Voice » 本音の目的を隠す喫煙規制
2023年07月20日 公開
2024年12月16日 更新
――排煙という本音を隠す理由をもっと説明してもらえますか。
【井上】受動喫煙リスクの大きさを指摘して影響力をもった、いわゆる「平山疫学」についてはデータの扱い方について批判もあるし、米国では多数の「喫煙者と非喫煙者の夫婦」を対象とした長期的な追跡調査で受動喫煙リスクが小さいという結果を出した研究もある。
いずれにせよ、喫煙者の近くにいる人が多少の煙は大丈夫ですよ、というケースにまで受動喫煙一般を禁止するだけの有害性があるという主張を科学的に立証するのは難しいと思います。ミルの他者危害原則からしても、成人した本人が許容する受動喫煙を禁止できない。そこで、「望まない受動喫煙」の防止を規制目的にせざるをえない。
それでもパターナリズムの強化を望む人たちは、受動喫煙を受容する人がそれを望もうと望むまいと、およそ受動喫煙なるものは「害悪」だから、この害悪を根絶するために、分煙目的からいえば不必要な過剰規制を喫煙自体に課すことにより、喫煙を排除しようとする。
2025年に再改正が予定されている健康増進法について、私が危惧するのはフォーマルな規制の強化より、むしろ、コロナ時の「要請」や「指示」のように、法的強制に代えて社会の空気、いわゆる同調圧力を利用してさらなる排煙を迫る流れです。
政府・自治体にとって、法的強制を強化すると行政事件訴訟・違憲訴訟を招くリスクが高まり、損失補償の法的責任を問われる可能性もある。それを回避して「排煙」を進めるには要請・指示等による同調圧力利用のほうが規制権力にとっては便利で、その方向に事態が進む可能性がある。しかし、これは法の支配をなし崩しにする権力行使です。
残念ながら、法的強制に代わる同調圧力利用が法の支配に反するという問題意識は、わが国では、法学者も含めて稀薄です。そもそも、いまの喫煙規制がLRA基準で違憲性が疑われる規制手段と規制目的の齟齬を孕むことを指摘する憲法学者や法律家がいないのは、嘆かわしい。
喫煙規制の強化でいちばん被害を受けるのは飲食店です。ところが憲法学者は先述したように、経済的自由を規制するものについては精神的自由の規制ほど厳格にチェックしようとしません。しかし現実の法規制の世界では、弱者や大衆の利益のために経済的自由を規制する、と称される法律ほどうさん臭いものが多い。これは歴史的事実です。
――とはいえ、新しい動きが出はじめているのですね。
【井上】日本の裁判所は、違憲審査を控える司法消極主義といわれてきましたが、薬事法の距離制限以外でもLRA基準に照らして、経済的自由を規制する立法の違憲性を厳格にテストするという判例が出てきています。
――希望が出てきました。ところで、世界的な喫煙排除の動きはどこから来るのでしょう。
【井上】表層的には、個人を自己危害から救うパターナリズムの広がりです。しかし、深層には、世界を自らの「健全な世界」の理想に従って浄化するために、たばこという「魔性の毒物」をこの世界から追放したい、という欲望の浸潤があると思えます。私は『タバコ吸ってもいいですか』という本への寄稿で、この欲望を「ネオ・ピューリタニズム」と名付けました。
喫煙者は、世界を汚し、健全な社会の実現を阻む悪魔となるがゆえに、本人を救うためではなく、健全な社会の純潔性をこの世に広めるために「放逐」されなければならない。たばこと喫煙者に対する魔女狩りの衝動が、この種の規制の深層心理的動因となっていると思います。
そして「現代の魔女狩り」としての排煙運動は、受動喫煙リスクから身を守るという被害者意識から出発しながら、危害回避のための必要かつ十分な分煙の枠を超え、さながらたばこと喫煙者の殲滅をめざす「健康十字軍」の様相を呈しています。この世界を「浄化(purify)」しようとする精神構造において、現在の国や自治体における規制強化の流れはピューリタニズムと重なっています。
――しかし、ピューリタニズムは日本にはないのでは。
【井上】ピューリタニズムと同じように、人間というのは多かれ少なかれ自分の世界観を他者に押しつけたがる性向があります。自分にとって居心地のよい世界に住みたい。そのために、それを阻む他者を抑えつけようとする。自分にとって美しい世界を築き、不純なお邪魔虫は排除したい、という欲望は誰しもがもっているんです。
とはいえ、さすがに宗教的信条を他者に法で強要することは、信仰の自由や政教分離が保障されたリベラルな立憲民主国家ではできない。しかし、「健康」というような世俗的価値なら、それについての特異な信念を他者に強制することについての自制が失われやすい。
たばこは個人のストレスを解消するもので、ストレスを昂進する社会形態を存続させながら、たばこを撲滅すれば、人々は他のストレス解消手段、たとえば飲酒、さらにはドラッグに流れるだけでしょう。健康はもちろん大切ですが、「健康な生活とは何か」は人生観・世界観によって意見が分かれる問題です。それについて自分だけでなく他者の自律性も尊重する必要があります。
更新:05月17日 00:05