2024年07月09日 公開
2024年12月16日 更新
ハマスによるイスラエル襲撃事件は世界に大きな衝撃を与えている。ハマスの動機、そして襲撃がイスラエルとアメリカにもたらした衝撃とは? 『Voice』2024年7月号より、江崎智絵氏の考察を紹介する。
※本稿は、『Voice』(2024年7月号)より、より抜粋・編集した内容の前編をお届けします。
2023年10月7日、パレスチナの政治組織でガザ地区を実効支配する「イスラム抵抗運動(ハマス)」らによるイスラエル襲撃事件(以下、10・7事件)が発生した。イスラエル側では同日だけで1100名以上が殺害されるとともに、240名ほどが人質としてガザ地区に拉致された。
10・7事件が関係者に与えた衝撃は大きなものであった。まず、イスラエルである。イスラエルは、10・7事件までの50年間、鉄壁の守りを誇ってきた。それが崩されたのである。
国家の生存に対する恐怖心が一気に高まったとしても不思議ではない。なにせ先に述べた被害の甚大さは、鉄壁の守りであったはずのイスラエル軍がハマスらの不穏な動きを事前に察知しながらも、策を講じる必要性を認識していなかったがゆえのことであった。
イスラエルの対ハマス観は180度変わることになった。10・7事件の発生まで、イスラエルは、ハマスに対するアメとムチの政策が自国の安全に寄与していると考えていた。
ハマスへのアメとは、ハマスが実質的に統治するガザ地区からイスラエルに向けてロケットが飛んでこなければ、ガザ地区からの出稼ぎ労働者数を拡大するなどの経済的誘因を与えることである。
反対にムチとは、ガザ地区からのロケットの飛来などに対するイスラエル軍の報復攻撃のことである。イスラエルに向けてガザ地区からロケットが発射されることは、イスラエルにとってハマスがガザ地区の統治に失敗していることを意味したからである。
10・7事件は、この政策の破綻を意味し、イスラエルは、自国の安全を確保するうえでハマスを壊滅させる必要性を痛感したのであった。ゆえに、10・7事件の発生を受け、同日、イスラエルのネタニヤフ首相は、イスラエルが戦争状態にあるとの認識を示し、ハマスの能力を破壊するためにイスラエル軍がすぐさまあらゆるパワーを行使するとした。
こうして、ハマスとイスラエルとの5度目となるガザ戦争が勃発した。
10・7事件は、ハマスにとっても衝撃をもたらした。2024年3月半ば、筆者は出張先のヨルダンで、ヨルダン人の政治学者とガザ情勢について議論する機会を得た。その際、当人が10・7事件後にレバノンやトルコでハマス関係者に問い質したというハマスの動機について聞かせてもらった。それは、現状を変える、というものであった。
パレスチナ人は、57年間イスラエルの占領下に置かれている。和平交渉は停滞して久しく、パレスチナ人が国家の樹立のみならず、移動の自由や故郷への帰還など様々な権利を公正に行使できる状況にはない。むしろ、ヨルダン川西岸地区におけるユダヤ人入植地の拡大をはじめ、パレスチナ人を取り巻く状況は悪化している。
イスラエル軍は2005年9月にガザから撤退したが、ガザはイスラエルの封鎖によって苦境に喘いでいる。それなのに自分たちハマスは状況に対処するための能力も資源も限られている。パレスチナ人の問題は解決されないまま放置されているのに、イスラエルと一部のアラブ諸国との国交正常化が進められていく。この状況を変えなければならない。
ただし、ハマスにとって想定外であったのは、いとも容易くイスラエル領に侵入できてしまったことだという。イスラエルに奇襲を仕掛けることの代価は当然ハマスも覚悟していたことであろう。それでも、イスラエル軍があのように油断していたとはハマスも思ってもいなかったのである。10・7事件後にハマスらが迎え撃つべきイスラエルの攻撃を想像したときの衝撃は、想定の範囲を超えていたであろう。
