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【いま、民主党政権を振り返る】第4回 意気込みが空回りした地域主権改革

2012年10月05日 公開
2023年09月15日 更新

荒田英知(政策シンクタンクPHP総研地域経営研究センター長)

 シリーズ「いま、民主党政権を振り返る-この3年で成したこと、直面する課題とは何か-」 の第4回「意気込みが空回りした地域主権改革 -着手はしたが展望は描けず-」です(シリーズは全6回予定)。
 

 民主党代表選では、野田総理が再選され、自民党新総裁も決まりました。遅くとも来年の夏までには解散総選挙となり、国民には新たな政権選択が求められるでしょう。
 

 09年の政権交代から3年、この機会に民主党政権の実績をさまざまな視点から検証し、今後のわが国の課題について考えていきたいと思います。今回は民主党政権3年の地域主権改革について振り返ります。

 

地域主権改革は時代の要請

 現在のわが国にとって、明治以来の中央集権体制を改め、国と地方の新しい関係を築き上げることは時代の要請であり、内政上の最大の課題であることは疑いがない。したがって、政権交代を果たした民主党が地域主権改革を前面に打ち出したこと自体は極めて妥当とみることができる。しかしながら、現時点でその成果が十分に上がっているとはいえず、意気込みが空回りした感が強い。なぜそうなったのか、鳩山・菅・野田三総理の国会での所信表明演説と施政方針演説から読み解いてみたい。

 まず、2010年1月の通常国会冒頭で鳩山総理が示した施政方針からは、地域主権改革に賭ける並々ならぬ決意が伝わってくる。
 「地域のことは、その地域に住む住民が責任をもって決める。この地域主権の実現は、単なる制度の改革ではありません。今日の中央集権的な体質は、明治の富国強兵の国是のもとに導入され、戦時体制の中で盤石に強化され、戦後の復興と高度成長期において因習化されたものです。地域主権の実現は、この中央政府と関連公的法人のピラミッド体系を、自律的でフラットな地域主権型の構造に変革する、国のかたちの一大改革であり、鳩山内閣の改革の1丁目1番地です」
 1丁目1番地という言葉をすっかり有名にした演説であったが、問題認識は的確であり、今日でも何ら修正の必要がないものであろう。改革の具体策についても、その後策定された地域主権戦略大綱の骨格を、以下のように示している。
 「今後、地域主権戦略の工程表に従い、政治主導で集中的かつ迅速に改革を進めます。その第一弾として、地方に対する不必要な義務付けや枠付けを、地方分権改革推進計画に沿って一切廃止するとともに、道路や河川等の維持管理費に係る直轄事業負担金制度を廃止します。また、国と地方の関係を、上下関係ではなく対等なものとするため、国と地方との協議の場を新たな法律によって設置します。地域主権を支える財源についても、今後、ひも付き補助金の一括交付金化、出先機関の抜本的な改革などを含めた地域主権戦略大綱を策定します」
 ここで示された改革メニューのうち、「国と地方の協議の場」と「一括交付金」は民主党独自の政策であるが、「義務付けや枠付けの廃止」、「直轄事業負担金の廃止」、「出先機関改革」は自公政権に設置されていた地方分権改革推進委員会が第2次勧告に取りまとめていたテーマである。分権改革は多岐にわたるから、方向性の定まっていた課題を踏襲したことは賢明な選択だったといえるだろう。

