写真:吉田和本
コロナ禍で苦境に立たされた「日本の水商売」。かつては7万軒あったスナックも、その内の2~3万軒が閉店に追い込まれたという。
現在もなお厳しい状況が続く水商売の業界であるが、日本銀行前副総裁の若田部昌澄氏、そして東京都立大学法学部教授の谷口功一氏は「夜の街にこそ、市場経済回復のヒントがある」と語る。
※本稿は『Voice』2023年7⽉号より抜粋・編集したものです。
【谷口】若田部先生は日銀副総裁を務められた経験から、現在の地方経済をどう見ているのでしょうか。
【若田部】日本銀行は中央銀行の役割を担っています。では中央銀行の役割とは何かと言えば、教科書的に説明するならば、マクロ経済の安定化を図る機関です。すなわち、不況のときには好況になるように働きかけて、それが過熱しすぎたら抑える。
もともとの視点が非常にマクロ的であり、全国に32の支店を置いているのも物流が悪い時代に現金を運ぶためでした。ただし、日銀内ではむしろ伝統的にデータだけではないミクロの情報、地域経済の実態をなるべく知るという調査機能が重視されていて、年に4回は支店長会議が開かれています。
そのうえで現在の地域経済について申し上げると、東京の大企業や地域のグローバル企業の経営者は、賃上げの必要性を当たり前のように口にします。実際にそうした機運も高まっている。
ですが地域の中小企業の経営者に話を聞くと、どうも様子が違います。社員の給料を上げるのはなかなか難しく、待遇を改善することが先決というのです。このように、賃上げ一色ではなくグラデーションが存在するのが地方の特色でしょう。
まず理解すべきは、地域はもちろん、業種によっても差が存在する事実です。私は日銀時代からそのことを意識していましたし、そのうえで地域経済の活性化を考えなければいけません。
在任中の講演では、アベノミクス以降は一人あたりのGDPが向上していると、統計を用いながら申し上げてきました。ただし、そうは言っても統計の数字と国民一人ひとりの実感が乖離しているのが現実でしょう。その意味では、地域の人びとにも豊かさを実感してもらうことが大切になります。
【谷口】お店であれば、客が減っているのに「いや、GDPは増えていますよ」と言われても、なかなかピンとこないでしょうからね。
【若田部】しかし、これは経済学にとってはじつに大きな難題で、と言うのも「繁栄している地域と衰退している地域があるならば、皆が好景気の地域に移住すればいい」という理屈になるからです。
しかし日本という国単位で考えた場合、それでは格差が生まれ、衰退の一途を辿る地域をどうすればいいのかというテーマが浮上する。そこで産業政策や地域振興政策が議論されがちですが、成功させるのは容易ではありません。
【谷口】戦後日本を振り返ったとき、はたして成功した産業政策はあったのだろうか、という疑問にも辿り着きますね。城山三郎がかつて小説で描いた世界のなかだけの話のような気もしてしまいます(笑)。
【若田部】じつは城山三郎の『官僚たちの夏』(新潮文庫)も誤解されていて、あれはじつのところ通産官僚たちの「挫折の物語」なんですよ。
【谷口】かつての産業政策を賛美する小説として語られますが、実際には実現できなかったという話ですね。
【若田部】そう。彼は『小説 日本銀行』(角川文庫)にしても『落日燃ゆ』(新潮文庫)にしても、敗者に共感するタイプの小説家ですから。私に城山を語らせると何時間あっても終わりませんよ(笑)。
それはともかく、本当の意味で地域が活性化するには何が必要かと考えたとき、谷口先生も新著『日本の水商売 法哲学者、夜の街を歩く』(PHP研究所)で紹介されたエコノミック・ガーデニング(地域経済を「庭」、地元の企業を「植物」に見立て、地域という土壌を生かして企業家精神あふれる地元の企業を大切に育てる政策)が鍵を握るでしょう。
より具体的に言えば「非英雄的起業家」や「ヤンキーの虎」(さまざまな業種・業務に参入している、地方土着の企業・起業家)を一人でも増やすことで、地域の経済を回すのです。行政が上から政策を行なうよりも、いま地元にいる人たちを中心にどのようなエコシステムをつくるかという発想です。道州制や地方への権限移譲の議論は極めて重要ですが、エコシステムの育成をめざして行なうべきでしょう。
【谷口】私がお会いした「ヤンキーの虎」でとくに印象的だったのが、栗原志功さん(株式会社サブスク代表取締役)です。
彼は携帯電話を路上で売るところから始め、いまでは数百の介護施設を経営されています。見た目や格好は迫力がありますが(笑)、話すとじつにちゃんとしている。
【若田部】私が感心させられたのは、静岡県島田市のハラダ製茶株式会社の4代目社長である原田宗一郎さんですね。名だたるコンビニエンスストアのプライベートブランドにお茶を納めている敏腕経営者で、コロナ前から工場のあらゆるシステムを自動化していました。
彼はなんと葬儀屋も営んでいて、聞けば葬儀場に香典返し用のお茶を納品しているうちに、ノウハウを学んで自分たちでビジネスを展開しようと考えたというから驚きです。
