
人間の命の重さに軽重はないのだから、功利主義的に考えれば、わたしたちは現在のことだけでなく、未来のひとびとの運命も考慮しなければならない。未来人の効用を最大化しようとすれば、地球を荒廃させることは許されず、仮にそうなったとしても(いずれにしても太陽はあと50億年で死滅するのだ)宇宙に移住した人類が繁栄できるようにするべきだ。
「長期主義」で考えると、現在のわたしたちの使命は、未来の人類のために技術進歩を加速させることになる。このようにして、効果的利他主義は効果的加速主義と結びつき、いまではシリコンバレーのテクノ・リバタリアンたちが奉じる教義になっている。
未来学者のレイ・カーツワイルは2005年に、テクノロジー(とくにコンピュータの情報処理能力)の指数関数的な向上によってAI(人工知能)が2029年に人間の知能を超え、45年には脳と機械(AI)が接続されるシンギュラリティ(技術的特異点)を迎えると予想した(2024年刊行の『シンギュラリティはより近く 人類がAIと融合するとき』〈NHK出版〉では、これらの予想が着実に実現し、分野によってはより早まっていると述べている)。
シンギュラリティは、数学や物理で「これまでと同じルールが適用できなくなる点」を意味し、ブラックホールの中心にある無限に密度の高い特異点では通常の物理法則は破綻する。同様に人類と機械の共進化が特異点に達すると、そこでなにが起きるかを現在の常識で予測することはできないが、カーツワイルは、脳からコンピュータへのアップロード(全脳エミュレーション)によって不死が実現されるだろうと述べている。
イーロン・マスクは、気候変動から地球を救うためには化石燃料の使用をやめなければならないとして、電気自動車のテスラを創業した。巨大ロケットの打ち上げに次々と成功しているスペースXの最終的な目標は、人類が地球に住めなくなったときのための火星移住を実現することだ。
また2016年に創業したニューラリンクは、脳に網目状の電極を埋め込んでニューロンとコンピュータを接続し、相互作用できるようにするBCI(Brain Computer Interface)を開発している(24年1月に四肢麻痺の患者にチップを埋め込む臨床試験に成功した)。
Chat GPTを開発したオープンAIのサム・アルトマンも効果的加速主義者で、あらゆる作業を人間以上の効率性と正確さで行なう汎用AI搭載のロボットを開発し、人類を労働のくびきから解放することをめざしている(AIが働き、その収入を全世界のひとびとにベーシックインカムとして分配する)。
それ以外にもGoogleやMeta(旧Facebook)などのグローバルテックや、さまざまな新興企業がシンギュラリティをめざす競争に殺到している。とはいえ、テクノ・リバタリアンがひとつの思想のもとにまとまっていたり、ましてや「陰謀集団」を形成しているということではない。
シリコンバレーは狭い世界で、大富豪たちはみな知り合いだが、ビジネスではげしくしのぎを削っている。自らの経験から、テクノロジーの進歩に取り残されれば、たちまちライバルたちに先をこされ、どれほどの大企業であっても跡形もなく消滅してしまうことを知っているからだ。そしてこの生き残りをかけた競争によって、テクノロジーは加速度的に進歩していく。
だからこそ、テクノ・リバタリニズムが「世界を変える唯一の思想」になったのだ。
更新:02月09日 00:05