官僚の提言を丸のみにし、増税に走る"経済音痴の政治家"。経済政策の誤りは失業者を増やし、国民の生命と財産を危うくするものだ。本稿では、岸田文雄首相が掲げる「新自由主義からの脱却」がいかにあやふやな政策であるかを、憲政史家の倉山満氏が追求する。
※本稿は、倉山満著『これからの時代に生き残るための経済学』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。
岸田文雄首相は、自民党総裁選に立候補する際、「新自由主義からの脱却」を掲げました。その「新自由主義」の定義がよくわからないのですが、日本では「竹中平蔵のやったようなこと」くらいの意味しかありません。
なぜ、こんな訳のわからない主張を掲げたか?
政界では、「竹中平蔵の悪口」は、与野党問わずウケるのです。
ある日のことです。某野党議員が「竹中平蔵的な新自由主義からの脱却を求めます」と演説したら、与党席から拍手喝采だったとか。
この言説、というか時流、正当なのでしょうか。
まず、「新自由主義」を批判する人に「じゃあ、普通の自由主義との違いは何ですか」と聞くと、答えが返ってきたことが一度もありません。
せいぜい新自由主義とは、「竹中平蔵のやったこと」くらいの答えなのですから、そうなるでしょう。たまに「新自由主義とは、増税と規制緩和」と答える人もいますが、これでも普通の自由主義との違いは不明です。
さらにおちょくって「私は旧自由主義者ですが、新自由主義の仲間ですか」と聞こうものなら、相手の頭がショートして会話になりません。
ちなみに「旧自由主義者」とは、「オールドリベラリスト」のこと。昭和10年代の官僚統制に対し、政治的経済的自由を掲げた人たちのことです。
英語圏では「Classical Liberalist(古典的自由主義者)」と呼ぶのが通例のようです。この場合の自由主義が何なのか、極めて多義的なのですが、古くから言われてきた経済的自由主義は、アダム・スミスを祖とする思想のことと考えられています。
話を先取りして言っておくと、長らくスミスの思想が経済学では主流でしたが、1929年の世界大恐慌を契機に、ケインズの思想が経済学では主流となります。
そのケインズ的経済学に対して1980年代に飛び出したのが、新自由主義です。学者ではミルトン・フリードマンやフリードリッヒ・ハイエクなどが理論化したのですが、政治家で推進したのはロナルド・レーガン米国大統領とマーガレット・サッチャー英国首相です。
彼らは、金融緩和・減税・規制緩和を進めて市場に競争原理をもたらし、民の活力を高めることで国富を増やそうとしました。当時、共産主義国のソ連との冷戦が再激化したので、新自由主義による経済政策で国力を高め、政治的に力をつけようとしたのです。
そもそも、規制緩和が新自由主義なら、今の日本では「毎日一個」規制が増えています。
これのどこが自由主義なのでしょうか?
ちなみに小泉内閣は消費増税を封じ込めましたので、「竹中がやった増税と規制緩和が新自由主義だ」との説は、単なる事実誤認です。
しかし、思い込みとは恐ろしいもので、「竹中平蔵の悪口を言えば総理大臣になれる」世の中では、真っ当な経済学の知見は広がりそうにありません。
更新:11月21日 00:05