義務付け廃止では一定の成果も

 2010年6月に菅政権が誕生しても、地域主権改革に関する基本姿勢は受け継がれたものとみることができる。菅総理は就任直後の所信表明で以下のように述べている。
 「さらに、地域主権の確立を進めます。中央集権型の画一的な行政では、多様な地域に沿った政策の実現に限界があります。住民参加による行政を実現するためには、地域主権の徹底が不可欠です。総論の段階から各論の段階に進む時が来ています。地方の皆さまと膝をつきあわせ、各地の要望を踏まえ、権限や財源の移譲を丁寧に進めていきます」
 鳩山総理が策定を約束した地域主権戦略大綱は、菅政権発足直後の6月に決定された。奇しくも1丁目1番地という位置づけを受け継ぐタイミングとなったのである。
 それから一年あまりが過ぎ、各論では一定の成果が生み出された。そのうち「義務付け・枠付けの廃止」についてみると、関係する法律改正が2011年4月の「第1次一括法」と8月の「第2次一括法」で行なわれた。地方自治体の自主性を強化し、自由度を拡大することを目的に、施設・公物設置管理の基準の条例委任、国との協議、同意、許可・認可・承認の簡素化、計画の策定及びその手続の変更などがその内容となっている。
 自公政権からの懸案事項が一歩前進したことになるが、これが地方自治体の自由度をどれだけ高めるかは評価が分かれている。義務付け・枠付けが廃止された事項について、地方自治体では独自の条例化を進めているが、自治体が独自基準を採用する動きは、公営住宅の入居基準など一部にとどまっている。各種施設の設置基準には依然として国の義務付けが強固であるとの批判も根強い。
 また、改正の一環として地方自治法が定めていた「総合計画(基本構想)の策定と議決」が削除された。全国の市町村が総合計画を策定してきた根拠法がなくなったのである。そこで市町村が総合計画策定を止めるのではなく、自ら議会の議決事項に定めて自らの経営方針を定め、遂行し、チェックするという経営サイクル形成のきっかけとすべきであろう。地方自治体の自立性を高めるという地域主権改革の主旨に照らせば、市町村に自覚を促すという意味で、この改正は評価して良い。
 また、2011年4月には「国と地方の協議の場に関する法律」が成立している。地域主権改革は、その検討プロセスにおいても国と地方が対等のテーブルに着くべきであるという考えに沿ったもので、その理念は正しいものといえる。しかし、その構成員や権能については双方の見解に幅があり、期待通りの役割を果たすには多少時間がかかりそうだ。

国の出先機関の地方移管は進むか

 もう一つ、各論で注目されるのが、国の出先機関の原則廃止と地方移管である。これは国家公務員数の抑制につながると同時に、広域ブロックの事務を地方が担うことになり、将来の道州制にもつながるものだ。
 国の出先機関の事務内容は自公政権の分権推進委で精査され移管検討対象が定まっていたが、菅政権でも再度移管すべき事務の仕分けに取り組んだ。しかし、その結果は芳しくなく、菅総理は2010年10月の所信表明で、「国の出先機関が扱う事務・権限移譲については、各府省が検討結果を8月末に提出しましたが、不十分であり、やり直しを指示しました」とわざわざ言及している。
 再検討をへて、12月には「出先機関の原則廃止に向けて」と題するアクションプランを閣議決定した。その内容は、出先機関単位での丸ごと移管を基本とし、既存の広域連合を拡充した受け皿制度を整備し、人員・財源にも所要の措置をした上で、2012年の通常国会に法案提出、2016年度中の移管を目指すというものだ。30万人の国家公務員のうち、約20万人が出先機関に所属しており、移管が進めば国と地方の関係は目に見えて変わることになる。
 その後、国土交通省の地方整備局、経済産業省の経済産業局、環境省の地方環境事務所の3機関を先行移管することが決まり、地方側も関西や九州などで複数の府県が広域連合を設立して受け皿となる方向が定まった。この時点で、出先機関廃止は具体化の流れに乗ったかのようにみえた。

