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『孫子』は日本人に向いていない? 研究者が明かす「孫子に適した国」とは

2025年01月06日 公開

海上知明(NPO法人孫子経営塾理事・日本経済大学大学院政策科学研究所特任教授)

世界最古の兵書・『孫子』。戦略論の王者といわれる孫子の兵法は、つねづね「戦略観がない」とされる日本人の思考法を変えられるのか。『孫子』と古今東西の合戦・戦争を長く研究してきた著者が、近著『戦略大全 孫子』より実際の戦争をもとに分析する。

※本稿は、海上知明著『戦略大全 孫子』(PHP研究所)から一部を抜粋・編集したものです。

 

大国より小国の戦いに適している

『孫子』の成功例としては、毛沢東の持久戦やボー・グエンザップの人民戦争の例が挙げられる。ベトナム戦争の例を見てみれば、北ベトナム側から見て、「いつまでに何をしなければない」という拘束がない。すなわち時の制約がない。むしろ長引かせるということが肝要となる。

グエンザップ自身の言葉を借りれば、「ベトナム戦争ほど楽な戦いはない。なにしろ来襲してくる敵を撃退し続ければいいのだから」ということになる。

そして、軍事以外の他の分野(心理・政治など)を総動員して敵を倒す。ベトナムでの戦いは、単なる抵抗運動ではない。最終的には「解放」をめざすものである。

したがって正規軍の戦いは想定されているが、当初は非対称の戦いから出発しており、「長期間の革命戦争を規定する法則によれば」「通常3つの段階、すなわち防衛、勢力均衡、反攻の3段階を経る」とされており、最後は「拙速」になる。

しかし軍の戦いとともに「解放地区」と「ゲリラ戦区」の拡大という面の重視が取られており、あくまで「点と線」的な発想とは一線を画している。敵の正規軍が決戦に適した軍だとしても、決戦すべき軍が存在しなければ占領に振り向けられ、分散を余儀なくされる。

まさに長期の持久戦のうえで、最後は決戦なのである。『孫子』は攻勢よりも守勢に、大国よりも小国に適するのではないかと思われる。

 

「戦わずして、人の兵を屈する」

 こうした古代の中国の思想的な特徴を持った『孫子』は、同時に春秋・戦国時代という時代背景から、3つの前提の上に成り立っている。

1つ目は「戦争は続く。なくならない」ということである。

2つ目は、しかし「戦争は悪である。してはならない」ということがある。

では3つ目に、「どうするか」ということである。

戦争があるのは、戦争目的があるからである。ならば戦争をしないで戦争目的を達する、ということが肝要ではないか。ここから「戦わずして、人の兵を屈する」という独特の展開が出てくる。

ただし『孫子』は、そのやり方は教えてくれないから、意訳すれば「各人が戦争をせずに戦争目的を達成することを考えろ」ということであり、目的を明確化し、それを達成するための方策を各種方面から考えるという戦略になってくる。

マーケティングとして見ると、情報・計算による損得勘定や戦争目的と手法の関係を明確にする、ということになるだろう。それはVA(バリュー・アナライシス)的な思考ともいえる。

 

言うは易く、行なうは難し

クラウゼヴィッツの『戦争論』は、ドイツ観念論の流れを汲んだわかりにくい文体をしている。対して『孫子』は平易な文章で、当たり前のことを書いている。

しかしかなり抽象的であるため、理路整然とした『戦争論』に比べて解釈などが分かれ、さらに具体的な応用が難しくなっている。

まさに「言うは易く、行なうは難し」が『孫子』である。

当たり前のこととは根本的なことであるが、これを守れるか、これから逸脱しないかは各人に委ねられた課題となる。加えて合戦についても思想書、哲学書としても価値があるものだから、百家争鳴になりかねない。

中国語の難しさは日本語とは異なる。日本語の難しさは、たとえば「科学者は飛行機から降下するパラシュートを観察している」という文章があったときに「科学者が下から、飛行機から降下するパラシュートを観察している」と「科学者が飛行機の中から、降下するパラシュートを観察している」という2通りの解釈が成り立つ。句読点の1つでまったく違ってしまうというのが、日本語の難しさである。

対する中国語の難しさは、表意文字であるから、複数の意味を兼ね備えることで、「兵」は「戦争」「軍隊」「戦略」「戦術」「兵隊」等、実に多岐な意味を持っている。しかも平易、抽象的、簡潔ときているから、『孫子』は実に多くの解釈が成り立つ。

 

「机上の兵学」化が進んだ

 かつて、日本人には戦略的思考がないという問題提起がされ、いわゆる戦略論争と呼ばれるものが起こったことがある。もちろん、戦国時代や南北朝時代を学んだ者なら、日本人が戦略的思考ができないという意見を一笑に付すことだろう。しかし現代の日本に戦略的思考がないのも事実である。

現代の日本に、なぜ戦略的思考がないのかは、太古の時代より『孫子』を受容していた日本の歴史を概観することで理解できるのではないか。少なくとも問題の原因と起源は推察できるのではないか。

それは、日本ではどのように『孫子』を受け入れたか、そのどこに問題があったかを考察することで紐解く、という作業ともなっていくのだろう。そして、それは日本に独自の戦略書が見当たらないのとも連動しているのではないか。

もちろん、戦前においても陸軍少将・大場弥平に代表されるような『孫子』評価が皆無であったわけではない。大場氏の『名将兵談』は簡単な読み物の形式をとりながら、古今の戦史を分析して評価しているが、『孫子』以下の兵法の言葉が全編にわたって鏤(ちりば)められている。

とくに興味深いのは「孫子とクラウゼヴィッツ」の比較を行なっていることである。その相違が強調される傾向が強い両者の比較を、共通点を中心に論評している。

また「攻守」についても触れているが、基本的には攻勢原理として捉えている。ただ、『孫子』のどの部分が強調されているかについても含めて評価は分かれるものと思われる。

しかし江戸時代を経て『孫子』そのものが思想的学問と化し、今日の多くの戦略家研究に見られるがごとく「机上の兵学」化が進んだことに加え、『闘戦経』でも批判されているように『孫子』を卑怯と見なす風潮が存在しているため、日本の風土にはなじまなかったようである。

 

著者紹介

海上知明(うなかみ・ともあき)

NPO法人孫子経営塾理事・日本経済大学大学院政策科学研究所特任教授

中央大学経済学部卒業後、企業に勤務しながら大学院に入る。平成14(2002)年3月、博士(経済学)。日本経済大学教授を経て現職。東京海洋大学・HSU講師を務める。戦略研究学会古戦史研究部会代表。

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