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【いま、民主党政権を振り返る】 第2回 ・政治主導がもたらした外交不全

2012年09月21日 公開
2023年09月15日 更新

金子将史(政策シンクタンクPHP総研国際戦略研究センター主席研究員)

 シリーズ「いま、民主党政権を振り返る-この3年で成したこと、直面する課題とは何か-」 の第2回「政治主導がもたらした外交不全―「自己周縁化」は止められるか―」です(シリーズは全6回予定)。

 本日(9月21日)、民主党代表選では、野田総理が再選されました。来週には、自民党総裁も決まります。遅くとも来年の夏までには解散総選挙となり、国民には新たな政権選択が求められるでしょう。

 09年の政権交代から3年、この機会に民主党政権の実績をさまざまな視点から検証し、今後のわが国の課題について考えていきたいと思います。今回は民主党政権3年の外交・安全保障政策についてふりかえります。

歴史的なパワー・シフトの中での外交・安全保障

 民主党政権の外交・安全保障政策は、歴史的なパワー・シフトが明白になる中で展開されてきた。世界金融危機後、先進国が軒並み地盤沈下する一方で、中国等の新興国は高い経済的パフォーマンスを示してきた。特に中国の経済成長は目覚しく、2010年にはそのGDPは日本を抜き、近い将来米国をも上回ると予測されている。先進国が圧倒的な優越状態を背景に国際秩序を形作るという時代は過去のものとなりつつある。

 今日の国際秩序は、先進国と新興国の行動が正負両面で大きな影響を及ぼし合う「先進国/新興国複合体」と表現しうる(山本吉宣他著『日本の大戦略』<2012年、PHP研究所>参照)。両者の関係は多面的かつ微妙なものであり、経済的には密な相互依存が存在しているが、政治上の価値や利害においては相当距離があり、政治的な関係は対立含みになりやすい。国際経済や環境問題など両者の協調が必要な局面も多いが、急激なパワー・シフトが生起する中で両者の不信感は根深い。かくして米国と中国、あるいは日本と中国といった先進国と新興国の関係は、対立と協調の間で大きく揺れ動きがちになる。新興国の多くは自己主張が強く、伝統的なパワーポリティクスに傾きがちな国々であることから、新興国の国力や発言力が増大すればするほど、国家間関係においても勢力均衡や軍事力重視の色調が濃くなることになる。

 こうした中長期的なトレンドに加えて、民主党政権は、数多くの短期的な変化要因にも直面した。とりわけ東日本大震災の発生後しばらくは、民主党政権は震災や原発事故への対応や復興政策にその関心を集中せざるをえなくなった。加えて、米国、中国、ロシア、韓国、台湾などの指導者が一斉に交代する2012年に向けて各国の国内政治が活発化し、各国の対外政策は不確実性を増していく状況にあった。2011年末には金正日総書記が死去し、突如として北朝鮮も指導者交代期を迎えることになった。2011年はじめからの「アラブの春」では、チュニジア、エジプト、リビアと次々に独裁政権が倒れ、中東も新秩序への一歩を踏み出すことになった。

対米外交では初手から大きく躓くことに

 政権交代の結果誕生した鳩山政権の外交は、こうした国際環境を無視するかのように展開された。中国の台頭がもたらす地域のパワーバランスの急激な変化を平和裏に乗り切るには、堅固な同盟関係を通じて米国をこの地域にひきつけ続けることが不可欠だが、鳩山首相は、海上自衛隊のインド洋給油停止、米国抜きの東アジア共同体構想への傾斜で、早々に米国の不信感を招いてしまう。特に普天間基地問題をめぐる迷走により、政権交代の勢いがあった貴重な時期は空費され、それが大きな要因となって、鳩山内閣は1年も経たない間に退陣を余儀なくされる。鳩山氏の暴走は、沖縄側に幻滅を与えただけで、移設に向けて最終段階に入っていた普天間基地の更なる固定化をもたらしてしまった。

 菅首相は、前政権の失敗をうけて、日米同盟を基軸とする「現実主義」を基調とした外交への脱皮を試みる。普天間基地問題では従来の日米合意に回帰するという鳩山氏が退任時に下した結論を踏襲した。菅政権が東アジア共同体構想をトーンダウンさせる一方で、米国をはじめとするハイレベルな貿易ルールづくりの枠組みである環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉に参加する方向性を打ち出したことは、その持ち出し方の拙劣さはともかく、パワー・シフトが生起するアジア太平洋地域において望ましい秩序をつくっていく上で適切な判断であった。2010年末には、動的防衛力の整備と並んで同盟協力の多彩なメニューを盛り込んだ新しい防衛大綱も発表された。