復興は地域主権で進んでいるか

  東日本大震災後、2011年9月に誕生した野田政権は、復興を最大の課題として、大震災から8カ月目となる11月にようやく12兆円規模の第3次補正予算を成立させた。10月の所信表明では、野田総理は「地域主権改革の理念に沿って、被災自治体に使い勝手のよい交付金を創設するとともに、自主事業を思い切って支援し、各種の補助事業でも自治体の負担分を実質的にゼロにします」と言及している。
 しかし、地域主権改革そのものについては、就任直後の所信表明では「地域主権改革を引き続き推進します」と述べるにとどまり、2012年1月の施政方針演説でも、「行政サービスを効率化し、国の行政の無駄削減を進めるためにも有効な地域主権改革を着実に具体化していきます」と、鳩山・菅政権では明らかに目的として掲げていた地域主権改革を、行財政改革の手段と位置づけるかのような表現になっている。消費増税に国民の理解を得るためには、あらゆる分野で無駄削減を訴えることが重要との認識が先取りされていたものと思われる。
 また、野田総理は年明け1月の施政方針演説で、次のように復興への決意を語っている。
 「先の国会で成立した3次補正予算と関連法によって、復興庁、復興交付金、復興特区制度など、復興を力強く進めていく道具立てが揃いました。復興という名を戴いた新しい役所は、被災者に寄り添い続け、必ずや被災地の復興を成し遂げるという、与野党が共に刻んだ誓いの証です。復興庁を2月上旬に立ち上げ、ワンストップで現地の要望をきめ細かにくみ取り、全体の司令塔となって、復興事業をこれまで以上に加速化していきます」
 東日本大震災からの復興を被災地本位で進めていくことは、地域主権改革の試金石ともいえ、その執行状況については本稿とは別に検証が求められるところである。
 さて、国の出先機関の移管について、野田総理は2012年1月の施政方針演説で、「国の出先機関の原則廃止に向けて、具体的な制度設計を進め、必要な法案を今国会に提出いたします」とアクションプランに沿った取り組みを明言した。3月には移管のための法案骨子もほぼ固まっていたにも関わらず、結局、閣議決定されることなく法案提出は秋の臨時国会に先送りされてしまった。東日本大震災を機に、大規模災害時の国の役割に対して市町村の期待が大きいことが理由とされているが、災害を口実にした省庁側の巻き返しが進んだのが実態で、平時と有事とを区別した議論が必要であろう。今後、解散含みの国会でどこまで審議が進むかは心もとないところだ。

悪しき政治主導の2つの欠陥

 一連の改革は、総理が議長を務める地域主権戦略会議を舞台に進められてきた。しかし、ここまでの進展をみると、政治主導にこだわるあまり、各論についての専門的な議論の詰めが甘かったとの批判を免れまい。
 地域主権戦略会議の開催状況を振り返ると、その様子を窺うことができる。政権発足から3年の間に開催された地域主権戦略会議は16回。もう一つの売り物である国と地方の協議の場は10回開催されている。自公政権の地方分権改革推進委員会が、3年の任期中に99回もの会合を重ねていることと比較すると、とても1丁目1番地と胸は張れないだろう。各回の会議時間をみても、平均で1時間程度、時には30分で終わっている回もある。これではとても議論は尽くせないだろう。
 総理が議長を務めるからには時間的制約が大きくなることは予見可能なはずである。政治家が手が回らないのなら、実務的なサポート体制をチームとして構築すべきであった。ここに、民主党政権が進める地域主権改革が空回り気味になってしまった理由の一つがあると思われる。
 もう一つ、政治主導で地域主権改革を進めるという時に、民主政権の取り組みには大きな欠陥があった。それは改革のゴールの明示である。地域主権戦略大綱で改革の個別メニューは示した。個々にみればいずれも妥当性は高い。しかし、一連の改革の帰結としてわが国の「国のかたち」がどうなるのかが示されないままであった。これこそが政治主導で示すべき事柄であったはずである。
 じつは、民主党は1998年の結党以来しばらくは、分権改革のゴールとして府県を再編して国の役割を大きく移管する道州制を志向していた。ところが、政権交代が視野に入ってくると、自民・公明との差異化を意識してか、国と基礎自治体の二層制に転換していった。そして政権に就いてからは、地域主権改革は基礎自治体中心主義であると位置づける一方で、出先機関廃止の受け皿は府県の広域連合に求め、地域主権戦略大綱には「いわゆる道州制も検討の射程に入れる」とするなど方向性を見失った感がある。
 悪しき政治主導と評価されることの多い民主党の政権運営であるが、地域主権改革の進展をみてもそうした評価が当てはまると言わざるをえない。政治の役割として改革のゴールを明示することと、それを確実に実現できる推進体制の構築、この両輪なしに国と地方の関係の抜本的な再構築は進まないことを、民主党政権の3年間は示したことになる。
 1993年に国会が地方分権の推進を決議してから20年になろうとしている。この間の歩みの遅さの責任を民主党政権にだけ負わすわけにはいかない。鳩山内閣で地域主権担当の内閣総理大臣補佐官を務めた逢坂誠二衆議院議員は「今の日本にとって、地域主権型社会の実現は、どんな政権になろうとも、その必要性は変わることない公理のようなもの」と述べている。この言葉の重みをすべての国会議員に噛み締めてもらいたいと思う。(2012年10月5日掲載。*無断転載禁止)

 研究員プロフィール:荒田英知☆外部リンク

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