日本のインテリ層を魅了した「マルクス主義」。一体なぜこの島国で流行することになったのか。マルクス理論の土台になったというイギリスの歴史を見てみると、日本との共通点が浮かび上がる。日本人が押さえたい「経済の常道」を憲政史家の倉山満氏が、やさしく解説する。
※本稿は、倉山満著『これからの時代に生き残るための経済学』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。
なぜマルクスが受けたのか? 共産主義思想など、狂気です。しかし、狂気にも受ける理由があるのです。
アダム・スミスおよびその流れをくむ自由主義・資本主義とカール・マルクスの共産主義を比較するにあたって、「機会の平等」か「結果の平等」かという言葉が用いられます。
アダム・スミスは「機会の平等」を重視し、それに対して、マルクスはその偽善性を徹底的について、「結果の平等」を説きました。
マルクスに言わせれば、どんな国や社会にも階級があり、人は生まれながらに不平等です。大金持ちの子として生まれれば、衣食住に不自由しないばかりでなく、よい家庭教師をつけてもらい、よい中等学校に通い、よい大学に入る。そういったエリートコースが用意されている。
イギリスのオックスフォードやケンブリッジ大学では、勉強ができるのは当たり前で、学生はスポーツにいそしんで体を鍛えています。おそらく本物のイギリスのエリートが喧嘩をしたら、肉体労働者に勝つでしょう。むしろ、あらゆる面で勝たねばならないぐらいの勢いで、普段から鍛錬しているわけです。
すべてにおいて優れている特権階級に対して、読み書き計算といった基礎学力も身につけることなく、小さいうちから働かされて毎日16時間の重労働。いったい人生、どうやって逆転するのか。その階級差は未来永劫なくならず、あるいは世代を経るごとに、その差は開いていくのではないか。
まったく、その通りです。相手の矛盾をつくときのマルクスの分析は、正しすぎて恐ろしいほどです。
たしかに当時のイギリスの労働環境はひどかった。マルクスの代表作『資本論』から、1867年の記述です。
現在行われている1850年の工場法は平日平均10時間労働を許している。すなわち、週初5日については、朝の6時から夕の6時まで12時間であるが、その中から朝食のために半時間、昼食のために一時間が法定で引去られて、10時間半の労働時間が残り、また土曜日については、朝の6時から午後2時まで8時間で、それから朝食のために半時間が引去られる。残るのは60労働時間、週初の5日に10時間半、最後の週日に7時間半である。
カール・マルクス『資本論』第2巻(岩波文庫、1969年)107頁
この工場法では、平たくまとめて1日12時間労働(朝食・昼食時間を含む)を勝ち取ったわけですが、今から考えると長時間労働ですし、しかも、これがしばしば守られなかったといいます。
困ったことに、マルクスの理論はイギリスの歴史を見ながら作ったものなので、一見イギリスには当てはまるように見えます。そして、イギリスに似た島国日本にも。日本で共産主義が流行った一因はここにあります。
更新:12月21日 00:05