 東日本大震災においては、発生直後こそ日米間で多少の齟齬があったものの、米国が史上空前の規模で展開した「トモダチ作戦」は日米同盟の堅固さと有事対応能力を如実に示す効果を持った。2011年6月には民主党政権発足後初めて、実に4年ぶりに日米安保協議委員会(2プラス2)が開催され、共通の戦略目標を更新した「より深化し、拡大する日米同盟に向けて」等の4つの共同文書が発表される。

 野田政権が日米同盟を重視する姿勢は明確であり、今年4月の2プラス2や続く5月の首脳会談では日米間の動的防衛協力を促進する方向性が示された。野田首相は、武器輸出三原則の緩和、TPP交渉への参加の表明、集団的自衛権の解釈見直しへの言及など、日本が国際秩序の能動的なアクターとして振舞うことに積極的であり、米国のアジア回帰と相まって、アジア太平洋の安定化に向けて日米が協力していく環境はここへきてようやく整いつつある。

近隣外交ではエスカレーション・コントロールできず

 鳩山首相が東アジア共同体構想など米国から距離を置く姿勢をみせたことは、中国などから一定の好感をもって迎えられた。しかし、それは周到に用意された外交構想に基づくものではなかったため、具体的な成果をもたらすことはなかった。ダメージからようやく回復しつつある対米関係と対照的に、その後の近隣関係は悪化のトレンドにある。

 2010年9月に発生した尖閣沖漁船衝突事件は、菅政権の外交的未熟さを露呈するとともに、台頭する中国との関係の難しさを鮮明に示す出来事になった。閣僚級の交流停止、中国人の訪日自粛、事実上の日本向けレアアース禁輸、フジタ社員拘束と次々に対抗措置を講じる中国の姿は、強力な現状挑戦国の登場を印象づけるに十分だった。菅政権は、当初強硬な姿勢をみせながら、最終的には那覇地検の決定を追認する形で船長を釈放するという幕引きを行ない、日本は強く出れば折れる、というシグナルを中国に送ってしまう。民主党政権の統治があまりに未熟で、まともな交渉相手にならない、という中国側の不信感も決定的なものになる。

 その後も近隣諸国との紛議は頻発する。日中の対立や日米の軋みに乗じるかのように、2010年11月にはメドベージェフ・ロシア大統領が国後島を訪問するという冷戦期にもみられなかった事態が発生した。メドベージェフ氏は首相に転じた後の2012年7月にも国後島を訪問する。韓国も従軍慰安婦問題への日本政府の対応をめぐって態度を硬化、GSOMIA締結の土壇場での延期、李明博大統領の竹島訪問、天皇陛下訪韓に関する不適切発言など、李明博政権の対日政策は常道を逸脱していく。

 2012年は日中国交回復40周年という節目の年だったが、4月に石原都知事が米国において東京都による尖閣諸島購入方針を発表して以降、香港の活動家の尖閣上陸などが発生、日中間ではこの問題に専ら焦点があてられることになった。9月に日本政府が尖閣諸島を国有化する方針を決めると、中国各地ではこれまでになく激しい反日デモが発生し、多数の中国の監視船が尖閣諸島周辺海域を遊弋する事態になった。

 2012年は中国、韓国、ロシアとも指導者交代期の微妙な時期にあたり、国内的な事情から強硬姿勢にうったえかけている面は大きい。構造的にも、特に中国はパワーの増大を反映して高圧的な対外行動をとる傾向が強くなっている。しかし、だからといって、日本に対してこうした挙にでることが必然というわけではない。民主党政権には、問題がエスカレートする前に政治レベルが関与して水面下でコミュニケーションをはかりながら、相手の出方をみきわめ、ゆずれない線を確認しつつ、国内的にも納得を得られる落としどころを見出す努力が不十分という印象がぬぐえない。反日デモなどを通じた心理的な圧迫に対して、国民に安心感を与える努力もみられなかった。 

 より広い目でみれば、指導者が交代する不安定な時期を前にして、日本との関係悪化を避けたいと相手側に思わせる状況を作り出してこなかったことは、民主党政権の失策といえるだろう。特に中国との関係では、尖閣問題や歴史問題が一般市民の関心も高い政治問題と化し、日中のパワーバランスが大きく変化する中、これまで通りのやり方は通用しなくなっている。比喩的にいえば日中間には新たな暫定協定(modus vivendi)が必要になっているのだが、民主党政権にその自覚はなかった。結果として日本と中国をはじめとする近隣諸国の世論の間には相互に不信が深く刻まれ、ポピュリストが幅をきかせやすい雰囲気が醸成されることになった。
 

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