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自民を超えられなかった民主党政権

2012年09月18日 公開
2023年09月15日 更新

永久寿夫(政策シンクタンクPHP総研研究主幹)

国会
 

国民が期待したのは民主党ではなく政権交代

 政権交代から3年。民主党に国民は何を期待したのだろうか。当時の朝日新聞の全国世論調査(09 年8月31 日・9月1日)によれば、目玉公約であった「子ども手当」に民主党投票者の43%が賛成しているが、反対も37%に及んでいる。「高速道路無料化」にいたっては賛成者の2倍強となる56%が反対である。民主党大勝の理由を、「有権者が政権交代を望んだ」と答えた人は回答者全体の81%。つまり、国民は民主党というよりも、政権交代を選んだということにほかならない。

 政権交代を選ぶとは何を意味するのか。それを理解するには、それまでの自民党政権のあり様を振り返る必要があろう。5年半続いた小泉政権から1年ごとに総理が3回代わり、そのたびごとに政策の内容が変わり、日本の進むべき方向が定まらず、やるべきことが進められなかった。その間、経済は停滞したまま、長期債務残高は雪だるま式に増え続けた。そうした自民党政権に嫌気をさした票が民主党に集まったのである。したがって、新政権に期待されたのは、政治を安定させ、決めるべきことを決め、なすべきことを着実に実行するということであった。

 民主党政権がこの期待に応えられなかったのは論を俟たないだろう。70%を超える高支持率で発足した鳩山内閣は9か月足らずという戦後8番目の短命政権で終わった。菅内閣は2回の内閣改造を行うものの、支持率を自民以下に低下させ、1年3か月で退陣となった。この9月で誕生1年を迎えた野田内閣は、不支持率が60%を超えるなど、正念場を迎えている。3年で3人の総理では、自民党となんら変わりはない。なすべきことをなしたかについては個別に検証されるべきであり、別途論考が出される予定だが、支持率の低下をみれば、国民の一般的な評価が低いのはあきらかである。こうなった理由はどこにあるのか。政権運営と政策運営に焦点を当てて考えてみたい。
 

経験不足がガバナンスに混乱を招いた

 政権運営について言えば、民主党は統治能力強化の重要性を強く認識していた。09 年総選挙のマニフェストの冒頭には、政治主導の確立、内閣による決定の一元化、縦割りから官邸主導、といった統治能力強化のための原則を示すとともに、その具現化に向けた策として、政府内に国会議員約100 名を配置、事務次官会議の廃止、国家戦略局や行政刷新会議の設置などが示されていた。これまでに例のない新鮮なプランに大きな期待をした向きは多いはずであり、PHP総研が行った当時の評価も「自民の政策には安定感はあるが、政権運営には不満が残る。民主の政策には不安が残るが、政権運営には期待できる」であった。

 しかしながら、理想を描く能力とそれを実現する能力が別のものと分かるのに長い時間はかからなかった。行政刷新会議、閣僚委員会、政務三役による意思決定、などが導入され、国家戦略局も「室」としてスタート。経済財政諮問会議は休会、事務次官会議は廃止。党内の政策調査会を廃止して内閣に意思決定を一元化し、陳情は幹事長室で集約するなど、政権公約に基づいてさまざまな試みがなされたのは事実である。一方、内閣の要である内閣官房がうまく機能せず、閣僚委員会も有名無実化、経済財政諮問会議に代わるマクロ経済の司令塔も不在のままとなった。党内のほうでは小沢幹事長に力が集中し、意思決定の所在はむしろ二元化したようにも見えた。政務と事務、政府と与党の関係に亀裂が生じ、政策決定プロセスは不明瞭になり、国としての意思がまとまらず、不用意と思われる発言が生まれることとなったのではないか。結果的に、こうした統治機構の変革は途中からより戻しを余儀なくされる。