【谷口】彼ら彼女らは儲ける機会があれば、それを自分の手で掴む実行力やアニマル・スピリットをもっています。その姿はじつに頼もしく、地域経済の未来を考えるヒントが眠っているように思えてなりません。
【若田部】コロナ下では、デイヴィッド・ヒュームやアダム・スミス以来の経済学の伝統である経済的自由が顧みられなかったことが残念でなりませんでした。
この点については谷口先生もかねてより指摘されているところで、とくにいわゆる現代左派は、「営業の自由」を論点にし得ませんでした。その意味では保守こそが、日本の文化であり独特な公共圏とも言える「夜の街」を守る責務を自認するべきでしょう。
【谷口】おっしゃるとおりです。私からはせっかくなので少し違う切り口からお話ししすると、ヒュームやスミスとの対置で「商業と徳」という対抗軸が長らく西洋政治思想史のなかにはありましたが、この「徳(virtue)」という点に関して、正直なところ、私にはピンとこないところがあります。西洋史を紐解くと、実際には徳がある君主が多かったとは思えない(笑)。
むしろ東洋思想のほうが、徳をいかに修養するかについて考え続けてきたし、日本で言えば荻生徂徠の名前なども思い浮かびます。そう考えると、少なくとも徳という概念に対する考え方は、西洋より東洋の思想のほうが立体的ではないでしょうか。
福田和也さんは新著『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』の最後で、あるとんかつ屋の話を紹介しています。
その店はコロナ下でも一人として従業員を辞めさせなかったといいます。祖父の代から続く店で、家族はもちろん従業員を守り続けようとしたのですね。福田さんは紛れもないコロナ下の当事者の姿がそこにあるとしつつ、「日本人よ、治者となれ」と結んでいる。
【若田部】じつは私も福田さんの新著を読んで、感銘を受けた一人です。とても心に残る逸話でしたね。
私は経済学から出発した人間ですから、荻生徂徠のように徳のある統治者を教育から生み出す発想も大事ですが、一人ひとりのなかに治者的な感覚があるべきという問題意識ですね。
市場経済を支えるのは、ある種の事業主である各人の行動や決断です。そのなかから、地域を支えるような起業家になる人もいるでしょう。
つまりは政治を動かす人びとも、いわゆる一般大衆も、いずれも治者であればこそ社会や経済は回るのです。そんな両者が交差しうるのが、ほかならぬスナックであり、その意味では非常に貴重な場所だと言えるでしょう。
ただし、そんなスナックひいては「夜の街」は、コロナ下で大きなダメージを受けました。5月には新型コロナが「2類」から「5類」に移行されましたが、私はいまこそ3年半弱の日々を検証と反省しなければならないと考えています。その態度が「次に来る危機」に備えることにつながるのですから。
もちろん望まざる未来ですが、グローバル化した世界では何が起きても不思議はありません。政府の対応はもちろん、冒頭で述べたようにお酒を提供するお店が差別的とも思える扱いを受けたことを、はたしてどう振り返るべきなのか。
【谷口】各地でクラスターが起きたとき、新聞やテレビが報じるニュースがSNSで拡散される「報道被害」も生まれました。その意味では、メディアの問題は議論して然るべきでしょう。
ただし、私は日本人が本当に検証と反省できるのか懐疑的なんです。2011年の原発事故をめぐってさまざまな報道被害が生まれましたが、喉元過ぎれば誰もが議論せず、しっかりと総括できたとは言いにくい。
ゼロリスクをめぐる議論だって当時からありました。次に来る危機は南海トラフ地震や戦争かもしれませんが、いずれにせよ、個別の事象ではなく私たち自身の根本的な問題と向き合わなければ悲惨な未来が待っています。
【若田部】その意味では、谷口先生のご専門である法哲学をはじめ、各々が個別の専門領域から提言することには大きな意味があるはずです。
【谷口】原発事故の際には、私自身にも知識がなかったこともあり、あえて一切何も書かないようにしていたんです。でも、その判断が正しかったのか、罪悪感が残りました。
ですから、かねてより「次に何かあったときには、きちんと書こう」と考えていて、今回はコロナ下の日本を記録しようと筆をとったのです。
【若田部】日銀のような中央銀行に求められているのは、ひとえに危機管理です。平時の仕事は現金や通貨を滞りなく発行し、それを隅々まで流通させ、安心して使っていただくことが役割で、その意味では電力や水道などの社会インフラと同じです。
それゆえに、有事だからと言って機能が麻痺することは許されず、万全の対策を練らなければいけません。ただし、未来は完全には予期できませんから、だからこそ過去から学ぶほかないのです。
これまでの日本ひいては世界は、幾度もの経済金融危機を経験してきました。そこから教訓を学んで次に生かさなければならないし、歴史とはその繰り返しです。
アメリカでは今年3月以来、地銀を発端に金融危機が囁かれていますが、リーマン・ショックの反省からか、当局の対応は非常に迅速でした。
更新:12月22日 00:05