それでも、ヨルダン川西岸地区およびガザ地区のパレスチナ住民にとっては、衝撃の一言で済む話ではない。第5次ガザ戦争は、2024年7月上旬時点でその勃発から過去最長の9カ月も継続している。占領地パレスチナを所掌する国連人道問題調整事務所のホームページによれば、7月3日時点でパレスチナ側の死者数は3万7900人以上、負傷者数は8万7200人以上となっている。
ハマスの動機を踏まえると、10・7事件の背景には、アメリカの主導で進められてきたイスラエルとアラブ諸国との国交正常化という地域的な和平の樹立に向けた取り組みが存在している。
2020年にアメリカのトランプ政権下で締結されたイスラエルとUAE、バハレーンおよびモロッコとの「アブラハム合意」を皮切りに、バイデン政権下ではイスラエルとサウジアラビアとの国交正常化に向けた動きが継続中であった。
また、2022年3月、「アブラハム合意」の締約国にエジプトとアメリカを加えた6カ国が首脳会談を行ない、「ネゲブ・フォーラム」という地域協力の枠組み構築に合意した。
パレスチナ自治政府は、この枠組みがイスラエルとの和平プロセスの代替となることを危惧していた。アメリカはこれを一蹴し、「ネゲブ・フォーラム」がむしろイスラエルとパレスチナ独立国家の共存を意味する二国家解決策の実現を促進するものであると位置付けた。
同時にアメリカにとってこの枠組みは、自らがパートナーとみなす国家同士の連携を強化するアメリカの能力を示しうるものでもあった。
10・7事件は、アメリカが関与する地域協力が推進され、拡大を模索されるなかで発生した。これを受け、サウジアラビアは、イスラエルとの国交正常化に向けた協議を一時中断するとした。アメリカが受けた衝撃のひとつであろう。
そのうえで、10・7事件発生当日にバイデン大統領が2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件を引き合いに出して示した通り、10・7事件は「イスラエルの9・11」である、つまり平和的な秩序作りを乱すハマスというテロ組織との戦いの幕開けである、というのがアメリカの認識なのであった。
イスラエルは、2010年9月、経済協力開発機構(OECD)の規約に署名し、正式な加盟国となった。OECDは、個人の自由、民主主義の価値、法による統治や人権の保護を尊重するという同じ志を持った国家の共同体であるとされている。ここに並べた諸項目は、アメリカが推進し、支持してきたリベラルな国際秩序を支える価値規範であるといえる。
こうした国際秩序は、中国およびロシアが自由民主主義という自身にとって脅威となる勢力から権威主義体制を守るべく構築しようとしている国際秩序と対立するものと捉えられている。
イスラエルとアメリカが交わした1988年の合意覚書では、アメリカがイスラエルを北大西洋条約機構(NATO)の加盟国ではない主要な同盟国のひとつとみなすことが明示されている。これは、両国が共通の目標、利益および価値に基づき緊密な関係にあることの証でもあった。アメリカにとってイスラエルは等しい価値規範を有しており、その立場を支持することは常であった。
しかし、10・7事件後、イスラエルを支持するバイデン政権に対しては、アメリカ国内の若者を中心に批判が噴出している。彼らは、親パレスチナ・デモを大学構内で展開するようになり、停戦の実現を含む「パレスチナの解放」を主張し、イスラエルに関連する企業への投資を止めるよう大学側に求めている。
2024年4月にはテントで野営しながらデモが行なわれていたコロンビア大学において、大学側の要請を受けた警察が介入し、学生が逮捕される事態へと至った。親パレスチナ・デモが発生した大学では、ユダヤ系の学生に対する嫌がらせなども発生していたという。
こうした状況を受け、2024年5月、バイデン大統領は初めてデモに対する見解を示した。表現の自由は権利であるが、デモは平和的で、学ぶ権利を妨げてはならないとし、反ユダヤ主義もしくはイスラモフォビア(イスラム教やムスリムに対する憎悪・偏見)のいずれもが権利の侵害である、とした。
更新:12月22日 00:05