 一言でいえば経験不足であろう。制度や組織の変革は、それまでの発想や行動様式を変えることであり、良し悪しに関わらず容易なことではない。長期にわたって継続されてきたものには、やはりそれなりの合理性もある。急ぎすぎれば反発を招き、無理を通せば魂が入らぬ形式的なものになってしまう。想定外の矛盾や機能不全を招くこともある。そうしたものを排除しながら変革を進めるには、深慮と熟練が求められる。強いリーダーシップで一気呵成に成し遂げるべきという意見もあろうが、そもそも団結力の乏しい組織の中で強いリーダーシップを確保するための仕組みづくりに挑んでいるのである。総選挙から1年足らずで行われる参議院選挙を控え、与党初体験の民主党が成果を急ぎすぎてしまったことが、思惑通りにならなかったもっとも大きな理由であろう。その後、改善はあったとしても、当初の拙速な動きの影響がずっと尾を引いているように思われる。
 

不安が的中した政策運営

 政策運営については、最初から不安視されていた。09 年のマニフェストの目玉は3つ。統治能力強化のほかに、子ども手当や月額7万円の最低保障年金といった社会保障の拡充、そして財源確保のための無駄撲滅である。不安視されたのは、社会保障の拡充の財源確保が無駄撲滅だけで可能かどうか、マクロ経済運営・成長戦略にほとんど言及がないなか、どのようにしてそれを継続させるのか、という点であった。結果は、第1弾の「事業仕分け」が3兆円の財源捻出の目標に対して1.7 兆円(判定ベース)と半分程度の成果を上げるにとどまったほか、その後、対象を変えながら数度にわたって行われた「仕分け」については小幅な歳出削減に止まっている。「仕分け」は事業・業務の改善の手段なのであって、自治体での事例をみるように、場合によっては増額もありうる。歳出削減は目標ではなく、結果としてとらえるべきであろう。一方、マクロ経済運営・成長戦略については国家戦略室が担当し、新成長戦略、日本再生戦略などを出しているが、その成果を確認するには至っていない。不安は的中してしまったのである。

 PDCAサイクルを回して、できなかった理由を分析し、それを国民に説明し、課題解決に向けた具体的な対応をしていくべきなのだが、それも十分に果たされているとは言いがたい。たしかに党内でマニフェスト検証委員会を立ち上げ、2011 年には「マニフェストの中間検証」を発表しHPに掲載している。今年はこの9月に、前原政調会長がマニフェストの進捗を分かりやすく解説するビデオを載せている。それを前進と評価はできるが、その内容を国民全体に浸透させる努力はどの程度なされたのか。何人の国民がこの事実を認知しているだろうか。また、報告は一方的なものであり、改善を追及するならば、それに基づいて国民との意見交換や専門家からの意見収集を積極的に行うべきである。

 とりわけ、反省すべきは2010 年参議院選挙でのマニフェストと09 年総選挙でのマニフェストの関係性をほとんど説明しなかったところである。内容に大幅な変更があったことは、PDCAサイクルを実施した結果とすればむしろ評価に値する。しかし、せっかくマニフェスト末尾にこれまでの政策実施の自己評価を載せているにもかかわらず、新しい政策との関連性を説明することはなかった。また、普天間問題、消費税増税、TPPといったマニフェストに提示されていないアジェンダについての政策、あるいは政策変更については、より注意深く丁寧に国民に説明し理解を求める努力を怠ってはならなかった。にもかかわらず、政府与党内部における見解の統一が不十分なため、いくら総理が説明責任を果たしていると自覚しても、受け取る側にとっては不信を募らせる結果となった。

 「ねじれ国会」という状況において、政策運営が難しいのはよく分かる。しかし、ねじれを生んだのも民主党政権の政策運営のまずさにその一因があるとすれば、やはりPDCAサイクルの充実は不可欠である。もっとも、マニフェストは選挙における国民との約束なのだから何が何でも貫かなければならない、という教条主義的な動きが内部からあらわれたのは、PDCAサイクルを実行する上で障害となったとも思われる。目指すべき目標は変わらずとも、そこに到達する手段、すなわち政策についてはもっとも高い効果を発揮するよう臨機応変にしていくことこそがPDCAサイクルの本質であることを再確認したい。

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