現代のインドで台頭するヒンドゥー至上主義。それに伴って、"イスラームがインドを裏で支配している"といった陰謀論的思考が広がりを見せているという。東進ハイスクール講師の荒巻豊志氏による書籍『紛争から読む世界史』より解説する。
※本稿は、荒巻豊志著『紛争から読む世界史』(大和書房)から一部を抜粋・編集したものです。
第二次世界大戦以前から、インドではイギリスからの独立運動が盛んに行なわれていました。運動を進めていたグループの一つがマハトマ・ガンディーがいたインド国民会議です。インド全域が一つの国として独立しようとする考えでした。
このインド国民会議に対して、インドのムスリムだけで一つの国家をつくろうと主張していたのが全インド=ムスリム連盟で、当然両者の考えは食い違っています。
第二次世界大戦が終わり、イギリスの影響力が大きく低下したところでインドでは独立の動きが本格化しますが、全インド=ムスリム連盟とインド国民会議の対立の溝は埋まらず、1947年に全インド=ムスリム連盟はイスラーム国家としてパキスタンを、仕方なくインド国民会議もインド連邦(1950年にインド共和国と改称)を、というかたちで分離独立を果たしたわけです。
パキスタンはイスラームを奉じるイスラーム国家です。しかし、インド共和国はヒンドゥー国家ではありません。確かにインド共和国の民衆の8割近くがヒンドゥー教徒です。でもインド共和国はどの宗教も特別扱いをしないセキュラー国家なのです。
セキュラー国家という言葉は耳慣れないかもしれませんが、日本もアメリカもヨーロッパもほぼすべての国がそうなので意識していないだけで、どの宗教にも特定の地位を与えない、つまり、政教分離の原則がとられている国のことを指します。
実際にインド共和国には1割強のイスラーム教徒が住んでいます。他にもシク教やジャイナ教といった信仰を持つ人たちもいます。インド共和国はこうした宗教対立をなるべく避ける国家運営をしてきました。
もっといえば、インドでは現在もカースト制度が残存していてカーストによる対立があり、加えて公用語も20近くあります。それゆえ言語による対立もあり、インドはヒンドゥー教徒が多いといってもその内部に対立を抱えており、ヒンドゥー教でひとまとめにできない多様性があります。
したがって、パキスタン=イスラームvs.インド=ヒンドゥー教といった対立図式はあまりにも表面的な見方に過ぎないことを強調しておきます。
「宗教の違いによる対立」もないわけではありませんが、もっと解像度を上げる必要があります。同じ宗教の信徒であっても、熱心な信徒もいれば、親が信徒だったからなんだよね、という人もいるなど、濃淡があるわけです。こうしたことを無視して宗教対立と一言で片づけるのは思考停止だと思っています。
インドとパキスタンの対立はセキュラー国家と宗教国家の対立であって、言い換えれば国民統合の理念をめぐる対立なのです。宗教による対立ではなく、宗教を使って国民をまとめあげようとするパキスタンと、宗教によらず国をまとめあげようとするインドの対立というわけです。
1980年代以降、インドではヒンドゥー・ナショナリズム(ヒンドゥー至上主義)と呼ばれる思想・運動が広がりを見せます。名称から見てヒンドゥー教を重んじる運動のように見えますが、仏教やジャイナ教、シク教といったインドを起源とする宗教は包摂する姿勢をとります。
外来宗教としてのキリスト教やイスラームであっても、ヒンドゥー文化とインド国家に忠誠を誓えば同じ仲間であるという捉え方をします。つまり、彼らのいう「ヒンドゥー」はメタ宗教的な概念なのです。
似ているものとしては日本の天皇崇拝です。キリスト教徒でもイスラームでも天皇を尊崇していれば日本人とみなすというもので、天皇は日本におけるメタ宗教です。
でも、日本も戦前・戦中に過剰な天皇信仰によって、宗教弾圧(たとえば大本教事件)が行なわれたように、ヒンドゥー・ナショナリズムは現在、他の宗教、特にイスラームへの抑圧を強めています。
このヒンドゥー・ナショナリズムの思想及び運動の源流を辿ると古くからありますが、それはさておき彼らは「民族義勇団=民族奉仕団(RSS)」というグループを結成します。
イギリスとナチス=ドイツが戦っていた第二次世界大戦中、イギリスが倒れれば独立できるわけで、RSSはナチス=ドイツを支持していました。インド独立に際し、ムスリムに妥協的な態度をとっていたマハトマ・ガンディーを殺害したのも、RSSに所属していた青年でした。RSSがヒトラーを擁護する立場は今でも変わっていません。
ちなみにインドではヒトラー人気が高く、アイドルみたいな扱いでヒトラーアイスクリームとかヒトラーコーヒーなんてものが平気で売られています。
このRSSがつくった政党がインド人民党で、2014年から政権を握っているモディ首相率いる与党です。2023年の9月に、モディ首相がインドの国名を「バーラト」に変更するというニュースが流れました。日本が国名を「ヤマト」に変更するような感じです。
国名や都市の名前が変わることはよくあります。グルジアがジョージアへ、ビルマがミャンマーへ、といった例が有名です。でも、それを世界が受け入れてくれるかどうかは別物です。日本の教科書や新聞がインドをバーラトと表記することは今の時点ではないでしょう。
インド人民党が勢力を伸ばしていく中で、ナチスを礼賛するような歴史否定論やムスリムに対する差別的扇動(ヘイトスピーチ)、イスラームがインドを裏で支配しているといった陰謀論的思考がインドで広がりを見せています。これはまさに現代的な特徴ともいえるでしょう。
更新:12月23日 00:05