第二次世界大戦後のドイツは、ホロコーストへの反省を強調する一方で、戦争犯罪の全体像を曖昧にし、多くのドイツ人を免責してきた。植民地としていた国々に対する補償も、選択的かつ限定的であったという。東進ハイスクール講師の荒巻豊志氏による書籍『紛争から読む世界史』より解説する。
※本稿は、荒巻豊志著『紛争から読む世界史』(大和書房)から一部を抜粋・編集したものです。
1933年から45年までわずか12年ほどドイツを統治したアドルフ・ヒトラーと、彼が率いたナチスの名は、おそらく人類史が続く限り消えることはないでしょう。第二次世界大戦後のドイツは当然、ナチスとの向き合い方が国内外から問われることになります。いかにして「過去を克服」するのかということです。
ドイツの政治教育(ドイツでは民主的市民性教育と呼ぶ)は極めて評価が高いです。1976年にボイテルスバッハ=コンセンサスという基本原則が定められます。
(1)圧倒の禁止、(2)論争のあるものは論争のあるものとして扱う、(3)個々の生徒の利害関心の重視という三原則で、教師が教壇においてどのように生徒に接するのかを定めたものです。日本でも主権者教育の一環としてこの語が少しずつ広がっています。
政治的無関心と無知がナチズムを広げてしまったことへの反省から、教育は国家が国家のための動員として教化するものではなく、生徒一人ひとりの批判的判断能力を育てていこうとする姿勢には素晴らしいものがあると思っています。
ドイツは宗教教育も重視しています。それは、ナチスに対して弱いながらも最後まで抵抗を示した唯一の勢力がキリスト教だったと思われたからです。
牧師でありながらヒトラー暗殺を企てたディートリッヒ・ボンヘッファーや、「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」の詩で知られるマルティン・ニーメラーのことをドイツで知らない人はいないといっていいでしょう。「良心」を涵養することはナチズムに対する一番の防波堤という認識です。
実はこうした試みは戦後直後から行なわれていたわけではないのです。信じられないでしょうが、ドイツの多くの人がホロコーストのことを知ったのは1978年以降なのです。アメリカのテレビドラマ『ホロコースト 戦争と家族』がドイツで放映されるまでは、ユダヤ人がひどい目に遭っていたということは噂レベルでしか知らなかったのです。
ドイツの政治教育の指針となるボイテルスバッハ=コンセンサスができたのも1976年です。実際に統計では、「ヒトラーを偉大な指導者と思うか」という質問に対し、1975年までは肯定する人が30%台後半をキープしていました。否定する人も40%台後半で推移しています。
2000年の時点で「はい」が25%を切り、「いいえ」が70%を超えるまでに差が開いています。つまり、長い時間をかけて戦後(西)ドイツの国民の物語がつくられてきたといえるでしょう。
この物語とは、徹底的にナチスを否定し、ホロコーストのようなことは二度と起こさせない、というものですが、これは何を「忘却」することでこの物語が成り立つのかを問いかけています。
戦後ドイツの物語の1つ目の柱は、徹底的にナチスを批判するということです。
ところが、ナチスとは一体誰のことを指すのかがよくわかりません。戦争敗北後、ドイツのニュルンベルク裁判で有罪になったナチス党員がいました。アドルフ・アイヒマンやオットー・フンシェのように1960年代になってもナチスの高官は逮捕され裁判にかけられました。
でも、どれだけの元ナチス党員が戦後もそのまま普通に生活していたか。これはオーストリアやフランスと同様、ナチスの党員だった800万人の全員を何らかのかたちで処罰したら国が回らなくなってしまうからです。
冷戦が進む中で、アメリカがドイツを再建してソ連に対する最前線の防衛を担ってもらおうとしたこともその背景にありました。この米独合作でつくられた物語によって、一部の人間のみをナチスとして裁き、多くのドイツ人の犯罪は「忘却」されるのです。
こうして徹底的な非ナチ化ができず、ナチスの一部をスケープゴートにして多くのドイツ人は善良であったとする脚本はアメリカが描いたものといっていいでしょう。1950年代のアメリカ映画には悪としてのナチスと善良なドイツ人という二項対立で描かれた作品があります。
ちなみにその影響を日本のアニメ『宇宙戦艦ヤマト』も受け継いでいます。ゲールというヒラメキョロメ*でデスラー総統へのゴマスリしか考えてない副官が、武士道に則ってヤマトに対して正々堂々と戦おうとするドメル将軍の足を引っ張る姿は、『宇宙戦艦ヤマト』を観た人は記憶にあるでしょう。これが有名な「クリーンなドイツ国防軍」という神話のモチーフです。
(*宮台真司氏がよく使う用語。上の地位に媚びるヒラメ、横に合わせて同調圧力に屈するのがキョロメ。)
実際にはドイツ国防軍も戦争中は残虐な行為を繰り返していたし、何よりドイツ国防軍とナチスをどうやって区別するのかということも定かではありません。だけれども、これを表立って指摘することは戦後のドイツ国民の物語を批判することになるので隠さざるを得ません。
戦後ドイツの物語の2つ目の柱が、ホロコーストを徹底的に反省することです。
ナチス=ドイツが裁かれたニュルンベルク裁判でも、日本の戦争犯罪者が裁かれた東京裁判でも、戦争犯罪についてABCの区分が設けられました。
ABCは優劣を分ける基準ではありません。A級戦犯は、侵略戦争を始めたことに対する罪、B級戦犯は戦場で国際法に反したこと(残虐な行為)への罪、C級は人道に対する罪(ホロコーストに関する罪)です。日本にはユダヤ人虐殺はなかったのでC級戦犯がいないのです。
さて、ドイツが採った戦略はC級、つまり、ホロコーストへの罪を自ら認め反省するということを強調してA級、B級に対する罪を後景化することです。戦争を始めたのも戦場でひどいことをしろと命令したのもヒトラーとその側近だけだよ、としてほとんどのドイツ人を免責したわけです。
ユダヤ人に対するホロコーストへの反省として、第二次世界大戦後に成立したユダヤ人国家イスラエルに対して西ドイツは謝罪をしますが、その裏でイスラエルへの武器輸出によって経済復興に弾みをつけようとしたことも明らかになっています。
ドイツと違って日本は武器輸出について非常に抑制的ですが、ドイツはウクライナ戦争において武器を供与するなど武器輸出について日本のような原則はありません。このことをわかっていないと、ドイツは第二次世界大戦の責任をとって謝罪や補償をしていると勘違いをすることになります。
人道に対する罪に対し、謝罪をしてユダヤ人には補償はしましたが、ユダヤ人以外にはしていません。冷戦終結後にポーランドやチェコとは和解して基金をつくり、そこから補償することになりましたが、わずかな金額です。第二次世界大戦のときですらこの塩梅なので、かつてのドイツの植民地支配に対する補償についてはいわずもがなです。
ドイツは第一次世界大戦ですべての植民地を失いますが、ナミビアやルワンダなどがドイツ領でした。ナミビアは長く植民地下でのドイツの虐殺行為(ヘレロ=ナマの抵抗を鎮圧)に対してドイツ政府へ補償を求めていました。
2021年になってドイツ政府が虐殺の事実を認め、約1500億円の復興援助を行なうと決めましたが、あくまで復興援助であって補償ではありません。タンザニアでも、1905年に起きたマジマジの乱を鎮圧し多くの死者を出したことに対して、2023年に謝罪はしますがやはり賠償には応じていません。
更新:12月22日 00:05