2024年07月12日 公開
ハマスによるイスラエル襲撃事件は世界に大きな衝撃を与えている。事件以降、欧米諸国と、中東諸国を含むグローバル・サウスとのあいだに溝が生じている理由とは? 『Voice』2024年7月号より、江崎智絵氏の考察を紹介する。
※本稿は、『Voice』(2024年7月号)より、より抜粋・編集した内容の後編をお届けします。
10・7事件後、アメリカ国内が親イスラエル勢力と親パレスチナ勢力に分断される過程では、アメリカの言動がダブルスタンダードであることが露呈した。バイデン大統領が10・7事件をロシアによるウクライナ侵攻と結び付けたことがその顕著な例である。
2023年10月19日、イスラエルから帰国したその日に行なわれた演説で、バイデンはハマスとプーチンがともに民主主義にとっての脅威であると発言した。それは、以下のようなロジックとして説明された。
ロシアは、ウクライナを併合しようとしており、20カ月におよぶ戦争を強いている。これを放置すれば、他の場所でも同様の事態が発生しかねない。
現に、イスラエルの生存権を否定するハマスは10・7事件を引き起こし、イスラエルに甚大な被害をもたらした。ロシアとハマスを支援しているイランの責任も追及し続けなければならない。アメリカがウクライナとイスラエルに背を向けてしまえば、他国にアメリカと連携したいと思わせるアメリカの価値も損なわれてしまう。
この発言内容に対して、グローバル・サウスからの批判が出たと指摘されている。10・7事件以降のガザ戦争に対して、欧米諸国と、中東諸国を含むグローバル・サウスとのあいだには歴然たる溝が生じたというのである。そのために、ガザ戦争がロシアに制裁を科すといったウクライナに対する国際的な協力をより困難にするといわれた。
バイデンは、イスラエルをウクライナとリンクさせたが、グローバル・サウスにとってウクライナとリンクされるべきは、パレスチナであった。なぜならば、グローバル・サウスに含まれる多くの国は、占領者であるロシアと被占領者であるウクライナという両者のあいだに存在する構造的に非対称的な関係性を、ガザ戦争の当事者であるイスラエルとハマスにも見出しているからである。
つまり、ガザ戦争の背後には占領者であるイスラエルと被占領者であるパレスチナとの対立が存在しているという認識であろう。
2023年10月末に国連のグテーレス事務総長が発言したように、民間人に対するハマスらの行為を一切正当化することはできないながらも、ハマスの攻撃が何もないなかで起きたわけではなく、パレスチナ人が57年間も占領下に置かれていることを認識する重要性は、グローバル・サウスに限らず、アメリカ国内の若者やパレスチナ国家を承認すると表明したスペインなど一部の欧米諸国にも理解されているといえる。
また、2022年2月に始まったロシアによる大規模なウクライナ侵攻に対し、アメリカを筆頭とする欧米諸国は、迅速にロシアを国際法違反であると非難した。しかし、バイデン政権は、2024年5月、議会に対し、ガザ戦争においてイスラエルによる国際法違反は現時点では断定できないという報告書を提出した。
10・7事件をめぐるアメリカのダブルスタンダードは、中国およびロシアとの競合のなかで、アメリカがソフト・パワーを駆使しながら構築しようとしている秩序に親米および親イスラエルといえる中東諸国を組み込むことで、自らの陣営を固めたいというアメリカの恣意的な思惑の産物であろう。ハマスをどのように扱ってきたのか、という点にも同様の問題が隠されている。
ハマスは、2006年1月に実施されたパレスチナ自治政府の立法機関の選挙で第一党となった。これに対して、アメリカや欧州連合(EU)などは同3月に発足したハマス単独内閣をボイコットした。
対照的に、イスラエルとの和平交渉の実質的な主体組織であったファタハへの支援体制がEUを中心として整えられていった。国際暫定メカニズムと呼ばれるそれは、ハマスによって構成される自治政府を経由することなく、西岸・ガザの住民のニーズを満たすための経済政策であった。
EUがこのような政策の導入によりめざしたのは、ハマスを失敗させることであった。ハマスが統治することの代価を西岸・ガザの住民に知らしめ、彼らのハマス離れを加速せるために、ハマスに対する締付けが強化されたのであった。
この背景には、EUが2006年の選挙結果をハマスの勝利に代表される民主主義ではなく、EUが投資してきた自治政府による統治の失敗、と捉えたことがある。こうした認識ゆえに、EUは、法による統治の原則を推進力としてハマスに対する制裁を行なうようになったのであった。
アメリカのハマス対策もEUが掲げる目的を共有するものであった。ブッシュ政権は、9・11事件後、中東民主化政策を打ち上げた。これは、対テロ戦争と密接に関わっており、軍事力を行使してでも中東に民主主義を確立することでテロ組織の温床を除去するとともに、中東諸国が戦争といった暴力的手段を選択する可能性を極小化するためであった。
こうしたなかでハマスの勝利は、選挙の実施というアメリカが追求している民主化のひとつの帰結が歓迎しがたい政治的イスラム主義の勢力を拡大させた、と捉えられたのであった。
このためアメリカは、自らファタハと手を結び、ハマスを力で屈服させるための計画まで練り上げたのであった。ただし、この試みはハマスの徹底抗戦が奏功したことで潰え、当初の想定とは逆に2007年6月のハマスによるガザ地区の実効支配の確立という事態を招くことになった。
10・7事件後、バイデン政権は、イスラエル・パレスチナ紛争を解決する持続可能なアプローチを進展させなければ中東における戦略的目標を達成することはできない、と認識するようになったとされている。
ゆえに、アメリカは、中東政策の見直しを迫られている。それは、政策面で大きな転換がなされなければ、詰まるところ中東におけるイランの政治的立場が強化され、イスラエルが孤立するとともに、アメリカが地域的な事件に及ぼしうる影響力を失ってしまうとの懸念があるためである。
2003年のイラク戦争を契機として、アメリカの影響力は低下してきた。10・7事件後もそれは明白であった。アメリカは繰り返しイスラエルに対して、ガザ南部への攻撃を自制するよう求めてきた。しかし、イスラエルを止められてはいない。
だからこそであるのか、アメリカは、ハマスおよびロシアに対峙することで、他国にアメリカと連携したいと思わせるというアメリカのソフト・パワーを維持したいと吐露していた。「ネゲブ・フォーラム」もアメリカが自らのパートナー同士の友好を深め、ともに平和や繁栄を謳歌することで利益を得るための枠組みであった。アメリカが考える影響力の中身が透けて見える。
10・7事件をテロとの戦いのロジックで捉えているアメリカは、イラク戦争の失敗を繰り返したくはないであろう。ハマスとの戦い方をイスラエルに助言したのもその証左である。
しかし、イスラエルとともにハマスの政治的躍進を民主主義の失敗と捉え、政治的な枠組みから排除してきたことが現在の混乱を招いたのであれば、アメリカやイスラエルが考えうる戦後の選択肢はいずれ元の木阿弥となってしまわないか懸念される。我が身を振り返って出直せるか。一刻も早い停戦が求められるいま、アメリカにとっても正念場ではないか。
更新:10月30日 00:05